■パレスチナの恒久的平和実現のために。歴史の解説と提案

まずは、4000年前からの歴史についての動画を紹介したいと思います。極めて荒削りで、なんといいましょうか史実について誤りがあるとは言えませんが、真実(本質)にはあまり触れられてはいません。それでも、客観的な概要は間違いでありませんので。20分ほどの動画です。
【パレスチナの歴史】4000年前から現代までのパレスチナの歴史を解説! -> https://www.youtube.com/watch?v=JYCmA8TD6jU

繰り返しになりますが、歴史の概要を記します。そしていろいろと。

  1. アブラハムの妻サライは不妊のためエジプト人奴隷のハガルを夫に与えた。イシュマエルが生まれアブラハムは彼を大いに愛した。なんと、サライが90才の時、次男のイサクが生まれた。アプラハムはイサクも同様に愛したが、ハガルはイサクをないがしろにした。サライはイサクを追い出せと主張。しかたなく、ハガルとイサクを追い出した。神はハガルにあなたの子孫は繁栄すると祝福。以後、アラブ人はユダヤ人より人口がはるかに多くなった。イスラム教のクアルラーンにては、神が命じた犠牲の息子はイサクではなくイシュマエルと虚偽記載。このようなことから、神学的にイスラム教とユダヤ教は対立してる。両宗教はアブラハムが神の人とあがめることで共通しているが、イサクこそアブラハムの後継者なのか、イシュマエルがそうなのかで見解が異なる。これが、ハマスやイランなど、イスラム・アラブの人々がイスラエル国を認め無い根にある。そもそも、622年にイスラム教が生まれてからイスラエル独立までの1400年ほどの間、中東から北アフリカにユダヤ人が住んでいた。二級市民として。改宗しないので人頭税を払い、時折、襲撃されていた。それでも、イスラム教徒はユダヤ人の生存そのものを否定はしていなかった。

  2. 19世紀後半からのアリアー(パレスチナへのユダヤ人入植)から1947年の国連による分割決議まで: 第一次大戦~第二次大戦終結までのこと
    ・イギリスはロシア、フランスと中東の分割を取り決め(サイクス・ピコ協定)⇒結果、シリア、イラクなどの独立国成立
    ・イギリスはアラブ人にパレスチナに独立国家創設を約束(マクマホン書簡)
    ・イギリスはユダヤ人のパレスチナにおける home land 建設を応援すると宣言(パルフォア宣言)
     以上の三種類についてイギリスの「三昧舌」と非難されることが多いものの、それら3つのことは全く互いに矛盾しない。ようするに、パレスチナにアラブ人の国が創設されること、パレスチナにアラブ人の国の中か外かをイギリスは明確には言わずして、ユダヤ人の home land が生まれることを認めていた。イギリスはパレスチナ全領土がアラブ人の新規独立国と約束したのではないし、ましてやパレスチナ全土がユダヤの国となることを約束などしてない。つまり、イギリスがアラブ人とユダヤ人に対して約束した内容は矛盾がない。イギリスの真意は別々の独立国をパレスチナに創設することでなかったことは明白な史実である。
     イギリスは第一次大戦によるオスマントルコ崩壊後、パレスチナを委任統治したが、アラブ人によるユダヤ村襲撃に直面して、ヨーロッパからのユダ人移民の制限に舵を切った。イギリスの国益からすると、統治ではアラブ人の人口が圧倒的に多いからであり、石油もあったから。イギリスは親アラブではないとしても、アラブ人の利益をユダヤ人のそれよりも重視するようになった。
     ユダヤ人はアラブ人武装勢力による攻撃から自衛するために武装を開始。あくまでも自衛、つまり反撃であり、アラブ人を先生攻撃した事例はない。第二次大戦中、イギリスによるユダヤ移民制限はナチス・ドイツによる迫害にもかかわらず、更に厳しくなった。それに対抗して、とうとうユダヤ人が対英国の武装闘争開始。第二次世界大戦中、西欧からパレスチナに移住しようとして船で来るユダヤ人をイギリスが全力で妨害して、数多の死傷者が発生したことは議論の余地なき史実。

  3. 戦後、国連がパレスチナ分割決議採択、そして第一次中東戦争
     1947年、ユダヤとアラブの領土をほぼ半々の条件で。もともと反ユダヤのスターリンが意外にもそれに賛成。イギリスが撤退する前日の1948/5/14にイスラエルは独立宣言。
     5/15、アラブ連盟軍(シリア、イラク、ヨルダン、レバノン、エジプト)は国選憲章違反の侵略戦争開始。なんと、スターリンはチョコがイスラエルに武器を売ることを命令。ゴルダ・メイア(後のイスラエル首相)がアメリカで莫大な献金を得たこともあり、イスラエルは戦争に勝利。アラブ連盟は戦争に負けたのに、分割決議の領土にイスラエルの支配を縮小するようにと要求。そんなことは認められなかった

  4. 第二次中東戦争
     イスラエル消滅が信念であるエジプトのナセルがスエズ運河国有化宣言。激怒して英仏はイスラエルに呼びかけて対エジプト戦争。アメリカの介入があり、シナイ半島等には停戦監視のために国連軍の駐留開始
     

  5. 第三次中東戦争(六日戦争: 1967年)
     戦争の前年、反ユダヤに転じていたソ連が、イスラエルがシリア・エジプトを侵略する準備をしていると虚偽宣伝開始。ソ連は両国にその前から武器援助。ナセルはイスラエルを地中海に追い出すなどと激烈な宣言を幾度も繰り返し、シリアとエジプトはイスラエル国境付近に軍隊を集結。イスラエルからしても、普通の諸国からしてもアラブによる対イスラエル戦争は明確になった。イスラエルは先制攻撃すると「国際世論」の非難を浴びるけども、先制攻撃しないと戦争に負けるあるいは国民の犠牲が大きくなると計算して、先制攻撃。結果、ソ連の最新兵器を持っていたエジプト・シリアに対して勝利。たった6日で。イスラエルはエルサレムを奪還して、イスラエルのユダヤ人も全世界のユダヤ人も感涙。シナイ半島をイスラエルは占領

  6. 第四次中東戦争(Yom Kipur戦争: 1973年)
     エジプトのサダト大統領が信頼する高官(コードネーム エンジェル という映画あり)が金銭目的(?)でイスラエルのスパイになっており、モサドがその人物を管理していた。エンジェルによるエジプト軍や同国の政治情勢についての情報は正確であった。しかし、サダトは幾度も幾度も対イスラエル戦争を直ちに開始するような公的宣言を繰り返し、その都度、宣言するその前にエンジェルはモサドに戦争開始の日時を知らせていた。しかし、その人が言うとおりに戦争は始まらなかった。サダトの知恵のゆえであった。幾度も繰り返すことで、イスラエルはサダトの公言は空文句だと認識するに至った。それこそが、サダトの戦術。
     その戦争直前まで、イスラエル軍、モサドなどの情報機関はこんどこそエジプトとシリアが本気で戦争を開始する徴候をつかんでいた。ゴルダ・メイア内閣は無視はしなかったが、軽視していた。
     10/5、シリアのソ連軍事関係者の家族がシリアからソ連に帰国開始
     10/6午前四時、モサドはエンジェルからの情報、両軍が午後にイスラエル攻撃と、首相に伝わった。八時から内閣で議論。ある人(参謀長)は先制攻撃を主張、別の人(国防大臣)は「総動員すること自体がイスラエルこそ侵略者だとの口実を与えかねない」とそれに反対。
     ゴルダ・メイア首相はこう言った
    「先制攻撃が有利なのは百も承知です。しかし、賛成できません。将来のことは誰にもわかりません。でも、援助を必要とする時が必ずあります。もし先制攻撃したら誰もわれわれを助けないでしょう。先制攻撃が有利なのはわかってますのでイエスと答えたいのですが、ノーと言わねばなりません」(『ゴルダ・メイア回想録より引用』)。予備兵の動員はなされたので、エジプトとシリアによる先制攻撃による破局はかろうじてまぬがれて、最終的にはイスラエルは勝利。その勝利はアメリカの介入により中途半端になった。仲介者のキッシンジャーは「勝ちすぎはイスラエルの今後にとって悪い」との信念でイスラエルを妥協された。その結果、その後のイスラエルとエジプトの平和条約締結に結実したのであった。

1973年の第四次中東戦争以後、アラブ・イスラム諸国とイスラエルの戦争は今日にいたるまで、50年ない。私はサダト、ゴルダ・メイア、キッシンジャーという三人の人物の業績だと思う。一人欠けていたら、第五次中東戦争が現実にあり、イスラエルは核兵器を使用していたかもしれない。その戦争にアメリカが参戦して、どちらが勝つにしても中東の人々は破局にいたっていた公算が高いと思う。

パレスチナ・アラブ人の一部による攻撃は継続しているものの、今年10/7のハマスによる民間人虐殺を受けての推移を今日まで観察しての所見はこうである。
・中東諸国の民衆は予想の通りに、イスラエルによる民間人殺傷をみて激高
・諸国のマスコミと諸国民はイスラエル非難をハマス非難よりも強くしている、これまで通り
・なんと、中東の諸政府は対イスラエル戦争開始の気配がまったくなく、イスラエル非難のトーンは極めて弱い。
・そもそも、中東の諸政権・支配者は王制であれ選挙ありの国であれ世俗的である。ハマスやイランのごとき、イスラム教による統治には絶対反対であることが再確認された
・中東諸国はパレスチナ・アラブ人の「大義」について70年以上にわたり声高に支持してきたが、自らの血を流す気持ちがないことが、10/7以後の推移が明確にしている。
・1948年にイスラエルに対する侵略戦争、その後の戦争での教訓は、アラブ諸国は戦争でイスラエルを破滅することができないことであり、中東でイスラエルだけが経済的に大きく発展していることを認識。ネゲブの砂漠を緑化して豊かな農業を実らせたり、ゴルダ・メイアがアフリカ諸国に農業技術等の支援をしてきた成果をアラブ諸国は知っている。IT/デジタル産業の興隆が地球上でイスラエルにおいてもっともすさまじいことをアラブ諸国は知っている。だから、イスラエルとの関係正常化が国益になると判断して、UAE等はアブラハム合意でイスラエルと関係を結んだ。
・サウジアラビアはイスラムの盟主であるが、イスラエルとの関係正常化をしようとしており、それがハマスによる大虐殺の動機の1つとなったことは疑いない。しかし、今日までの推移からして、サウジはハマスとイランに対する嫌悪がさらに強まったように見える。

■結語
 ハマスは勝利した。その意味は、「国際世論」が反イスラエルに大きく傾いたこと。テロリスト集団は常に殺害こそが「大義」に対する「国際社会」の賛同増加をもたらすであろう、それこそが当面の勝利とみなしている。究極的勝利はイスラエル国消滅だ・・。
 しかしながら、ハマスの博打、すなわち中東諸国の対イスラエル戦争開始の見込みは全くない。その意味で、ハマスは敗北したとは客観的に言えないし、ハマスの主観でも全く敗北ではない。イスラエルがハマスを無力化することは、今のような軍事的攻撃のみでは決してできない。
 ハマスのごときイスラエル消滅をめざす勢力を無効化するためには、サウジアラビアなどの中東諸国とアメリカとイスラエル(and トルコ、ロシア)がパレスチナ・アラブ人とイスラエルの平和共存のための真剣な話し合いが最低限必要である。
 その交渉の帰結は以下のようであらねばならない
▼基本的枠組み
a案) イスラエルはヨルダン川西岸とエルサレムの国際法違反の入植者の全員を領土内に戻す
 そして、パレスチナが独立する。これは二国共存の解決。パレスチナ政府は正規軍を創設し、民間人の武器所有を禁止する。イスラエルも同様に民間人の武装を禁止する
b案) イスラエルとパレスチナが連邦国を形成し、今住んでいる人の移住を強制しない
 イスラエル・パレスチナ連邦(仮称)の創設。1つの連邦に2つの国家、アメリカのように軍隊は当面別々で宜しい。別々の軍隊は維持しつつ、連邦軍創設がよいかもしれない。
 連邦政府はエルサレムの統治に関してだけでも必須である。連邦内の両国民は移動の自由が保障される。連邦内の両国はそれぞれ税制が別々で良いが、連邦政府に一定の租税収入を拠出する。連邦税がその後に創設されるべきである。民法に関しては、宗教的な基礎からして別々とする。刑法も当面は別々でよいであろう。会社法などの経済的法律に関しては最初から同一が望ましいと思える
▼新たな国連決議等
・イスラエルと新たに独立したパレスチナ国に対して、国連加盟国は武器を与えない
・イスラエル国 and/or パレスチナ国"等"の一国の生存権を認め無い言動そのものを国連憲章で禁止する。言論の自由を正当な理由で規制するのだ
・民間人による武力行使を国連憲章で禁止する。そもそも国による武力行使は厳しい条件の下でのみ国連憲章が認めている。

以上

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