「重い話」は「思い話」なんですよ。 ~作家売買~

たまに自分で経験がないキャパオーバーな話を聞くと「そ~ゆ~重い話って苦手なんだよね。」って拒否反応を示す方がいます。


例えば、

大切な人が亡くなった話。

困窮した生活苦の話。

壮絶な介護話。

震災体験話。

戦争体験話。


色々とありますけど、確かに類似経験がないと

「なんて返事を返せばいいかわからない。下手に返事を返せば、大変な思いをした相手を、より傷つけてしまうかもしれない。」

って、相手のためを思って言っている場合もありますよね。


けど、相手が、その話をするってことは「あなたに話したい」って思って話しているのだから、話を聞いた返事は正直に言えばいいんじゃないでしょうか?

「そうゆうことがあったんですね。」

って、だけでいいと思いますよ。


辛い経験を乗り越える為のアドバイスや、うまい返事なんて求めてないんですよ。ただ、話を聞いて傍にいてくれるだけでありがたいんです。

聞いてる側にとっては「重い話」で聞くのが辛い状態でも、話してる側にとっては「体験したことを話している」だけの感覚なんです。

会話の中で、感覚の不一致が起こっているんです。


話している側は聞いている側に「重い・辛い」思いをしてほしいとは思っていないんです。

自分が体験したことを、相手に話そうとすることで、客観的にも考えて話を組み立てようしますから、自分の主観だけに囚われてしまった状態から抜け出せる手法の一つでもあるんです。


それに、会話の組み立てとして、「○○だ!」って結論だけ言うと相手に伝わらない時。

「自分はこ~ゆ~経験をしたの(重い話・思い話)→だから、自分は○○だって思っているんだよ。」

っていう、聞いている側に伝える説明の為に話していたりもするんですよ。


自分が体験したことない話を、実体験者から直接、聞けるってことは、どうしたら、その辛さを今後、回避できるか?乗り越えられるか?などの改善、気づきのチャンスでもあります。

スピーチなどの経験を聞く会とは違う。目の前にいる人と会話をしながら、話を聞けるってことはちょっとした自分の体験にもなります。

だから、どうか、自分が体験したことのない話を聞いて「重い」ってだけで否定をする考えにはお気を付け下さい。


人の体験を聞くことは、結構、自分のためにもなったりしますよ。


それに本当に辛すぎることって、誰にも話せないので、話せる範囲で話しているんですよ。

っと、戦前生まれの戦争体験者に育てられた中年の気持ちでした。

私を育ててくれた人は戦時の話は何一つ話してはくれませんでしたからね。「大変だったよ~」ぐらいでした。

ドギツイ体験を語れるってのは、本当、勇気がいります。


それでもヤングさんだと、どうしても辛い話を聞くのは、イロイロ心の準備が必要かと思いますので、そしたら、それはそれで逃げるのも必要ですしね。


会話っつーのは一番簡単で難しいのかも知れませんね。



今日も、誰かに私が笑われていますように。