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ー花魁をテーマにキャンバスを超えて舞台を描くー画家 小林舞香さん

日本の文化の中でも作品として取り扱うことが難しい”花魁”をテーマに、日本と海外を行き来し、画家として総合芸術家として作品づくりからエンタメの舞台演出まで手がける小林舞香さんにお話を伺ってきました。

小林舞香さんプロフィール 
出身:
東京都
職業:画家
経歴:アクリル絵の具を使用し、手描きによる精密な写実画を特徴とした作品を制作。大学は心理学を専攻したが、人生の軸を絵画制作に転向しフリーランスとして活動する。2010年、ニューヨークでの個展を皮切りに画家として本格的に独自の世界を展開する。全国各地での個展開催に併せ、壁画制作、舞台美術、TVドラマ美術提供、ブランドや企業との商品コラボレーション、音楽アーティストへの作品提供など作家活動を多岐に浸透させる。 2015年より海外での作品展開を始め、2018年まで半分をロンドン、半分を東京で過ごす。2017年は1月にマンハッタン、4月にロサンゼルス、11月にロンドン、12月にアムステルダムで個展や企画展に出展。海外への作品発信を経たことにより「和洋折衷」をより意識したテーマに作風を昇華させる。2018年、浅草文化再掲を理念とし起業。パフォーマンス団体「紺夜-KOOYA-」の総合プロデュースを行い、画家として舞台美術を担うだけでなく「キャンバスを超えた描写」としてダンサー、作曲家、映像作家、カメラマン、ファッションデザイナーを含めた美術集団を総合芸術として発信している。 
 座右の銘:彼を知り己を知れば百戦殆うからず


Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか? 

小林舞香さん(以下敬称略)
:学生時代に手元で書いていた落書きからキャンバスに、壁画に、舞台美術に、と活動の中で「描く」範囲が段々と大きくなっていきました。現在は、かつて担っていた舞台美術という役割から舞台全体を「描く」プロデューサーとなり、更にそのコンテンツを使って地方や海外で祭を描こうとしています。そこから街起こしとして地方創生を描くことになるでしょうし、更に大きな何かを「描く」自分がいるのだろう、と漠然と思っています。

自分が手がけているコンテンツにおいて、巻き込んでいく人達の規模を拡げていくことに尽力していかねばならないと思っています。先日公演を行なったフランスでも、またこれから行くであろうどの国でもいいのですが、日本で創り込んだ私(私たち)の創作物が、他の文化へ影響を与える力を培っていきたいです。例えば舞台に使用している衣装であったり、音楽であったり、大道具に施されたアートであったりと、どの切り口でも良いです。自分の絵画を核として様々なものに転生させた結果、自分の「世界観」が影響出来るジャンルが増えたと思っています。

記者:ジャンルは問わず文化に影響する発信をするというのがテーマなわけですね。


Q.現在の活動を教えてください。 

小林:「花魁」をテーマに創作しています。私は、「花魁」というテーマを扱うに際し、想いがあります。また、タブー性が高いテーマであることにも覚悟もございます。

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たった一度の人生において、当時の女性達の生きる選択肢は限られたものでした。赤格子の中で、50年の人生の檻の中で生きた女性達の《売春》と、選択肢が豊富な現代日本における《売春》では、価値観も人生観も異なると考えています。

私は、花魁の衣装に地球柄の打掛を作り、活動の象徴としております。彼女達の、歴史的背景からの魂の解放と、リブランディング。着物文化の再掲に一躍かう、ファッションリーダーとしての転生を願っています。

私は国連NGOを通じ、権利問題に対して討論する活動をしております。国連女性機関と連携し、女性の権利問題に関する問題提起を国境を超えて行っておりますが、花魁の歴史的背景と、それを現代における《アート》として扱う背景を、きちんと英語でプレゼンし、パリ、ワシントン、バンコク、アムステルダム、ロンドンでのワークショップでは関心の高いテーマとして扱われました。

歴史を越えても、「賤しい存在」と一蹴される存在があってよいのでしょうか。花魁のモチーフは、否定しても排除しようとしても、露出する姿になりました。

きちんと説明することの重要性をもっと伝えたいです。また、リブランディングを成功させる課程に、社会的なテーマとして落とし込む実績を積むことだと考えています。

美しいものは美しいと、きちんと魅せていくことに労力を使うことを私は諦めません。


Q.エンタメを始めたきっかけは何ですか? 

小林:一昨年の11月にロンドンで個展を開催いたしました。コロンビア・フラワーマーケットの近くのギャラリーで、とても賑やかな地域です。当時は個展を開いたら、その通りにいる人達の興味を引いてたくさんの人に来て頂けると思っていたのですが、11月のロンドンの厳しい寒さも合わさり、フラワーマーケットで両手いっぱいに買い物を済ませた人々は、ギャラリーの前を足早に通り過ぎていきました。

ー私がここで何かをしても、これでは東京でもロンドンでも変わらない。ー

小さな箱の中で必死に一人で叫ぶ様な個展を繰り返すアート活動ではなく、もっと大胆に能動的に、更に大きな目標を見据えてロードマップを引かねばならないと思いました。

自己満足的な活動ならば、海外のどこでも個展を開催できると思います。そうではなく、社会に関わり、その土地の文化に影響する作家活動を行なっていきたい。その為には一人での活動ではなく、多くの人を「プロジェクト」として巻き込んでいかねばならない。そして2018年に起業しました。

記者:パフォーマンス集団「紺夜」ですね

小林:はい。8〜10人体制のパフォーマーで成り立っています。ダンス、アクロバットパフォーマー、和楽器、音楽、映像でノンバーバル舞台を作るところから始めました。

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舞台を創り込むことで、衣装や大道具、自分の絵を中心にしたプロダクトを多角的に発信できるということは非常に創り甲斐のあるコンテンツだと思いました。

記者:小林さんご自身も自らダンスやモデルをされたりするのですか?

小林:私はしないです。しかしルーツを辿れば、中学の時に所属していたのは演劇部で、高校の時に少林寺拳法部だったので、それらは水脈として現在に繋がっている様に感じます。10代の頃自分がやってきたことは「何となく」選んでやってきたのですが、振り返ってみると本能的に惹かれていたジャンルだったのだろうと、答え合わせの様な気持ちでいます。

記者:小林さん自身が芸術のような感じですね。

小林:大学で心理学部を専攻した時は、他人の心を取り扱う仕事だと思っていましたが、実はそうではなくて、まずは自分の心を把握する学びなんだと感じました。自己表現そのものが私の人生。大学在学中にそのことに気付き、中退して、初めて「絵の技術をきちんと学ぶ」道にシフトしました。


Q.花魁に着手する前と後ではどのような変化があったのでしょうか?

小林:今年で画家としては10年目になります。その大半は、西洋への憧れの体現だったと思います。自分の憧れの投影でもある西洋の女性を題材に好んで描いていました。豊かな金髪の女性、青い目の少女、ギリシャ神話のような物語性。「日本文化」とは違う世界に目を向けていました。

海外で作品を発信した時に、最初は戦略的に和の要素を作品に足していこうと思いました。何か、自分の今までの作風に合う日本文化のモチーフはないかと探し、出会ったのが花魁の華やかさでした。

テーマ性というよりは、単純にその美しさに惹かれて描き始めました。

簪(かんざし)に西洋の国宝をあしらってみたり、和洋折衷のコラージュから始まりました。

記者:そこから、花魁の美しさの本質を観るようになっていったということでしょうか。

小林:本能的に生みだした作品を発表する時、必ずそのコンセプトを求められます。なぜそれを描いたのか?を問われるのです。なぜ花魁なのかという自問自答は、実は完成した作品を自分で見つめながら答えを導いていくのです。

現代社会において、アーティストが何者であるべきかは一言では定義が難しいのですが感覚的に創った作品を、今の社会に適合させていく作業はおざなりであってはならないと思うのです。

記者:アート活動とアイデンティティは切っても切り離せないのですね。勉強になります。


Q.学生時代は心理学を学ばれていらっしゃったとのことですが、絵は小さな頃から描かれていたのですか?

小林:小さい頃から絵を描くことが好きでした。画用紙の冊子に何枚も何枚も描いていくような感じでした。ひとりっ子で留守番することも多く、近所の同い年くらいの子どもたちと遊ぶよりも家でずっと絵を描くことが好きでした。これは私の自信にも繋がっている事実なのですが、色使いは今とほとんど同じなのです。空が宇宙のようだったり、昔から世界観は変わっていないのかもしれないです(笑)。

絵を描くと言うことは「やらなきゃいけないこと」の後にするご褒美でした。例えば絵を描くことを優先すると、「勉強してからにしなさい!」という具合に叱られたのです。

小さな頃は親に隠れて描いたり、授業中ノートの隅に描いたりして、学生時代はそんな怠け者が滾って技術が向上してしまいました。

記者:そうなんですか?!アクリル画とかかなり専門的に学ばれていらっしゃるのかと思いました。

小林:絵の技術をきちんと学ぶ、という考え方は、大学を中退する際に初めて生まれました。それまではボールペン画や鉛筆画の、モノクロ表現を独学で習得していました。アクリル絵の具は、2年間専門学校に通って、きちんとリアルイラストレーションの技術訓練を受けています。

20歳の時に「人生は一度きり」というフレーズがずっと頭の中に反芻していました。なぜでしょう、不思議と20歳の私は人生観について多くの時間悩んでいました。大学3年生で、心理学部の学生として将来を考えていた時期でもあります。

「好きなものを中心に素直に生きていけば、もっと豊かになれるのではないか」

という結論に確信を得て、大学を中退しました。

記者:中退されたんですか。勇気がいったのではないですか?

小林:親に泣きながら、「もう二度とブレないから絵の道に進みたい」と伝えました。

アクリル絵の具を学ぶ専門学校に通いました。先述の通りボールペン画を趣味にしていたので、色をきちんとコントロールして絵画表現の幅を広げたいと思ったんです。
記者:それまでボールペンのみだったのですね?

小林:はい。写実的にそこにあるものを描くようだったので、色もつけてみたいと思って勉強しようと思いました。

記者:十二分にボールペン画をされたのちのアクリル画であり今なのですね。


Q.読者のみなさんへメッセージをお願いします。

小林:「心がどれだけ動いたか」ということがこれからの評価の基準だと考えています。 

アーティストはただ好きなことをやって、社会に必要か否か判断が難しい職としてその道を選択することに不安を覚える人は多いと思いますが、これからはそうではなく、世の中が今以上にが必要とする存在になると思います。今までは「安くて」「便利な」「モノ」が売れましたが、これからはそこに「感動」が人を惹きつけ、価値を提供していくと思います。アーティストが社会で求められる存在として更に自信をもって活動できる時代になってきていると思います。自己表現を自己満足に留めずに、きちんとマーケティングとブランディングを考えていく力を養う必要がありますが、私なりにその先駆けを見せていきたいです。とにかく、続けることが大切だと思います。

記者:ありがとうございました!


◎小林舞香さんの詳しい情報はこちらです。

Maika Kobayashi 公式HP(紺夜の公演情報もこちらからお入りください)


■編集後記

インタビューさせて頂きました澤田、村田、古田です。小林さんは一見すると非常に繊細で可憐な少女のような雰囲気でいらっしゃるのですが、お話しを始めた途端に一瞬にしてアーティストであり経営者の眼になられる。“花魁”をテーマに作品を生み出す小林さんの源泉に出会わせて頂きました。小さい頃から絵を描くことが好きで、ご褒美としての絵をボールペン1本で描き続けたお話も印象的で、色を添えても繊細でクリアな作品となる理由かと感じました。公演活動が国内外問わず今後も展開していくことを楽しみにしています。ありがとうございました。


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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。





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