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柿食えば

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20年以上前に勤めていた前の職場には3年足らず在籍していた。

前半の2年弱は営業職、全く売れないという形容詞をつけてもいいと思うがそんな仕事をしていた。

その間に一度支店長が交代した。ぼくが売れない営業だとしても1人目はなかなかの人物だった。気分屋。何かのスイッチでそれまでの上機嫌が反転するのはざらで、朝はにこやかに営業を送り出したかと思うと帰社すると陰鬱な態度で部下を執拗に追い詰める。それ以外にもぼくが売れないのは歩き方のせいだ、もっと堂々と歩けと朝礼で15名ほどの支店の社員全員の前で長々と事務所の中を往復させられたりもした。

それで後任の支店長が優しいとか気遣いができるとかなんとかあったかというと、そういう訳でもなかった。前任者のようなねちっこさがない代わりに威圧的だった。

その上司も中途でその会社に入っていて、前職の経験を活かして盗聴器を各人のデスクの引き出しの陰に仕込むとかいうもっともらしい噂が流れていて、実際なぜそれを知ってる、というようなことも稀にあった。時々はぼくの身に全く覚えがないことでいきなり怒鳴られるなどという理不尽にも遇い、また営業は全員自分の車を使っていたが(もちろん燃料費は申請分支給される)、その支店長が同行する時などは、ぼくが非喫煙者だということをわかったうえでぼくの車の中でタバコを吸い、売れないのはぼくが男らしくないからだとタバコを吸えと言ってきたり(断った)、と書ききれないほど色々あった。

ここまでで約600字使うのもどうかという気がする。書いていて動悸がするが、同情を買おうというつもりでもなく、誰にも、家族にも話したことのないことをここで吐き出しているだけである。

それにその職種に向いていなかったとしてもそれを埋める努力を自分がしていたかと振り返ると、たぶんそうでもない。そんな姿に対して上司は腹を立てていたのだろう、とも思う。

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その後任の支店長はただ、自分には情がある、と常々言っていた。自分で。

それくらいの自信家なので、時々それらしいこともあった。

ぼくのことは営業には向いていないがいいやつだと言ってみたり、能力はないがお前の良さが活きる場があると言ってみたり、あるいはぼくを営業から全く経験のないサービス課に配置替えしたのもそうかもしれないし、その後一月ごとに会社内で腹痛(精神的原因の)を起こすのを見かねて退職勧告を告げたのももしかしたら彼のいう情、なのかもしれない。少なくとも本人はそのつもりだったと思うし、それから20年以上経過した今でも、ぼくはそれがどういう神の思し召しなのかという判断はつきかねている。

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ある時、まだぼくが営業課にいて、その後任の支店長と同行していた時の出来事である。

ぼくの担当エリアである県の西部へ抜ける、低い山を縫うようにして走る農道でのこと。いきなり助手席の支店長が、車を止めろ、とぼくに指示をしてきた。いきなり何事かと減速し広い路肩に車を止めると、

『そこの立て札に、柿採ってください、て書いてあろうが!』と言って車を降りていった。

ぼくもその後ろに続くと確かに道路脇の立て札に『この農園の者です。どうぞご自由に柿を採ってください』と書いてある。『いくつでも無料です』

それまで何度もその道を通ったことはあるけれど、そこに柿畑があることなど全く知らなかった。目にも入っていなかった。柿は嫌いではなかったけれど特別好きだということもない、ぼくの中の順列ではそんな位置付けだった。

わしはな、柿に目がないんじゃ

と支店長は嬉しそうな顔をしながらぼくに言ってきた。しかしぼくにとってはそんな位置にいる果物なので、あ、そうなんですね、くらいしか答えようがなかった。おべっかの言える質ではないのだ。

おい、お前も採れ。なんか袋はないんか。

そんなに柿が好きな人がいるんだと頭の片隅でちょっとおもしろく思いながらも、車の中から適当なサイズの袋を探しだし、一緒に柿をもいでいった。

柿の木はたくさんあり、大振りな実はきれいな艶を見せていた。袋はすぐにいっぱいになった。支店長は見たこともないような幸せそうな笑顔だった。

おい、あそこにある柿の木、あの実はものすごくうまい木やぞ、お前あれ一つ食ってみい。

いや、きっとあれは渋柿だ、だからあんなに実が残ってるんだ、とわかっていながらも断るのも面倒なので言うとおりにひとつもいで食べてみると案の定、渋柿だった。

渋柿をそのまま食べたことなどなく、経験のないほどの渋味に騒いでいる横で支店長は子供のように、お前アホじゃなあ、と大笑いしていた。これくらいお安い御用だ。

採った柿は向こうが多く取り、それでもぼくも食べきれないほどの量をもらった。

会社に戻って支店長も何人かに嬉しそうに分けていた。

仲のよかった総務の女性がぼくに耳打ちするように、柿があんなに好きな人がおるんじゃなあ、確かにおいしいけど特別好物でもないわ、と全くぼくと同じ感想を言ってきた。

自宅に持って帰った柿は家族で早速夕食後に食べた。いわれてみると確かに甘くておいしい。おそらく手入れのされた木なんだろうと思う。それまでに食べたことのないような甘さを堪能した。

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次の年、同じ農道を走ってみたが、あの時目にした『ご自由に』の立て札は見ることがなかった。想像だけれど、たまたまあの年だけその農家さんの事情で収穫ができなかったのかもしれない。それでも放っておく訳にはいかないので特別にそういう対応をしたのだろう。

それから1年と少ししてからその職場を辞めることになった。

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いつの間にか柿はぼくにとっても好物になった。自然な甘さが好きになった。幸い毎年のように親戚からいくつかもらうことができる。

今年もいただき、おいしく食べた。

あの支店長のおかげである。辛い記憶がありながらもその同じ人物についてポジティブな感情も持てるというのは不思議なことだと、あれから20年以上経った今も思う。

今まで生きてきた年数よりもこの先の方がとうに短くなってきた今、あの当時の経験に意味はあったのだろうかと振り返る。

一人の人の中にも多様な面がある。たまたまそれが自分と合わなければ悪い人になり、合えばいい人だ。それはぼくも同じだ。

柿については合う人だったのだろう。
あのひとは。今年の柿はまだいくつかある。いい出来だ。

来年もおいしい柿を食べたい。
辛い記憶と楽しかった記憶の両方を思い出しながら、心の底からそう思う。


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