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「恋せぬふたり」を観て

最近、見た「恋せぬふたり」
アロマンティック・アセクシャルの2人が自分たちなりの家族になろうとする話。
私の人生の中で見てよかったドラマランキングのトップ5に確実に入る作品でした。

アロマンティック・アセクシャル、と検索したら出てきた動画

「人を愛せないというニュージャンル」
このお二人が当事者を傷つけるつもりが無い事は分かっていますが、個人的に悲しくなりました。
どんなことに対してもそうですが「よく知らない」からこその偏見ってのはありますね。
私もそう言う事、多々あります。

*    *

私の身近に一人アロマンティック・アセクシャルなんだろうなって人がいます。

以下の文章はその人の了承を得て書いています。
また、ネタバレありです。

その人は「恋愛感情は無い」ことを公言しています。
人を好きになる、という事が「さっぱり分からない」そうです。

だからと言って、その人は冷たいのかっていうとそうではなく(というか逆に温かみがある)
人を愛せないのではなく、性愛という形で愛の表現をしない人って感じです。
愛情が無いのでも、愛する気持ちがないのでも、愛が欠落してるのでもなく表現方法が違うだけ、と私は感じています。

個人的に思っているのは、恋愛ネタに反応する人が持っている愛情が100だとすると、好きな人に70、仕事に10,趣味に10、生活に10みたいに意識の向け方にアンバランスさが生じるところ
その人は自分を含めた自分の身の回りのもの全てに10意識を向けている感じ。(もちろん、そんな全てに対して同じではなく、好きな物に重きを置くのですが、表現するならそういう感じ、という意味)

また、恋愛ネタに反応する人が「こういう事を相手にしたら勘違いされるよな」と思っては言動をセーブしたり、逆に利用したりしますが
その人は、そういう感覚が無いからか、その人の何気ない言動が恋愛ネタに反応する人にとっては勘違いさせるのに十分だったりするな、と感じています。

ドラマの中で、チヅルはサクコが恋愛に興味が無いことを分かっているから、サクコへの思いを忘れるためにサクコから離れようとしているのに
サクコがチヅルに「また友達に戻れないかな?私にとってチヅルは本当に大事で」とか
「私好きなんだ、チヅルに髪を切ってもらうの」というシーン
チヅルからしてみたら辛い時間なことがピンときていない、あの感覚理解できるなぁと思って見ていました。
サクコの気持ち、チヅルの気持ちを想像すると切なかった。

サクコが帰宅すると蟹を用意していた高橋さん。
蟹の身の中でも多い部分をサクコに取り分けたり
サクコの目に涙がにじんでいるのを気づきながらも、気づかないふりをする姿、高橋さんなりの愛情表現だなぁ、と思って見てました。

*     *

アロマンティック・アセクシャルと言っても人それぞれだと思います。
でも、私自身はこのドラマは身近な人に対しての理解を深めるキッカケになりました。
また、愛情表現の形は人の数だけある、という当たり前のことに気づかせてもらいました。

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