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デザイナーが海の家開業。#1.頭島ってこんなところ

前回はnoteの初めての記事ということで
自己紹介と伝えたいことをまとめました。
よろしければ前回の記事もご覧ください。

今回は、海の家・SEASCAPE(シースケイプ)プロジェクトの始まりの部分から
まとめていきたいと思います。



その前に、ひとつ。
2020年で3年が経ったのですが、結果、
やってよかった。めっちゃよかった。

島民のおばあちゃんが、
「おじいさんがここの唐揚げが食べたい言うんじゃ。」
といって来てくれたり、
お店から5分くらいのお家に住む女の子が
小銭をもってかき氷を食べに来てくれたり、
延長営業で夜になった時、
素敵なカップルがビール片手にまったりしてくれたり。

また地元の中学生、高校生が
楽しそうに泳いで、うちでお昼を食べて、
また泳いで…もう眩しくて眩しくて。
青春の1ページを覗き見している感覚です。

ほかにもたくさんのシーンがありますが、それはまた違う記事で。

ちなみに、お客さんがいない時は仕事したり、
波の音を聞きながら、瀬戸内の多島美を見て癒されています。
それもまた別の記事で詳しくご紹介しますね。

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では本題の、プロジェクトのはじまりの経緯へ。
それには私の生まれ育った地元の話が必要なので今回はそちらを。

ヨシカタの地元。岡山県は頭島。

頭島(かしらじま)は2015年4月まで離島でした
岡山県の南部で、兵庫県との県境・備前市日生町内にあります。
備前といえば備前焼、日生町は牡蠣で有名です。

で、wikiによると島の海岸線長は4km/面積は0.6k㎡!ちっちゃい!
ちなみに千鳥の大吾さんの北木島は18.3km/面積は7.5k㎡だそうです。

いまでは、2015年に竣工した橋のおかげで車で移動が可能です。
※島内の道は狭く、勾配や曲がりくねっていたりするので
来られる際は十分に注意して走行してください。
運転に自信がない方は橋を渡ってすぐ100円の
市営駐車場もありますのでご利用ください!

島は牡蠣の養殖をはじめとする水産業で支えられていて
港を歩いているとかならず猫に遭遇します。
やつらは道の真ん中でくつろいでたりします。

小さい頃の元気な頭島の様子

わたしもぼんやり覚えているのですが、
島に生まれ島で育った父曰く、1990年代くらいまでは
民宿の島として栄えていて、1時間に1本の定期船の
定員(たしか)198名をパンパンに乗せてやってきていたそうです。
臨時便も出ていたとか?

6歳くらいの時、修学旅行できた男の子に道案内してと
頼まれたことがあったなぁ…
お礼に缶ジュース買ってくれたっけ…笑

ただそんなブームは衰退していきます。
頭島も御多分に洩れず過疎の一途を辿って行くわけです。
小学校を卒業するくらいには観光客を見ることは減っていました。

知らないうちに寂れてゆく島。

高校を卒業してすぐ専門学校に通うために大阪に引越しました。
1年生の終わり頃に、デザイン事務所にインターンに。
そのまま卒業まで通い、アピールしまくった甲斐もあってとりあえず入社。

お盆や年末年始に実家に帰る度に
島はさらに寂しくなったと感じるようになりました。
具体的にいうと、島内を歩いても若い人がいないとか、
小学校が廃校になってしまったとかです。

そして、この頃から島を元気にするような
なにかができないか考えるようになりました。
時には家族会議を開いて案を出し、
あーでもない、こーでもないとひたすら語り合いました。

その中で、最も
楽しそうで(重要)
面白そうで(重要)
・持続して行けるもの
・あったらいいなと思うもの
が海の家でした。


橋がかかって、島に車で行けるように。

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島の中の交通は橋が架かったからOKとはいきません。
島唯一の海水浴場(外輪海水浴場:そとわと読みます)は
当初は肝心のアクセスが悪かった…

しかしありがたいことに、橋の竣工から少し経つと
海水浴場周辺に住む島民の方々が
道を整備してくれたり、
駐車場スペースを作ったりしてくれたのです。
(お願いした訳ではなく、普通に不便だったからだと思います。)
(この辺りからめちゃくちゃ少ないけど海水浴客も。)

そこから一気に構想は現実的になって行きます…。


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続きは次回。
オープンまでくらいをまとめようと思います!

余談ですがnote結構自分に合ってそうで楽しいです。
週1回くらい定期的に更新するように
しようと考えてますので、よろしければ
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