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変化に祝福を。

何となく書き始めたnoteも今日で4日目。
どうにか三日坊主とは呼ばれずに続けられそうだ。
健康的な生活とかダイエットとか毎日ピアノ練習とか毎日編み物進めるとか、そういう些細な自分との約束はことごとく果たせない。
ただ一方で、好きなことはとことん突き詰めたい性格でもある。
コーヒーはほぼ毎日淹れるし、本気で音楽の道を夢見た頃は学校をサボって10時間は弾いていた。
ひとたび仕事にのめり込めば放電し切るまで働いてしまう。
加減を知らない生き方を両親は心配したけれど、夫はあくまで静観してくれる。
何なら家事や子どものことも引き受けて、やりたい事にのめり込む環境を整えてくれるので、安心して気の済むまでやり切れる。

このやり切れる、というのがどうやら大事な気がする。
先月で30代最後の歳になり、楽しみにしている女盛りの40代まであと一年を切ったわけだが、この歳になっても何かに夢中になれるなんて、10年前に娘を授かった時は思いもしなかった。
漠然と、あーコレで私の青春は終わるんだ、もう自分のやりたい事のためだけに人生を費やすなんて当分は出来なくなるんだ、そう感じていた。

この焦燥感をライフステージが変わる瞬間に感じる女性は多いのではないだろうか。
(男性はあまり関係ないでしょ、などとは思っていなくて、ただ私には男性の気持ちは分からないし、なかなかそういう話をする男友達もいないので知り得ない、という意味においてこの場では女性目線で話そうと思います。)
それまでの自分のキャリアを捨てざるを得なかったり、自分のことはすべてコントロールできていたはずなのに今度はすべてが子ども中心になったりする。
私も御多分に洩れず、産後のホルモンバランスの変化と気持ちの変化に自らがついていけずに崩壊した時期があった。
そういう過去も含めて夫は、今の私をそっとしておいてくれているのだと思う。

一方で彼は彼で、前回の夢の話で触れたポルシェが欲しい!を着実に叶えるために、しっかりとやる事はやっていた。
私はというと、好きな男の欲しいものくらい買っていいよって言ってあげたいよなぁ〜というオメデタイ脳みそなので、せっせとバイトに明け暮れる。
お互いに相乗し合って気がつけば私たち3人家族は、それぞれにやりたい事を見つけてやり遂げるのみに注力する同志になったのだ。
めでたく結婚10周年のタイミングで彼の狙い通りの中古に出会い納車された時は感無量だった。
もちろんローン地獄はしばらく続くのだけれど、これもやはり、ひとまずやり切った!と思えた瞬間だった。

いい大人が夢だの仕事だの欲しい車を買うだの、なんだか大人気ないとは思う。
けれどもこの15年が慌ただしくも楽しく過ごせたのは、肝心なタイミングでやり切った!と思える瞬間があったからだろう。
感覚はラスボスを倒した爽快感くらいなものかもしれないが、区切りというのは人が前へ進むために必要なものだ。
人生楽しんだもん勝ち!精神で、生きる私たちの前を行く娘の後ろ姿は、まさにその典型で頼もしい限り。
自己肯定感の塊みたいな娘だけれど、私たちは追い風を吹かせるべく明日もせっせと働く。
そんな彼女の寝顔が今夜も、満足気でなりよりです。
さぁ、おやすみなさい。

さやか

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