note「『書く習慣』が身に付く1週間プログラム」に参加中。初回は、いしかわゆきさんの講義!

いしかわゆきさんの書く習慣の講座があると知って、今夜20時〜の講義を視聴してみた。

残念ながら、じっくり1時間画面に張り付いてピタッと観ることはできず、洗い物や翌日の支度をしながらの、ながら聴き。見逃し、聴き逃しもあったと思うのだけど、参加してみて良かったな。

全体的に通して語られたのは

『ハードルを落として書こうよ』

『書くことを続けていこうよ』

というメッセージ。

やっぱり、何かを始める時の1番のハードルって、始めることなのよね。始めたら勝手に身体が動いて書き始めるのだけど、始めるってハードルが高い。いつもと違うことを取り入れるって、変化だ。人間は変化を嫌う動物だから、取りかかりがおっくうなのは当たり前だ。

いしかわさんは、スマホの右上にnoteのアイコンをタップしやすい位置にレイアウトしていた。タップしやすい位置にアイコンを置くのは良いアイディアだと思う。

ピアノの先生も言っていたな。ピアノを直ぐ弾けるようにカバーはしない。剥き出しにしておく。弾きやすい位置に置いておくと。

いしかわさんは、わざわざ書く時間を作らないとも言っていた。私も同じで、わざわざ書く時間は作っていない。朝起きたとき、寝る前、電車内、お昼休み、子供の習い事の待ち時間にメモみたいに書いている。投稿時間も全部バラバラ。イフゼンルールも無視。私は“場所や状況”と“noteを書く”を紐づけせず、ルールは決めずに気ままに書いている。書きたくない時やボーっとしたい時もあるから、気が向いたら書いている。それでも、気づけばnote開始から1年半が経っていた。

いしかわさんは毎日、noteを投稿しているイメージが高かったのだけど、月に2回〜3回の投稿のようだ。毎日じゃなくてもいい、書きたい時に書いてもいいんだって、自分が肯定されているようで嬉しかった。

講義の中で、
『それでいいんだよ…』という主旨のメッセージがスライドで映し出されていた。月に2〜3回の投稿でも、誰かの役に立つ記事を書けなくても、ほぼ日記でいいんだよって。自分の記録付けでもいい。それくらいハードルを下げてもらったほうが続けやすい。何よりそのメッセージがありがたかった。

お話の中で、noteに書いた記事はタイムカプセルになるって言っていたのが印象的で、そういえばそう!!昨日書いたnoteの記事は何とも思わないけれど、1年前の4月に書いたnoteって懐かしく感じる。誰かのためにじゃなくて、自分の記録付けでいいんじゃないかと思う。タイムカプセルみたいに懐かしくなる時がくる。ああ…こんなことを思っていたんだなって、1年後、2年後に自分にとって価値のあるもの。誰かにとって価値がなくても自分が懐かしむ記録。それで、充分なんじゃない?自分のためだけに書いていくっていうのもいいんじゃない?

本音を書いた方がいいという言葉も心に刺さった。マニュアルや当たり障りのない文章って、それが正しいこともあるし、無難な文章のほうが攻撃されない。炎上しない。意見を言わなければ叩かれることはない。だけど、スッと流れていって印象に残らない。

私も100%本音を書けているわけじゃない。多分、noteは“公共の場”という意識があって、常に頭の隅に“私の文章を読んだ人が傷ついていないだろうか”って、ある。だけど、それを意識しすぎるとつまらない文章になっちゃうんだよね。


そもそも、みんな自分に注目なんかしていない。私は東京で普通に働く一児のママで、誰かの妻で、何処にでもいる40歳を過ぎた人だ。そんな私に炎上するほど拡散力はないし、誰も私のことに興味ないと思う。

私は、普段の生活の中で本音を5%くらいしか言えていない。それがnoteだと多分60%くらいは言えている。自分の本音を置いていくための場所として活用するのもいいんじゃないかと思う。

もっと、もっと書きたいことはあるけれど、もう眠いのでここで書くのをやめる。ながら聴きだったから、1時間の中の講義と相違があるかもしれない。

アーカイブがあると思うので、ぜひ直接の視聴をオススメする。note初心者でまったく何から始めていいのかわからない人も、書いているけどマンネリ化してしまったり、普段何も考えずに私みたいにとりあえず続けている人にも新しい風が吹いて執筆が捗るんじゃないかと思う。

リンクってどう貼るのかを忘れてしまった。

明日も仕事だ。本当に眠いから、今日はこのへんで終わり。おやすみなさい。

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