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記憶のなかでも気持ちは揺らぐ (#磨け感情解像度 に寄せて)

先日発表のあった #磨け感情解像度 で佳作に選んでいただきました。

応募作品数にも、ひとつひとつの作品の完成度にも、それらにつけられた丁寧なコメントにも、みんなびっくり。衝撃の1ヶ月でした。

皆様本業があるなかで、ひとつひとつの作品に向き合う時間をもち、さらにそれを選びとるのは、ほんとうに大変だったと思います。まずはこの機会と、企画運営に携わった皆様にお礼申し上げます。

作品はこちら。

エッセイ部門で選出されたのに若干動揺しました。完全なる空想の世界だったからです。

この話を作った経緯と思いについて。

毎日投稿する!と意気込んで11日目。私は書くことが思いつかず、アイディアになりそうな画像がないかとギャラリーを眺めていました。

そこで見つけたのが、宝石みたいなチョコレートのイラストでした。たしかに箱入りのチョコレートって宝石みたいだなあ、もし、子供の頃あれが身近にあったら、箱は宝石箱に、チョコレートは宝石に見えていたんじゃないかな、なんて思ったのがスタートです。

この作品に限らずなのですが、なるべく気持ちを書くときは、感情をあらわす言葉をそのまま書かないようにしよう、と思っています。

もともとが実際の行動だったとしても、空想だったとしても、作品は記憶のかけらになります。どこかでだれかがなにかをした、という記憶です。

そこには当然何かしらの気持ちがあったはずなのですが、気持ちの中身は読む人と響きあってはじめて完成するので、なるべく「揺らぐ」余地を残しておこうと思うのです。

チョコレート、チョコレート。は、いくつか感想をいただきました。気持ちがほっこりする、とか、楽しい気持ちになりました、とか、チョコとコーヒーおいしいよね、とか。感想を読んで、思いつきの空想からスタートした作品が、ほんとうにあった出来事のようにくっきりしてくるのを感じました。

いっぽう、「やわらかい棘みたいなものを感じて読むと心が痛い」という感想がありました。棘なんて潜ませる意図はまるでなかったので、とても驚いたのを覚えています。

前者と後者の感想は、まるで違う作品を読んだ後のもののようだ、と思います。でもそれこそが大切で、なるべく「嬉しい」とか「悲しい」とかの分かりやすい表現で、読む人の揺らぎを突き放さないようにしたい、と思うのです。

…と書きつつ、「チョコレート、チョコレート。」を読み返すと、幸せ、や幸福、といった表現が散見されます。まだまだです。

他の応募作品や、それらに対する思いについて書かれた記事を読んでいると、ひとつの作品を何度も磨き上げられた経過を感じます。そういう作品に対する誠意も、いまの私にまだまだ足りないところだな、と思います。

改めて、企画に感謝を。ほんとうにありがとうございました。

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