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流そう、流そう。

しばらく私はテキスト投稿が止まっておりました。

止めていたのは私自身ですが、事象はニュートラルだと言い聞かせながらの、ここしばらくです。

繰り返し繰り返し己に言い聞かせないと、まだまだです。

他の所で呟くという行為により何かを吐き出し、有り難い事に、ご心配下さるような返信をいただいたり、ありがとうございます大丈夫です、ということに今、どうしても行けない程、余裕無く閉じている私がいます。

吐き出す、といいますが、その吐き出された何かの行方を考えてしまいます。

物質ではありません。
漫画の吹き出しのように平面上でも立体を感じさせ、触れられるようにも錯覚する台詞でも、効果音でもありません。

私という一般の立場の人間の吐露など、霞のようなものです。

感想だけでも書き出すならば、例えば「こわい」です。
例えば、です。

怖い、恐い。
恐怖。

悲しみ。

いきさつなども決して語りません。
語れるものでしょうか。
私には出来ません。

かといって現実の空間に、会って話せるひともいません。
又、そのような話など迷惑ではと考えます。


貝になります。

砂を吐かずに浅瀬でじっとしています。
時折、潮を吐きます。
呼吸をします。
寄せて返す潮流に流されぬよう、ただただそこに存在します。

貝なので、掴むものがありません。

小波に流されぬよう掴んでいたと錯覚していた対象の何かは見当たらず、又、掴みたいと思えど、貝なので引っ掛かり部分が無いです。

貝なので硬い殻で覆っています。
ふたを開ければぐにゃぐにゃです。
海水と同濃度の塩水で戻してあげれば、時おりプシューっと砂を吐き出し、息をします。


アサリの酒蒸し、好きです。
鷹の爪やガーリック、薬味も、美味しいですよね。
自宅で一人のお供には丁度良いです。

スパークリングワインか白ワインが良いです。
ただ、呑み過ぎるので、ハイボールにします。
そしてハイボールも呑み過ぎます。
結局、呑み過ぎます。

アサリを調理する前、砂抜きをします。
海水と同程度位の塩水に浸け、十分に砂抜きをします。

しかし、「ジョリ」って高確率で、いいませんか。

アサリ、一つか多ければ二つは噛んだ瞬間「ジョリ」ってなりませんか、砂が。

私の工程が悪いのか、何度やっても一つか二つは「ジョリ」っていいます。


吐き出しても、残ります。

「ジョリ」っという存在感のように、不穏な感触も残ります。
吐き出したところで、残った一粒二粒の砂の存在には破壊力すら有します。

だから、流そう。

流そう。
流そう。

流れて行け。


流す先はどこぞ。

海、川、湖、空間。

流しても流しても、無くならないことに気づきます。
流しても流しても、地球。
流しても流しても、大気圏内。

在ります。
無くならないのです。

忘れない限り、在ります。
反芻すれば涙も出るというものです。
反芻しなければ良いのです。

しばらくは無理だと根こそぎ感じつつ、ハッシュタグに「アサリ」を用いようとしている私に呆れながら乾杯。

有限無く音楽の話などを、ワインか焼酎かウィスキーか水かティーか何か、のみながら、公園や道のベンチでもいいから座って、誰かとバカみたいに話したい。

話したいです。

もう、バカみたいに。










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