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遅くなりましたが、ご挨拶です。

節分前にはせめてご挨拶させて頂かなければと、2021年クリスマス以来の投稿です。旧年中は大変お世話になりました。年末年始から今までご無沙汰し大変失礼しました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年末、大阪にて『寅年』の圧巻のディスプレイ、そして『龍』、迫力に圧倒されました。

阪急うめだ本店
1階コンコースウィンドー
(2021年末、大阪(スマホにて写))


阪急うめだ本店
「新春いけばな2022」
京都・大覚寺の華道『いけばな嵯峨御流』


「龍吟」(りょうぎん)


詳しくは、こちらです「阪急うめだ本店」


「龍」、本当に凄いです。
華道(いけばな)の流派のお名前をしっかり写せていなく、申し訳ありません。

こちらの「龍」の材質をじっくり拝見しましたが、「木(木材)」のようです(違いましたらすみません)。

圧巻の美、迫力。やはり足を止めスマホで写す方々、たくさんいらっしゃいました。
場所は、「阪急うめだ本店」1階コンコースウィンドーです。

とても縁起良く、もう2022年への気迫に満ち満ちた素晴らしい作品を観られた時、本当に嬉しかったです。

2021年をまとめると「生きた」、又は「生きられた」「生きさせていただいた」、「生きていられてよかった」、です。

2021年7月末発症したデルタ株といわれる新型コロナ、あの時からノンフィクションにwithコロナを地で行く日々に、いとも簡単にのみ込まれていきました。
そして謎の坐骨一帯の痛みと手術痕のえも言われぬ痛みで動くことままならず、只々、横になる日々、とても長かったです。

プラス、コロナ後遺症的症状が如実にあらわれ、今は味覚障害等が実は日に日にひどくなり、クリニックには定期的通院中です。

まずはご挨拶だけの投稿にするつもりが、やはり長くなりますが、ここまでお読み下さりありがとうございます。2022年も何卒よろしくお願い申し上げます。


嗅覚と味覚はデルタ株発症中に一度失いましたが、数日で戻りました。
現在、嗅覚は有ります。
味覚障害的な症状ですが私の場合、何を食べても途中から何が何なのか全くわからなくなってきてしまいます。まずは食べ物に謝りたいです。

そして自分で作ったものは自分の責任ですが、たまに一人で外食の時は、その時に自分なりに完食出来そうな分量などを想像しながらです。
しかし生ビールなど(その他アルコールやノンアルコール、ソフトドリンクや、お水も)はさいごまで味を感じます(何か、すみません…)。そして自分なりに分量等を想像しながら注文したものは、お店では何故か味がわかり、さいごまでいただけます。



今月の、一部分です(スマホにて写)。

今の私はカフェなどで、前菜的なものは食べられます(食べ切れます)。
それだけでも、ありがたいです。


最初の2枚(一杯と一瓶)は、徒歩圏内にあるライブバーへ、バー営業の夜に一人で行ってみました(まん延防止等の以前です)。

今まで何百回何千回?!と大げさではなく事実、そのライブハウス・ライブバーの前の道を歩いてきました、入ってみたいなー、と思いながら。
そして先週初め、行きたいなら行けば良いというシンプルな行動に、やっと移しました。私は今まで何をしてきたのか…。

カウンターにおられる男性の店主さん、もうお一方、カウンターにおられる女性、他のお客様も皆さまお優しく、音楽や楽器のお話で、楽しかったです。

そういえば、そうです、「ヒューガルデンホワイト」、好きなんです。しかしお店でのんだのは何年ぶりでしょうか。嬉しかったです。

思い出しましたが、私はベルギービールの「デリリュウム・トレメンス」が好きで、最寄り駅のショッピングモールに以前、様々な世界中のビールとお料理のお店に何度か行った事を思い出しました。

数年前、そのお店は撤退されたのか定かではありませんが、今はそこに出店されていないお店の名前を失念しております。
あのようなお店に、また行きたいです。
先述の、ライブバー(ライブハウス)にもまた伺いたいです。


「デリリュウム・トレメンス」


デリリュウムの「象」さん、可愛いですね。
ショッピングモールにありましたそのお店では、各ビールのビールメーカーのグラスも出してくれます。象さんのかわいいグラスでまたのみたいです!


昨年12月には身体の痛みが無くなり、ライブに行けました。

その一回一回ごとのすべてが貴重で、すべてが違い、今、"何回"とも何となく言い表せないのですが、何回か伺えて本当に本当に嬉しかったです。
年が明けてからも行く事ができており、物凄く嬉しく有り難いです。

そして、泣きに行っているわけでは決して無いのに、ダメです我慢出来ないです、泣いちゃいます。
突如としてあふれます(そして実はその後、アイラインがとれていないか多少気になるのは本当です(こればかりは、致し方なく…))。

ライブの一瞬1音1拍すべてはその場限りのその音速、その瞬時の振動や響きは、二度と体感は出来ないわけです。

その尊さに、脈拍や血流がわきあがるように揺れ動き、二度と無い「時」を過ごす、それは私の人生になくてはならないのだと改めて気付きます。

新しい「アルトサックス」

楽器店にて、受け取りの際に。
セルマー・マークⅥ(米国買い付け依頼)、
YAMAHA、
そしてこの度は、YANAGISAWA。


昨年後半、痛みで身動きもままならぬ時を経て、オーダーしていたアルトサックスを、やっと楽器店に受け取りに行きました(お代はオーダー時に済ませてあります)。しかし段ボールに入ったまま、楽器店の貴重な"置き場所"にて私のアルトサックス分を占領してしまい、大変申し訳ありませんと謝りました。本当に失礼致しました。

21歳から始めたアルトサックス、途中、とてもとても長い年数、やめてしまっていました。
苦しいデルタ株発症中に「生きられたらアルトサックスをやろう」と決め、人生で3本めのアルトサックスですが前のアルトサックスも調整に出したく、そういえば私はクラリネットを持っています。
中学校の吹奏楽部に入った時、親が買ってくれたクラリネット、久々に楽器ケースを開けてみました。
久々過ぎて色々と外れてしまっている箇所もあり、クラリネットも調整に出したくなっています。


2020年初頭からの、この新型コロナというウィルス、世界中で多くのかなしみや苦しみをうみだしています。
実際に私自身も発症し、後遺症的症状は長引いています。

あくまでも私の場合においてという前提ですが、もう新型コロナについては本当にわけが分からなく、考えたくないとすら思います。
戦う術も無く新しい株や第何波など、抗えなく見えぬものにその都度、恐怖や不安を感じたくありません。

私の現在の味覚障害的な症状も、本当にデルタ株由来なのか、真実は不明ともいえます。
私が新型コロナについて何を考えようと何もわからないので、私なりの体感は、いきなり身近な現実味、私なりのノンフィクション世界でしか語れませんが、この味覚障害的な症状、本当に治りたいです。

理由は、いきなりまた私のノンフィクション世界内ですが、ライブハウス・ライブバーで「ごはん」を食べたいです。
何度か伺えていますライブハウス・ライブバーに、美味しそうなメニューがたくさんあります。

しかし今の私には味覚障害的な症状のため、もし注文しても食べ切る事は不可能という状態、申し訳無さすぎてとてもオーダーなどは、できません…。

自分で作ったものも、最初は「食べられそうだ」と思いながら作り、いざお皿に盛っても毎回残してしまいます(本当にすみません)。
しかも肝心なことは、全然痩せません…(以前から何回か嘆いてます)。

あ、でも以前、一度テイクアウトさせていただいた「シュークリーム」、そして大阪にてテイクアウトしました「特製おにぎり」、は、とても美味しくいただきました!

その頃は現在の味覚状態ではありません。
「シュークリーム」は、私は毎回必ずや伺いたい大好きな大切なイベントの、今や『銘菓』とお呼びしたいです。
今の味覚状態が改善したら、オーダーさせていただきたい魅力的なメニューばかり…、その時が本当にとても楽しみです。


2020年春から初めて「配信」にてライブ、様々な企画イベント的なもの、フェス、を視聴させて頂き、2020年11月初めて現地に伺えた時の忘れぬ感動。

2021年は、それまで配信にてライブを視聴してきましたライブハウスに何度か行けました。
私にとっては初めての少し遠出になる土地もあり、迷子になりながらも、一回行ってみたならば「全然、遠くない!」と実感しました。

ライブハウスへ実際に赴きそこで体感をし、ご挨拶をさせて頂き、CD購入時にあたたかなメッセージと共にサインを下さったり、そしてその街で過ごす時間…、
「遠い場所」という幻の距離感はすぐに消えました。

そこに滞在している時はその街・土地に、私は存在しています。
その紛れもない事実が、奇跡にも思います。

ライブハウスに向かいながら、「ああ、私は、生きているなぁ」と毎回毎回毎回、感動します。
ライブハウスへの道中で既に感動感激で胸いっぱいなので、ステージが始まり何かの折に出てきてしまう涙を、もう止められなくなります。


今までの投稿で、私は私のノンフィクション全ては記入していませんが(私なりに、シビア過ぎて書けません…)、それなりにいつも何かと戦い・闘い、それは実存又は架空どちらか、もうそれすらわからなくなる程の満身創痍ピークが私の人生上、2020年初頭でした。

そして新型コロナ禍にて、それ迄の私の戦い・闘いは何だったのだろうと、燃え尽き崩れ落ち灰色の塵の中、それでも元来は気力体力は持っていた筈の私です。
以前の投稿にも書きましたが、動けなく横になりながらも、さてと、ご縁を持たずにいたSNSというものを始めてみようか…、その2020年3月、そして2022年現在。
言い表せず、言い尽くせません。

2020年初頭の「引っ越し」は、ノンフィクション(シビア…)な目的の為の引っ越しでした。
私がコロナ禍と共に崩れ落ちた原因、その大半を占める理由は、2019年から進めてきたその"目的"を、このコロナ禍の下、果たせないという"当時"のショックからでした。

そしてこれも以前記入しましたが、2020年初頭の引っ越し時から、いまだに開梱していない段ボールが様々な場所に積まれています(積んであります)。
テトリスが好きなので、積んでありますが破壊したくなります(と、いきなり物騒な…)。

2022年、まずは積み上げられた(積んだのは私…)段ボールを、まずは開け、本格的に身辺整理していきましょう。
そして廃棄すべきは大量に処分し、行政機関のゴミ回収の方々にはお手数おかけする事を、まず心でお詫び申し上げます。
そしてフリマサイトなどがありますが、私は未体験です。わかりませんが、お売り出来そうな物は…、それを必要として下さる方がいらっしゃるならば、、、たくさんあります…、あり過ぎます。
あり過ぎて、想像だけで私の気力体力が既に保てません(どなたかに助けを求めたい程に…)。

話が逸れてきましたが、結論は「整理」です。

体調整理、脳内物質を整える、味覚状態を整えたい、思考を整理したい、焦らず余裕余白を整える、目的を整え直し現実化へ整わせる、色々を整理する。
戦い・闘いは己の内にて整理完結させる。

整え中の"方向音痴"は努力中なので、引き続き努力してみます。
乗換案内とマップと時刻や宿などを見比べたりシミュレーションしていると、何かの催眠にかかったかのように、パタンと眠ってしまう事が、私は時々あります。脳内オーバーヒートなのか、何なのか。

最近、新型コロナ後遺症的症状として「ブレインフォグ」などという言葉を見聞きしましたが、へぇー…としか感じられず。
なぜなら私は元々大概、フォグのような感じではないでしょうか、何となく…。
その反対の時は頑張り過ぎ屋さんになり切り(演じ切り)ヘトヘトに、と極端から極端へ移動しか出来ず、自己調整=整理が出来ません。

色々と整理をしていけば、中庸という感覚を会得するのかも知れませんが、すると、私が私らしさを失う。
整理をしていきながらも、私は私らしさ(自覚している部分)は失わず、私の無自覚な私らしさに苦手・嫌だなと思われてしまっても、もう仕方がないといいましょうか、もうわかりません。

2020年から2021年、色々ありましたが、その時は本当に参ってしまったり反撃的にもなったり、でももういいのです。
それらにつき合うヒマなど必要無く、その土俵に無理やり引きずり降ろしたいと思われたなら、そう思わせてしまったのはあちら側の内に存在する「何か」、でしょうから、私は私という場所に立ち続けるしかない…、

ネガティブ内容かも知れませんが、多々ありましたそれらは整理というより、ポジティブに放棄、失えば良いのです。

必要なもの、必要だと思い込んていたものは、たくさんあります。開梱していない積んだ段ボールのように、もう抱え切れないのならば、整理をしていくしか無いのです。

私にとりまして嫌な思い出、そうせざるを得なかったと後付理由の結果状況、それらをも抱え込んできた事に気付いてきたというか、義務感を過大評価し過ぎ、己を追い込み段ボールを積み上げ、そこを都合良くなのか悪くなのか、隠れ場所にしていた気もします。


2021年「生きられました」、2022年「生き直したい」です。

2020年から2021年、想えば私は私を取り戻したくてたまらなくなり、本来からの私という者を取り戻す事に必死になっていた感もあります。
そしてそれは何とか、取り戻しつつ、にまではなりました、なれました。

今からは、私が私であるここからの人生に、伸びしろを持ちながら楽しく成長していきたい。
苦しいから成長できるとは、もう思いたくない。

私はこのままの私のままでは、いつ死んでも死にきれません。

デルタ株発症中に私のノンフィクション内で、高熱ながらも実は色々シビア内容に試みました。その時は失敗に終わりました。
今のままでは、死ねません。

生きていられるならば、私は微笑みながら、生き抜きたいです。
やっと「泣く」ことができるようになった2021年。
2022年は「微笑みたい」です。
もちろん爆笑や大爆笑も良いですが、その場限りの笑いではなく、ふんわりと笑みが浮かび続けるような柔らかな優しい部分、それは私に欠落している部分かと思うのです。

と入力しながら、このように強く書き連ねている私は既に"ふんわりと優しい雰囲気"から、どんどんどんどんかけ離れていく矛盾…。
ないものねだりなのか、、、結局、周回しているだけという。

年齢と体験経験を重ねてきましたが、その重ね部分の本質が「雰囲気」となって表出化されゆく年代にもなろうかと(一般的には)思ったりも時にはします、あまり自覚なしのいくら私でも。

ならば、何となく居心地の良い、何となく柔らかそうな、何となく微笑むような、そういうイメージに私は憧れます。
でも、やるときはやる全力で、はもう物心ついてからの性分なので、活かすべき時に活かしたいです。


今の味覚状態に喝を入れたいです。
2010年からの私は何かの罪滅ぼし的な、何か十字架を背負い、この先、私は楽しんではいけない、楽しむことを享受してはならない、苦しみながら頑張り続けるしかない、と勝手に義務化し実行してきました。

友人と呑みに行ったり集まったりの時は勿論楽しかったのですが、そういう時にも常に重い鎖で自らを停泊させる事をやめません。
もうそんな鎖は錆びついた単なる紐ですから、切ります。

○○が辛かったから、○○で苦しい経験したから、○○で後悔したから、だからこれからはよくなるはずだという交換条件みたいな都合のよい考えもありません。

とりあえず私は、突然ですが、ラーメン屋さんのラーメンを食べてみたいです。
2010年以来、一度もラーメン屋さん又は中華料理屋さんなどで、ラーメンを本当に一度も食べていません(自宅でインスタントラーメンは勿論あります)。

又は、ネパール料理屋さんやペルー料理のお店、タイ料理、近隣にたくさんありますから、行きたいです。

もしかしたら味覚状態が、その刺激から覚醒するかもしれません。
ただ、一人で食べ切る自信が無いので悩ましいです。

少しずつ 少しずつ、昨日より今日を明日を、重ねて進んで笑みを浮かべたいです。
柔らかい人柄を身にまといたいです。

親しさやフランクさみたいなものを中々私は表現出来ず、ついついやたら丁寧語を重ねてしまったり、その場その場に中々馴染みながら入っていくことが苦手な私ですが(しかしあまりそうは見られないらしいです…)、勇気を出してすんなりと楽しんでいけるようになりたいです。

サックス、楽しく、続けていきます。
生き方、楽しく、続けていきます。
「大切」を、大切にし続けていきます。


ここまでお読み下さりありがとうございます。
いつも「スキ♡」をいただきまして本当にありがとうございます。
投稿を習慣化出来ていない私ですが、今できる方法を考えながら、少しずつ参ります。
これからも何卒よろしくお願い申し上げます。
素晴らしき2022年を、お過ごし下さいますことを祈念いたします。さやか

2021年末、新幹線車窓からの富士山。


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