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そのとき、私はどんな顔をするのだろう。

やわらかなオレンジの照明の下で、大型モニターに映し出されるアクアリウムの映像。薄暗い天井には天の川を模したウォールステッカー。

2022年7月14日 朝8時27分。
娘の顔を見た私はぼろぼろと大粒の涙をこぼした。
すぐにカンガルーケアで分娩台の上で抱っこし、初乳をくわえさせる。ようやく対面したわが子を慈しむ、ごくありふれた出産シーンだ。

それから1年2ヶ月後。
同じ病院だが、1年前とは違う無機質な青白い照明。
薬品の匂いとステンレスが擦れ合う金属音。
私は横の古びた壁を眺めていた。
早く意識がなくなることを願って、暗い色をした血飛沫の跡が残る壁を。

2023年10月1日 21時55分、男児を出産した。
意識がある状態で内臓をいじられる感覚は気持ちのいいもんじゃない。
助産師さんがタオルに包まった赤子を顔の横に寄せてくれたが、その顔にはモヤがかかっている。思い出せない。

一瞬だった。息子との対面は。
産後の抗原検査で新型コロナ陽性が判明した私はそこから徹底した母子分離。
5日間個室から出られず、息子を新生児室のガラス越しに見ることも許されなかった。

意外だったのが、感傷的にならなかったこと。
時折聞こえる新生児の泣き声や、面会に来た男性の声、子供のはしゃぐ声。外の世界の音を聞けば取り残されてうらやむ気持ちになるかと思いきや、心の海は驚くほど凪いでいた。

帝王切開の術後は創部はもちろんのこと、子宮収縮による後陣痛、麻酔の副作用による頭痛、母乳分泌に備えた乳管拡張の痛みと、あらゆるところが時間差で痛み出す。
点滴や薬の影響で頭も回らないし、睡眠も満足にとれず自分のケアで精一杯だ。41歳、それなりの高齢出産に耐えた体を労わってやりたい。
だから完全母子分離はありがたかった。
息子は世界一安全な場所にいる。
それだけで、安心して休めた。

1日1回はナースに息子の写真や動画を撮ってもらうが、毎日同じ寝顔だ。
目を開けたところは見たことがない。
抱っこも授乳もないせいか、自分ごとのような気がしないのだ。
息子と書いているが、わが子という愛着が形成されていないので、情緒的な絆もあまり感じられていない。
親子なのにどこか他人。距離がある。
不思議なもので。

2023年10月6日。
隔離期間は今日まで。
明日、私は初めて自分の息子に会う。

そのとき、私はどんな顔をするのだろう。

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