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女性であるということ

PRディレクターのさやです。

アイスが食べたい欲をアイスカフェラテで誤魔化しながらこのnoteを書いています。#ブラックコーヒーは飲めません。

さて、今日は国際ガールズデーにちなんで自分が女性であることについて考察してみようと思います。正直あまりジェンダー論について積極的に語りたいという願望はないのですが、自分自身が性に対してどのように考えているか内省するいい機会だと思ったので書いてみようと思います。

女性であるということ

みなさんはご自分の性に対して、考えてみたことはあるでしょうか。私自身、自分が女性であることに対して、何らかの不公平さや居心地の悪さを感じたことはほとんどありません。唯一ヒッチハイクをするのが怖く、男性であればその怖さはだいぶ軽減されるなと思うくらいです(個人的主観です)。むしろ女性でよかったと思うことの方が個人的には多いです。メイクで大幅に見た目をアップデートすることもできるし、出産することもできる。実際に出産するか否かは個人の選択で、どちらの選択も素晴らしいと思いますが、その選択肢があることがいいなと純粋に思ったりします。私個人の自分の性に対する考えとは別ですが、私は性別やLGBTQに対する差別は断固として反対です。

LGBTQに関わらず、私はあらゆるすべての差別に対して明確に反対なのですが、これには私の小学生の頃の経験が影響しています。私が通っていた小学校は中学受験をするのが当たり前で、クラスの全員が塾に通っていました。通っている塾もほとんど全員同じだったので、塾のクラス分けもお互い分かっているわけです。私は当時全部で6個あるクラスのうち、下から2つ目のクラスにいました。今思うと私が少し変わっているのかもしれませんが、全くクラスの順位なんて気にしていなかったんですね。実は一つ上のクラスにもあがれたのですが、クラスの友達が好きだという理由だけで、上がることを辞退して、下から2番目のクラスでのびのび楽しく勉強していました。

そんな状況の中で、いつものように学校で授業を受けていた時、隣の席の男の子がある問題に対して悩んでいる様子だったので、「たぶん答えはこんな感じなんじゃないかな」と話しかけたんです。するとその子に「塾のクラスが下のやつは,でしゃばるな」と言われたんですね。一瞬何を言われたのかわからないくらいの衝撃で本当にびっくりしました。すごくショックでした。たかが塾のクラスだけで人のことを判断しているのが驚きだったし、そのような価値観を押し付けられることに対する強烈な拒絶とショックが私の根本的な経験としてあります。

学力の部分を性別に言い換えてみると、「女は,でしゃばるな」となり、言われたらものすごく不愉快です。私の場合は(塾においてだけの)学力が理由でしたが、今も性別やLGBTQに対する差別が根強くあり、「女のくせにでしゃばんな」という価値観をずっと押し付けられている人がたくさんいるのだと思います。自分が差別を受けた経験があるからこそ、それがどれだけ不愉快で個人の存在否定に繋がるか身をもって知ったからこそ、本当にそのような差別がなくなることを強く望んでいます。

今日は国際ガールズデー

ガールズデーという名前の通り、女性というよりも思春期の少女たちにフォーカスをあてた国際デーです。職業選択の規制など、世界では少女たちの人権が保護されていないケースがまだまだ多くあるのが現状です。この国際デーはそんな少女たちが当たり前に基本的自由と人権を享受できるようにするための行動の日なのです。

まとめ

今日は国際ガールズデーだったので、女性にフォーカスをあてましたが、性別に関わらず、誰もが自分が自分であることに誇りと自信を持てる世界であるように強く願っています。今日もご精読いただきありがとうございました。感謝を込めて。



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