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【トリプルネガティブ乳がん闘病記】②急に深刻に

頻繁に遊んでいる幼馴染3人と、会社の友達ひとりには連絡した。皆一様に、詳細が分からない以上ひとまず2月10日まで待とう!と言ってくれた。
コロナも落ち着き会社の規定は”週に2日はWork from home可”だったので、まったく会社に行かないわたしは1週間くらいどうしようか考えたけど、結局”部下”である4名だけにはガンがみつかったことを報告した。同年代3名と31歳1名のチームだったが皆、ひっくり返るほど驚いていて、今後の予定が全く未定だけど手術となった場合は一定期間休職するかもしれない、というわたしの話をなんとか理解した様子。今具合は悪くないのか、と何度も聞いてくれた。具合は悪いのかどうかよく分からないけど、なんとなく病気モードにはなっている自分がいた。まあそんなことはお構いなしに仕事は忙しかった。
2月10日、病理詳細結果を聞きに大学病院へ。なにやら全体の10-20%しかない「トリプルネガティブ」というどれも”ネガティブ”反応の種類らしい。この種類は20%くらいの人がHBOCという遺伝性タイプらしく、それだった時は早いケースで2年でもう一方の胸や卵巣に転移するので検査をしたほうがいいと言われ、アンジェリーナジョリーがそれだと分かり予防で両胸切除したの知ってますよね?と。検査は任意らしいが別途血液採取することにした。親族に乳癌が見当たらないので、もし遺伝性だった場合は近い親族には知らせるかどうかも考えなければいけないんですよ、と詳細説明が記載されたパンフレットももらい、同意書にもサインした。そして手術より先に抗がん剤投与をすぐに始める、確か毎週だから仕事は考える必要あるかもですよ?、担当医は次から変わります、と説明された。抗がん剤って入院して受けるんですか?とすぐ聞くと、「いや、通院です」とすらっと返答。へー、なんかまったくなんだかわからんな、病理の報告書のコピーももらったし帰ったらすぐ色々調べよう。
血液を採取し、そのまま会計となった。ん?一桁違くない?6万???そんなにするなら先に説明しろよ!?出た出た、浮世離れの大学病院医師。。。帰りながら夫にLINEで概要を報告。すぐに抗がん剤が始まると書いたので「それまでに美味しいものいっぱい食べよう!今日千疋屋買ってこようか?」と精一杯優しい言葉を返してくれた。
家に帰って鬼のように検索をした。トリプルネガティブは抗がん剤しか治療方法がみつかっていない、遺伝性だった場合は両胸全摘出&早い段階で卵巣も切除する、2年間の再発率は他の乳癌タイプより高い、Stage1なら5年生存率90%、などなど。Stageを告げられていないけど、腫瘍の大きさとリンパ転移がないことからおそらくStage1Aだな、と自己解釈。それにしてもなにを調べても二言目には”予後が悪いとされている”と書いてある。そしてなにを調べてもおそらく最も厄介な乳癌的な説明。最初のころ考えていた”採って終わり”のタイプではない、なんで、なんでよりによってこんな面倒なガンなの!?遺伝性なの?あー、ほんとに抗がん剤やるなんて想定外、なんだよ。。。
2月14日に最終の担当医の外来に行く。ノーメイクで白髪も染めていない医療に夢中!という感じの同年代であろう女医。2月27日から2週に1回4クールで、ddAC療法という抗がん剤投与を行い、好中球が極端に減少するので翌々日に白血球維持の注射をします、とのこと。それが終わってから週1のパクリタキセルという種類を12回投与します。ddACの薬は副反応も強いので今週木曜日、薬剤師とよく話してください。約5か月間になりますけど「頑張りましょう!」と。何かあまり詳細を話し合う感じではなかった。夫が仕事の合間をぬってニトリで座椅子を買って来てくれた。ベッドで過ごすことが増えると想定して、起きたときに背もたれがある座椅子があるといいだろう、と。
家に帰って投与予定をベースにカレンダーのフォームに休暇予定と有給残を当て込み、いつから休職しなければならないか、の計算をしてみた。4月末からの週1の薬がどれくらいのものか次第で、4月末から休職するかも、という予定をたてる。4月からの新規有給はその後のためにあまり使わない計画だ。
早速日本人上司に電話をして今後の予定が決まったので投与週は休んで、翌週は様子を見て働いてみる、という話をする。が、そこで「こんなときで悪いんですけど、わたし来月いっぱいで退職するんですよ」と衝撃告白。58歳だがひとまずこの会社からはリタイヤして、何かまったく別の仕事をしてみようと思う、とのこと。頭の良い能力のある人だったが人に好かれないタイプで(わたしも正直嫌いだった、10年以上上司だったけど)ここ数年はすっかり窓際族、その決断は間違ってないな、と納得。後任も現行社員で物分かりの良いタイプなので、特に心配はないな、そもそも日本人上司は仕事でかかわりはないし、と気持ちは”スンっ”としていた。
その上司のすすめで人事担当者にメール連絡をする。この担当者、過去に2回、私の昇格にマイナスになる手配をしてきたいわば”敵”で相当嫌いな人なんだが、休職やら退職やらの担当者だから仕方がない。そして予測はしていたけど、これ、AIから送られた???っていう機械的な「休職時期が正式に決まりましたら改めてご連絡ください」と氷のごとく冷え切った返信が来た。つまり、会社は特にガン患者社員の就業に関するサポートは用意していない、ということ。ガンに関してチャリティー活動を熱心にやっている会社なので給付金プログラムや就業サポートプログラムがアメリカ主導(アメリカが本社の外資です)で用意されているのかと期待したわけですよ。外には寄付して寄付したことも宣伝しまくって、従業員がガンになってもほったらかしかいっっ、と会社にムカついてきたのと、対応が冷た過ぎる彼女にもやっぱりムカついてしまった。
そしてまずはddAC療法の抗がん剤(ドキソルビシン&シクロホスファミド)と好中球維持注射(ジーラスタ)の薬価を調べる。ドキソルビシン&シクロホスファミドで1万円弱、な、なんとジーラスタが3万4千円!2週に1回4万5千円くらいかあ。会社の従業員規定フォルダで休職についての詳細を読んだ、無給らしい。健康保険組合のホームページで傷病手当金や限度額適用認定証(収入レンジごとに窓口支払い限度額を指定できる認定証)に関して熟読した。標準報酬が高額所得者扱いのわたしは支払い限度額が高く、休職して傷病手当金をもらって治療を続けていくと保険料&住民税&厚生年金の控除が高すぎてお金ぎりぎり、えー!?
翌日なお詳細を聞きたくて健康保険組合に電話をする。高額医療費控除制度の設定額が高すぎてあまり意味をなさないんですけど。。と泣きつくと(泣いちゃいないが)、「うちの健保独自のサービスで、一定の金額以上であれば給付金という形で戻ってくるんですよ♪」と丁寧に教えてくれる。あ、これならいいや、やっていける、とやーっと安心する、時期が来たら休職しよーっと。
2月16日、病院で「オリエンテーション」という名前で薬剤師と看護師と、今後の話し合いがあった。夫も同席した。薬剤師曰く、吐き気はするかもだけど吐けません、とのこと。。。先月抗がん剤が始まると分かった時点でエチケット袋に密閉ゴミ箱を速攻用意したわたし、無駄な買い物をしてしまった。義母が投与中に手足を保冷剤で冷やすべきと言っているが、と聞くと、「あー、フローズングローブ?末端に薬がいかないように、ってことですけどわたし個人の考えではあまり効きませんよ」と。そして義母が勧めていた氷をなめて口を冷やす、のはこの薬のためではない、と一蹴。髪の毛は2〜4週間後から抜け始めるらしい。看護師からは食事は食べれるものを食べてください、生ものは感染症対策で控えてください、髪の毛が抜けるので寝るときにこういうネットを被るといいですよ、髪が抜けたら帽子やウイッグで対応してください、爪が黒ずむ場合があるのでマニキュア塗ったりもいいですね、とかの説明。しっかりしたホスピタリティもある看護師さんだった、聞きたいことは十分に話して帰ってきた。
髪は抜けたら坊主にすると決めていたのでウィッグは買わないつもり、バンダナもいっぱい持っているから始まってから買うものを色々考えよう、と気持ちは落ち着いてきた。
その週末から夫とできるかぎり食べたいものを食べに買いに行った。ハンバーグ、焼き肉、小籠包、とんかつ、ステーキ、カレー、寿司、マック、ケーキ。お気に入りの店は全制覇した。そんな中、実の両親に何も報告していないことを幼馴染に指摘され、しぶしぶまずはLINE、その後電話することにした。母は相当落ち込んでいたが説明を一生懸命聞いてくれた。父は「抗がん剤ってものは効かないことを分かっていてやると決めたんだよね?」といつもの通り面倒くさい物言いを始めたので、早々に電話を切った。夫にそのことを話すと「これから抗がん剤でガンを治そうとしているのにそんなことを言うなんで、ちょっと悪いけどふざけるな!って感じだよ」と激怒。まあ父にできれば報告したくなかった理由はそういうことよ。。。
たまたま誕生日が投与開始の直前で、誕生日に毎年連絡をくれる中高時代の同級生にも説明した。仕事をしながらやってみることに賛成してくれて、会ってもいいなら会いに行くから!と。なんかやる気が出た。


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