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ご先祖様のいる空間

水子供養の話を書くべしと調べていて、原稿に入れられなかったけど、学んだことに「祖先供養の変遷と霊友会系宗教の祖先観」というのがあった。

どういうことなのか、最初はさっぱりわからなかったけど、あるイメージが湧いてきて、ああと納得できた。

理想的農村の暮らしにおいては、祖先が選んだ屋敷地に祖先が建てた家で生まれ育ち、祖先が耕した田畑を耕し、祖先と同じ神社で祀りをする。そういう、祖先が作った小空間で、時折祖先のことを考え、祖先の思いが自分の周りのものに宿っているなあと感じつつ、感謝を述べて生きる。もう顔も名前もわからなくなってしまって、祖先としか表現できなくなっている過去の人々は、今、生きている自分とある意味家や畑を共有している隣人であり、尊敬と感謝を伝えれば、自分が暮らす小宇宙を守り続けてくれる。

それが明治ごろまでの祖先供養だとすると、そういう農村世界を離れて、都市の郊外に定住してしまった家族は、仏壇やお墓の新しい意味を見出さなくてはならなくなった。そこで、祖先そのものが変容したのだという。理性的に考えたら、仏壇も墓もやめてしまえばいいのだけど、未知の新しい世界で暮らすにあたって、お守りとして仏壇はあったほうが良かったろう。墓は将来行く場所として大事な存在だ。

こういう都市郊外に暮らす核家族に仏壇と墓の活用法を示してくれたのが霊友会系の宗教だったわけだ。ビジネス系成功思想とも響きあっている気がするが、顔も覚えているくらいの近い関係の祖先を供養することで幸せがやってくる、成功するというのはさぞかし魅力的だったんだろうなあ。

そういえば転勤族でサラリーマンとして成功した人間だった父も新宗教とは何の関係もなかったけど、祖先については(祖父が分家したからと言いながら)こんな感じだったなあ。亡くなった祖母(父には母)に毎朝お経を上げて、「おばあちゃんが守ってくれている」と何度も言っていた。一方、自分が暮らす地域に強い愛着を持つ気持ちがさっぱり理解できないようだった。

私自身は、自分が暮らす場所の歴史を知ることで、その空間の創造者であった「祖先」と交感できるような気がしている。記憶をたどると郷土史クラブの小学生だったころに郷土史研究家だった先生からいただいた感覚のような気がしている。転勤族の娘で育って、こういう考え方がどこからやってきたのか不思議だったんだけど、先生のお顔を思い出して、なんとなく納得した。

今暮らす隅田川沿いの町は、近世には農村と町の境目で、社会的には下層の人たちがなんとか住むことができた場所だった。その後工場が並ぶようになって、常磐線でやってきた石炭と人が流れ込んできた。社会の下支えになるような仕事をしながら人が暮らしてきた、洗練とは程遠いちょっと殺伐としたところもある場所だ。その殺伐さを感じるとき、空間と時を隔ててここを作ってきた人たちと何かをわかちあってる感触がある。それが好きだ。ここに暮らしていれば彼らが先祖になってくれるんだろうなあと思いを馳せる。私にはないものを持っているご先祖様である。


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