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スチール写真

明治時代、東京や横浜の庶民たちはエゲレス語で、犬はカメ、昼飯はサミチと言うのだと思っていたという話がある。カメはcome、サミチはsandwichだ。耳から入って日本語に定着した英語は、これほど極端ではなくても、今や「英語が読める民」となった私たちを混乱させるものが多い。

旅行英会話を教えていると、「スィーツって、甘いスィートなお部屋で新婚さん向きという意味ではなかったのですね」という感想をいただく。スィートルームはsuite room で続き部屋。寝室・居間・浴室のひと揃いが揃っているタイプの部屋のこと。洋服のスーツと同じ言葉。音楽の組曲もsuit と言うし、実は目にしていることも多い言葉だが、意識しないと気がつかないものなんだろう。

ミシンがsawing machine のマシンは、知っている人も多いだろうが、アイロンが鉄のアイアンそのもので、古くはflatironと呼ばれていたこと、アイロンをかけると言う動詞としてironが使われていて、ironing (アイロンをかける)という名詞があるところまで押さえている人は多くないはずだ。(さらに辞書をめくると、金属加工法にしごき加工というのがあり、これはアイオニングというのだという。)

鉄と言えば、steelもやっかいな言葉だ。カタカナになるときにstill(静止)とsteal(盗む)と混じってしまっているばかりか、訳語としても鉄と鋼が入り交じっている。未だにスチール写真、ホームスチールと聞くたびに頭の中でいくつものあり得ない映像が飛び交ってしまう。スチールギターがそのままsteelguiterであるのにはちょっと裏切られたような気がする。

こうした妙なカタカナ語の個人的ナンバーワンは「バールのようなもの」だ。泥棒がドアをこじ開けるバールのようなもの。それではバールって何だろう?

バールは工具の一種、棒状の大型の釘抜きのことなのだと言うが、それは英語では通常crowbarと呼ばれている。バールはどうやらbarのカタカナ表記らしいが、crowbar は古くはiron crow(カラスの頭のような形の鉄製用具)だったらしいので、barの部分で代表させようというバールはかなり的外れだ。しかもこの道具、泥棒が使うときには jimmy bar と言うことが多い。「バールのようなものでこじあける」は jimmy と言う動詞一つで足りる。昔、これを使いまくったジミーという泥棒でもいたのかと思いたくなるが、どうやらそうではないらしい。辞書を引くと、「押し上げ万力をjackと呼ぶのと同じ」と書いてあったりする。押し上げ万力はつまりジャッキだ。これも古いカタカナ化言葉だったりする。

J(ジェイ)繋がりでは、治具という、漢字化されてしまったものまである。本来は機械が動く,動き方を案内(規定する)する装置のことなのだが、具という漢字を使ったために、そういう装置を使ったり作ったりする工具のことまで含むようになってしまったらしい。lost in translation どころか、翻訳の迷路から生まれた言葉だ。

そういえば、国語学で絶賛される明治の漢語訳語もずいぶんと意味合いのずれを生じているものがある・・・というのはまたいずれ。 



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