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いろいろな思考 ロジカルとかマジカルとか

現実に錨を下ろす の続き。科学知識をもとに現実を見ることを覚えることを、組み立てると書いたけど、現実はそこにあるので、科学知識で織りなしたネットをかけて、それを手がかりにして、現実を理解していくという方が、的確かもしれない。

その時に使うのが論的思考ことロジカルシンキングだ。日本ではなぜかビジネスにおける問題解決法として就活生に教えるらしいけど、つまり、あまりに馴染みがないので、仕事をちゃんとするために教えなくてはならないってことなんだろう。確かに私が女だからということもあってか、「理屈っぽいのは嫌われるぞ」とか、「頭でっかち」とか「女は愛嬌でしょ」とか理屈は良くないというメッセージを乱発されてきた。たぶん男性は男性で、「理屈より実行」とか、「男のくせに細かい」「考えるよりやってみろ」とかいろいろ言われているんだろう。ツイッターを見てても、意見と事実の区別がついていないなあと思うことも多い。

一昔前なら「常識的に考える」は、大人の考え方として、ロジカルシンキングに近いものとして機能していた。明治以来の啓蒙的教育で、常識のうちの迷信と現実をわけた一般常識が出来上がっていたのだが、時代そのあたりを置き去りにしてずっと先に進んでしまって、逆にカオスが生じている。ポストモダンがフェイクの温床となったのも当然の帰結だったのだろう。

ロジカルシンキングは、事実は動かない、誰が見ても同じ、意見はその人のもので、人ごとに違うという前提で、共有できるのは事実ということを出発点にする。さらに、AであればBであるという因果関係も使っていくのだが、因果と相関の区別とか、論理の飛躍とか「ファラシー(論理的誤謬)」もたくさんあるので、学んで訓練を受けないとなかなか出来るようにはならない。就活対策だけでマスターしようとするのは、まず無理だし、ましてや大人になったら自然にできるようになるものでもないから、ちょっと意識して学んでみることをお勧めしたい。

ロジカルシンキングと正反対の考え方としてよく上げられるのはマジカルシンキングだ。魔法的思考と翻訳されることもあるが、私はここのところずっと呪術的思考と訳している。それぞれの文化の根っこのところにある古い信仰や受け継がれてきた道徳を元にしていて、おばあさんの知恵や母の教えも含まれているもの。人生がもっと短く、世界がもっと狭く、人間がもっと無力で世界の仕組みを知らなかっただった時代には役に立っていたけど、現代ではもう使えないものだと理解して、うっかり使わないようにした方がいい考え方だ。

日本は長い歴史を持っていて、1000年前の言葉も理解できる連続性があり、つい200年前までは封建制度が続いていた国だ。それは貴重で豊かなことなのだが、ちょっと強力すぎる呪術思考もしっかり続いている。私たちもまさか自分たちが未だに呪術を信じているとは意識していないから、うっかり呪術的思考に飲み込まれがちだ。新車のお祓いや受験の時の学業成就のお守り、厄払いなども宗教心というよりは呪術的思考に近い。

ロジカルシンキングは、実際に現実を動かすにはどうしたらいいかと考えるが(これがビジネスに必須と言われる所以かもしれない)マジカルシンキングは、こうしたいと願うだけで終わりがちだ。本当に魔法があるなら実現するだろうけど、あいにくと現実は魔法では動かない。絶対に試験に合格するぞと誓ったところで、戦略的な勉強を続けなければ合格は無理だ。だが、誓うこと(儀式)がすごく大事だと思っていたら、呪術的思考にだいぶ染められている。

物事を理解するときも呪術的思考はやっかいだ。「直感的にぱっとわかる」のはたいがい呪術的思考を使っている。呪術的思考は、人間の生得的な思考のくせに沿って出来上がっている。人間は自分の思考パターンや予想などを実際の経験で補正していくのだが、同時に思考のバイアスも強化されていく。ロジカルにはありえない偶然の結果であっても「やっぱり」という体験に変換されて、良いことをすればよい結果につながる、悪いことを考えると失敗する、昔の人は偉かった、今の若いものは情けないなどの「信心」を強化していくことになる。セレブと呼ばれるような恵まれた立場の人たちや、生活に困らない主婦が呪術的思考にはまりやすいのも、世の中の理不尽に直面することが少ないからかもしれない。

呪術的思考で失敗せずに世の中をうまく乗り切っていけるのは、かなりラッキーなことだ。セレブではない身なので、つい呪術的思考に流れがちな自分の思考の手綱を引き締めていくわけだが、これは自然の流れに逆らうことになるので、ちょっとしんどい。これもまた、世界の理不尽の一つだ。

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