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東日本大震災から13年の釜石

釜石にいる年は例年、鵜住居の祈りのパークに献花に行く。今年も、祈りのパークに献花をしに来た人の多くは、慰霊碑の前に立ち、誰かの名前を刻んだ銘板の前に白い菊を手向けて手を合わせていた。
震災前、釜石にゆかりがあったわけではない私は、千人の方々の冥福を祈るために毎年、正面のあたりに立ち、花を供える。

毎年、同じ光景を見てきたはずなのに、今年はなぜかそのことが夜になっても心に残った。

このまちには、私の大切な人たちがいて、その人たちが大切に思っている失われた命がたくさんあるのだということ

そういったいとなみが何百年何千年と繰り返されて今の三陸があり、日本があるのだということ

震災を伝承していこうという思いは、祈りなのだということ

毎年、自分の中でおのずとフォーカスされるテーマが違い、釜石で迎える10回目の3月11日にあらためて考えることがあった。

追悼式で遺族代表の佐々木さん(知り合いの夫さん)は「震災を体験した自分たちが語り続けることによって、経験していない世代の伝承を阻むことがあってはならない」(意訳)という強いメッセージを込めていた。

だから、式典で自分が挨拶することも最初断ろうと思ったが、このメッセージを伝えるために引き受けた。そんな覚悟が伝わる挨拶だった。

震災から13年がたち、復興工事は終わり、この地域で暮らす人たちのライフステージが変わり、経済的な環境も差が広がったように思う。震災と復興への捉え方も本当に人それぞれだ。
ゴールとしていた「復興」の目途がついたからこそ、それぞれの心の中には、プラスであれマイナスであれ、復興を評価して区切りをつけたいような思いもあるだろう。

能登半島地震の報道で「東日本大震災からの教訓」という言い回しをよく聞く。正直、何を教訓としたらよいのだろうと思う。
しかし、一つだけ言えることは、穏やかな日常が明日は来ないかもしれないという気持ちで、この日常を大切に生きていきたいと思う。
三陸はそういうことを教えてくれる土地だ。

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