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他人にどう思われても

私がここに書いていることを読んだ誰かに、「浅いなあ」と思われることもあるかもしれない。と、ふと思った。そう思うのは、できれば「深いなあ」と思われたいからなのだろう。

でも、どう思われたっていいじゃないか。と、すぐ思った。ここに書くような私が感じたことは、私のために感じられたことであって、他の誰かのためのものではない。だから、感じたことに対して、他人の評価は関係がないのだ。浅かろうが、深かろうが、私がそう感じたという事実を書いただけで。

では、自分しか読まない日記帳にでも書いておけばいいのではないか。それをあえて公開で書くからには、何らかの望みは捨てきれていないのだ。それは何か。ひょっとしたら、私の書いたものを読んだ誰かが、何かを思ってくれるかもしれないという期待だ。

誰かが何かを思ってくれるのならば、それが「浅いなあ」という感想であっても嬉しいということになる。どんな酷い感情であっても、何かを思ってくれた、そのことが喜びになるはずだ。

だが、酷い感情を文字として可視化してぶつけることは遠慮していただけると幸いである。さすがにそれは厳しい。何かを思ってくれたことに対してはお礼を述べたいのだが。

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