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推しメンバーを決めることが、沼への入り口

推しアイドルグループが雑誌に掲載されているというので、その雑誌を買おうと思った。こういったアイドル系雑誌は、私はセブンネットで注文してセブン-イレブンで受け取ることが多い。目的の雑誌の表紙と特集は、別のグループであったが、私はこのグループも好きである。ただ「推し」と言えるほどではなく、何曲か好きな曲がある程度だ。

雑誌には特典が付いているようであった。それは表紙を飾るグループのメンバー分あった。好きな特典を選べる。どうしよう。推しと言えるほどではないグループなので、推しのメンバー(以下、推しメン)もいないのだ。

いや、あえて推しメンを決めていないのである。私の中では「推し」という単語は、「他よりも特別に推薦する」存在に対して使う言葉である。なので、私の使用法でいくと本来ならば、特別な一人(一団体)に使うような言葉なのである。しかし、ここ数年の私は、興味のままに推しを増やしすぎてしまった。いわゆるDD、誰でも大好きだ。結果として、時間もお金も足りず、その中の誰も十分に推せていない。それでは「推し」の意味がない。

よって最近は、あまり軽々しく「推し」という言葉を使わないようにして、推しをなるべく増やさず、一番の推しであるところの「最推し」もそうとは明言せずに推している。なのだが、特典をもらえるなら、ちょっとでも好きな感じのメンバーのものがいいな……。そう思ってしまった私は、そのグループのMVをじっくりと見た。気になるメンバーがいた。よし、このメンバーの特典が付いた雑誌を買おう。

さて、注文した雑誌を受け取り、中身を見た。表紙と特集のグループの記事も見た。そこで、特典に選んだメンバーの発言や写真などを中心に見てしまっている自分に気付いた。その人を強く意識してしまっている。推しメンだと決めたことにより、その人に目が向くようになり、情報を追い、追い掛けるほどにその人の魅力に気付いてくようになる。そこからはもう止められない。ずぶずぶと沼にはまっていくのみである。

沼にはまることを避けるためにあえて推しメンを決めていなかった私は、正しかった。でも「好き」な気持ちっていくらあってもいいものでは……。いや、「推し増し」は推される側には喜ばれない行為であろうし、「推し変」などしようものなら……。だけどもう沼から足が抜けないんだ。

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