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人間は時に勝利する(ペンタゴン・ペーパーズ/ザ・シークレットマン感想)

「報道機関は国民に仕える者であり、政権や政治に仕える者ではない」

これがスクリーンで電話越しに語られた時、私は完全に一人で拍手していました(勿論音は立てなかったけれど)。こんなに美しい勝利があるかと思うぐらい美しかった。

ペンタゴン・ペーパーズはさすがに、さすがとしかいいようのない、なんというかもうぐうの音も出ない完璧さでした。トムハンとメリル様のもうなんかこれ生きてる本人じゃないのかというぐらい自然な演技が凄まじく、そして相変わらずのスピルバーグ節に、なんかもう参ったごちそうさま!!!という感じでした。

ペンタゴン・ペーパーズは、たとえば女性問題や、政治問題等色々なテーマを含めて示唆に富んでおり、もういいから見ておけ大切な映画だ!!としかいいようがない。

CMを沢山やっていたので、もしかしたら、メリル様という強い女性が、オラァっていう映画に見えるかも知れませんが、彼女は、女性なんか後ろで引っ込んでろ(これが、実はもう一人の主人公であるトムハン演じるベン・ブラッドリーもずっとそういう態度なのがまた上手い(後半は信頼で結ばれていくのが分かりますが))、という時代に、たまたま主婦だったのに、女社長になっちゃいました…という困惑をずっと醸し出していて、そこが本当に素晴らしい。「やるのよ!!」ではない、そこにカタルシスはなくて、何回も、震えながら「いいわよ、やって…」とか細い声で、あの決定を下すところ、なんて素晴らしいんだろうと思いました。

女性活用が叫ばれる中、男社会にいきなり放り込まれ、道を切りひらなければならなかった今の30~40代女性にも見て欲しい。多分5年か10年前の自分を支える映画だと思います。

とにかく色々なテーマを含めた映画であると思いますが、最後は、映画を見ている観客と、主人公たちに静かで美しい勝利を残していくのですが、本当にスピルバーグだなあと幸せになりました。

この監督は、「それでも人間には価値があるし、善いことができる」という視点を持っている気がして、自分はどうやら非常にここが性が合い、幸せな気分になるんですよね。レディプレでも同じことを思いました。

というか、70代のおじいちゃんが毎年こんなどえらいもん出してるんですけど、なんなんだえらいこっちゃ…。たのむから今から生き急がないで欲しい。もうちょっとあなたの映画が見たい。いや毎年出してくれてもいいけどさw

ところで、ペンタゴン・ペーパーズが、ベトナム戦争に対するニクソン大統領・政権への批判の話であり、続きの事件としてウォーターゲート事件があって、それでニクソンは完全に失墜するわけですが、その続きの話が、「ザ・シークレットマン」になります。

これ、アメリカでは、公開が2017年9月で、ペンタゴンが2017年12月公開のようなので、やはり日本と同じように、ザ・シークレットマン→ペンタゴンの順で続けて公開したんですね。

正直脱力する邦題なので、もうちょいなんとかならんかったんか…と思うんですがw自分も何の前知識もなく、百杯食べてもいいリーアム・ニーソンなので見に行ったというところがあり、もうちょい…もうちょいなんか宣伝を…と思ったんですけどね…それか、日本ではペンタゴンと同時にやるとかですね…何しろ私も、ウォーターゲート事件なんてなんだっけ??ニクソンってなんだっけ??状態なわけで…

スピルバーグが、もう間違いない美味しいご飯なら、まあこちらの方は、ひたすらリーアム・ニーソンをいかに美しくかっこよく見せるかに命賭けているような映画で、私は大変好みだったんですけど、人によっては、なんかリーアム・ニーソンの顔しか見た気がしないっていう感想になる気はするんですが、とにかく私は大満足でした。あの銀髪のリーアムニーソンの苦悩に満ちた美しい横顔がうつる度に「オッシャアアアア」ってなりますもんね。しょうがないですね。

これは、ペンタゴン・ペーパーズで、ベトナム戦争の失敗の隠蔽が明らかになり、政治への信頼が失墜し、ニクソンがさらなる報復をしようとして失敗したウォータゲート事件について、やはり同じように政権が圧力をかけもみ消そうとしたところを、当時のFBIマーク・フェルト(当時は、ディープ・スロートと名付けられた謎の人物※おっさんにやにやしちゃだめだ!)が、FBIに対する圧力に屈せず、密かにワシントン・ポストにリークし、報道されることで、結果ニクソンを辞任追い込むという話です。

つまり、ワシントン・ポストが、ペンタゴン・ペーパーズで、勝利を勝ち取っていたからこそ、マーク・フェルトが、さらなる政治圧力に対し、彼らにリークできたという続きの話なんですよね。

これが、連続で映画として公開されるという素晴らしさ。これだけで、「俺達は飼い慣らされているだけの羊じゃねえぞ」という映画界からの殴り込みだと心強く思います。

ザ・シークレットマンのマーク・フェルトも、ペンタゴン・ペーパーズのケイも、組織への圧力と大切な人達へのリスクとの狭間で悩み、それでも、人間は本来どうあるべきなのか、というところを曲げることはできず、行動に移します。

人間は人間同士で戦うし、間違ったこともするし、同じ人間を傷つけるし、とかく愚かですが、時に、人権という、最も大切な価値を守る為に、団結し立ち上がることができるのだ、という善性を、ひとつは、最早完璧なシナリオ構成とカメラワークと演技派俳優たちの映画で、ひとつは、リーアム・ニーソンを中心としてひたすら余計なものを削ぎ落とし、抑えた映画で続けて見られたというのは、非常に幸せなことでした。

これ余談で、自分でもパンフレット見て、めちゃくちゃびっくりしたのですが、この二つの映画どちらも、ブルース・グリーンウッド(とても美しい顔のおじさまですよ…)が出ているんですよ。

ペンタゴン・ペーパーズではいわゆる敵方(といっていいものかはあれですが)のマクマナラ(隠蔽した国防長官)として、ザ・シークレットマンでは味方のサンディ・スミス(リーク先のタイム誌の記者)として。

これを発見した瞬間、うぇええと思い、この二つの映画が連続しているのは、間違いないなのだと思いました。

勿論、ペンタゴン・ペーパーズが、ラスト、あえて、ウォーターゲート事件の始まりで、ブツっと終わるところも、まさに、ザ・シークレットマンと連携して殴り込むぞというメッセージが見えて(勿論意図したものはないのかもしれませんが)、最高に興奮しました。

日本では、もう、ザ・シークレットマンは終わってしまっているので、このカタルシスを経験するのは、たまたま、ザ・シークレットマンという全く映画の内容が分からん脱力系邦題にもめげずに見に行った人たちだけ、なのがちょっともったいないのですが…w

いずれにしても、権力というものが膨張しつつある今こそ、我々市民が政権を監視しなければならない(これが失敗した未来がVフォー・ヴェンデッタですね、あれもいいぞ)、という強い決意と、それでも人間は時に、美しい勝利のために戦えるのだから、生きる価値がある、という救いの物語を、ぜひ、見ておくべきだと心から思います。

#映画 #ペンタゴンペーパーズ   #ザシークレットマン

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