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「安定」なんてクソくらえ

私は昨年2020年からコロナ禍の影響を懸念してハンドメイド作家として以外に社会人として働いています。

大学中退後、ハンドメイド作家として駆け出しをしながら様々なアルバイトをしてきました。

ハンドメイド作家はもちろん自分の実力や頑張りで利益が決まるし、アルバイトもシフト制なので出勤する時間によって給与が変動する。
いまの仕事になって初めて「固定の月給」を頂くことを経験し「これが安定というやつか」なんて感動した事を今でも鮮明に覚えています。

どんなに祝日があっても同じ給与が貰えたり、有給をとりやすい環境だったり、僅かではあるもののボーナスを頂けたり、保険料も社会保険なら半分会社が払ってくれるし…何だか本当に凄いなぁなんていわゆる「安定」に感謝をし続けていました。


しかし、最近はその「安定」を自ら手放そうか否かでずっと悩んでいる自分がいるのです。

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契約上は現在の勤め先に来年も居られるのですが、それに何となく違和感や疑問を抱いてしまっている。
もちろん来年も続ければ今手に入れている「安定」を手放さなくてもいい。一方で、私は安定と引き換えに「とても大切なもの」を捧げているのです。

それは  「自分の体力と時間」


こんなの労働をする上では当たり前な方程式なのですが、考えれば考えるほど私にとっては難題なのです。なぜなら、ハンドメイド作家として活動する体力や時間さえも捧げてしまっているから。

もちろん今でもハンドメイド作家として委託販売や対面イベント等の活動を続けていますが、労働による体力や時間の不足で100%納得のいく活動を出来ていない状況が続いています。そんな自分にずっとずっと嫌気がさしていて「なんでもっと頑張れないんだろう」なんて自責の念を心の片隅に抱え続けているのです。

すなわち 「経済的な安定を得る代わりに精神的な安定を失っている」という訳です。

もちろん、どちらの安定も自分が生きるために欠かせないものです。両者を天秤にかける行為自体が間違っているのかもしれません。(だからこそ決断を出来ずにずっと悩み続けている)


でも、やっぱり私は
ハンドメイド作家として一人の活動者として自由に生きていきたい

その想いがとても強いのです。

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一方で、「コロナ第6波がいずれはやってくる」「経済的なダメージがこの後続くだろう」そんな風に乗って耳に届いてくる脅し文句に震えてる自分もいるのです。

けれどきっと「本来の私」ならば、こう声をかけるでしょう。
「その不安って本当に当たるの?その不安を回避する手段を自分で持ち合わせればいいんじゃないの?」と。



こうしてnoteを書いているうちに、段々と決意が固まってきました。

私はわたしの持つ体力や時間を思う存分「自由な活動」に費やして生きていきたい


もしかしたら、半年後に泣いて後悔するのかもしれません。けれどぼんやりモヤのかかった恐怖に自分の意志を殺される方が私にとってはよっぽど辛いのかもしれない。


もちろん今の「安定」には感謝の気持ちがいっぱいでたくさん救われたけれど、

新しい年は 「安定なんてクソくらえ」

そんな心意気で生きていきたいなって思っています。


sayamo

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【関連note】


最後まで読んでくださりありがとうございます!