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#291 山頂からの景色

引越しの日をあっと言う間に迎えた。11カ月必死に新聞配達と受験勉強を両立していた日々も終わりとなった。
最小限の荷物で北海道より来たので、引越し作業はさほど時間が掛からず進行した。引越しトラックにそのまま乗せてもらい、東京都板橋区の実家へ向かった。川口から赤羽に繋がる新荒川大橋を渡った時、京浜東北線が走るのを見た。予備校へ通うのに何百回と乗った電車の一つだ。
赤羽駅での京浜東北線から埼京線に乗り換える時の連絡通路の縦断が思い起こされた。物凄い数の人が移動し、上京当初はこの先やっていけるのだろうかと圧倒されたのが懐かしく思えた。台風で荒れた河川の様な人波に入ることも無くなる。最大乗車率が250%を超えていた埼京線。
僕はこの一年の軌跡を少しだけ振り返ることができた。
引越し作業から移動までが慌ただしく進んだので、深い感慨に耽る間もなく実家に着いた。
僕はとても穏やかで落ち着いた気持ちだった。晴れ晴れしい気持ちに辿り着け、この2年間が報われた気がした。
浪人を覚悟した当初は1年計画で猛烈に勉強をしたが、後一歩及ばずで2浪目に突入。深夜の新聞配達と睡眠時間、勉強時間の確保の為、もがきながら乗り越えられた2浪目。最後まで納得のいく時間確保には至らなかった。
とは言え2年間に渡る浪人生活にようやくピリオドを打つことができた。
家族や配達員の方々等々支えて貰い、なんとか合格という一つの山を登り切ることができた。たくさんの苦難にも滅入ることなく、登頂できたのは早稲田大学へ入ってラグビーで高みを極めるんだという強い思いに他ならなかった。
数日後には1年振りとなる地元北海道へ行くことになっていた。
1週間位滞在予定だった。そこで小学生時代からの悪友達と再会予定だった。高校ラグビー部の監督にも挨拶に行かなければならない。
久々の帰北とこれから始まる新生活に対し、期待と希望で満ち溢れていた。
これまで寒い日々が続いていたが3月に入り、春の到来を感じさせてくれる暖かい日が少しづつ増えていた。
これから最高気温が東京の最低気温よりも低い地元へ帰った際に見舞われることは想像もしていなかった。
続く….


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