(読書記録)読書する人だけがたどり着ける場所 by 齋藤孝

読書そのものに関する本を時々手に取るのは、ただ単にモチベーションを保ちたいという意味もあるが、今まであまり本を読んでこなかった自分に対する戒めの意味も込めている。

実際、読書を頻繁にするようになって感じるが、自分の性格に適していると思う。
人とあまり表立って会話をするタイプではないし、一対一が1番心地よい私にとっては、色々な著者と本を通して貴重な話を見聞きし、時に対話をする事は理にかなっている。

今回、この本からいいなと思った箇所をピックアップして残しておきたい思う。


読書は体験であり、実際体験している時のような脳の動きを読書中もしているという話がある。
→ただ字面を追うだけの無機質な活動のように思えるけれど、その世界に没入すれば、実体験並みに刺激を受けている可能性が高いのは、目から鱗だった。

知識、思考を深める事で人格に深みが出る。
→子育て中に読書をもっとしておけば、怒りっぽさも少しは軽減できたかもしれない。視野が狭くなると選択肢が少なくなり、本当はもっと色んなやり方があるのにそれに気付けず、周りのせいにしてしまったりするのは、自分も周りも不幸になると思うんだ。

歴史や事実を紹介しているものでも、情報が人の手を介して伝えられている限り、それは著者との対話であり、そこには著者が反映されている。
→ただの情報の羅列だとしても視点や切り取り方で伝え方が変わるのだとしたら、その違いすら楽しんで受け入れたい。慣れてきたらその後他と比較して批判的な読み方も実践できたらいいな。

​​​​​・人生や死などの命題についても考えを深められる。
→自分の場合、闇雲に不安になるのは何も知らないからということがほとんどだ。こちらの本の中で、心理学者ヴィクトール・E・フランクルが著した「夜と霧」という本の一文が紹介されていた。

私たちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ​​​​​


人生に何か意味を見出したい、何か意味があるはずだと追い求めるように生きる事は私は疲れてしまう。意味があるかないかに振り回されずに、自分に向き合い内省を深めて生きていけたらなと思っている。

こう言うと、自己中な人の考えみたいに感じられて少し切なくもなるが、勝ち負けや比べる事に終始して、自分の人生を全うできないとしたら、これ以上に切ない事はないかも知れない。

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