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映画感想「オラファーエリアソン 視覚と知覚」

 平日の真昼間に奥渋谷のミニシアターで見たのは、NYに人工の滝を作る、というプロジェクトのドキュメンタリー映画だった。庭の枯山水などという規模ではない、イースト川に彼が作ったのは最大36メートルにも至る4つの滝だった。 

 現代アートは何が美しいのかわからない。と、よく言われる。確かに、歴史や各国のシチュエーションを反映したアートを、その文脈を知らない人が読み解くのは大変だ。

 オラファーエリアソンは、ただ平面的に流れる川も、上から落とすだけで立体的になる、この表現がその空間とどう関わるかを考える契機にして欲しいのだという。NYというストーリーがたくさん詰まったこの複雑な都市は異質なものを包み込む包容力があるはずだ、と彼はいう。

 彼の作品は私が現代アートを好きになった2001年ごろには、世界中に呼ばれており、2003年のロンドンのテートモダンでの展示で名声を確実なものとしたアーティストである。彼の制作に一貫しているのは観客の「今持ってる感覚」が普遍的なものであるかを問い、その変容を促す体験を作り込むことだ。シンプルで、美しく、気持ち良い。デンマーク出身という北欧のデザイン感覚もあるのだろうか。そこには「気持ち良い」を緻密に計算した結果がある。 

 彼はドイツはベルリンに工房を構えている。想像するよりもかなり広く、スタッフの数もとても多かった。芸術工房というよりは、太田区の金属加工会社のビル一棟だ。彼のアイディアを具現化するために、設計から制作まで様々なスタッフがそこには集まり、日々実験と制作を繰り返す。膨大な試作品の山、厳しいジャッジ。スタッフを集めてのワークショップ。これだけの規模感の責任とお金をすでに背負っているのが彼のアートであることに、圧倒された。

 この映画の冒頭、オラファーは画面を白くさせてみせる。「奥行きが感じられないでしょう?」とフレームインしてくるオラファー、そこには突然奥行き、高さ、映像の中に観客はそういったものを感じ始める。これ、この感覚と現実を再認識させられるのが彼の作品の醍醐味だ。 

滝は、複数年を跨いで、行政との調整ももちろんありながらなんとか公開にこぎつける。基本的に気難しそうな顔で制作の指示出しをしていたり、調査に行っていたりする彼の笑顔を見ると、ほっとした。

 この映画を観に行った、と友人に言ったら「横浜トリエンナーレ2017でも飾られてたけど見向きもされてなかったよ?昔あんなに流行ってたのにね」と言っていた。何が足りないのか。解説か、重要度なのか。「そんなものがなくても美しいものが芸術だ」というのは現代アートではない。「”現実は主観次第”現実は見るものの見方で決まるんだ」彼の作品に一貫しているテーマである。 

 普遍的な感覚をテーマにした場合、表現は何を更新していけるのだろうか?

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