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ライブハウスがここではないどこかになること(奈良に半年通った2021)

2021年のライブを納めてきました。
奈良NEVERLANDというライブハウスで。
LOSTAGE というバンドが毎月地元である奈良NEVERLANDで企画イベントをしていたのだ6/26から月1回、第4土曜日に。
土曜日はライブハウスがいちばん盛り上がる曜日だ。地方でちょっと名前の売れてるバンドならなおさら重要。金曜日に必死に仕事を終えた大人が通うライブ。

LOSTAGEは好きなバンドのひとつです。昔ライブ版の4枚組レコードを買ったり、手売りしかなかったアルバムを直接通販していたくらいには好き。でもライブがあったら必ず行くって感じでもなかったし、ホームである奈良NEVERLANDにも行ったことがなかった。

彼らは自分たちでレーベルを持ち、奈良でレコード屋やレストランを構え、地元で音楽をやることを決めたバンドだ。
一時はメジャーレーベルにいた彼らの歴史は2021年の2月に音楽ライターの石井恵梨子によってかかれた本「僕らはまだ美しい夢を見てる -ロストエイジ20年史」に詳しい。


6月、
LOSTAGEが彼らのホームのライブハウスで「MONTHLY NIGHTMARES」と題して毎月イベントを行うことを知った。そして友達が東北から通うことを決めたことを知る。音楽フェスで毎回酒を飲み、かつては一緒に某バンドを追いかけて沖縄の桜坂セントラルの近くのスナックで全額知らない人におごってもらったりしていた仲のともだち。全国のフェスに一緒に通いまくっていたが私がジャニーズにはまってたこともあり、ちょっと遠ざかっていた。
4月に行ったジャニーズのコンサートは新型コロナ対策厳戒態勢で入場はデジチケのみ、接触確認用のアプリCOCOA必須、フェイスガードあり、歓声なし、グループディスタンス。スタッフの監視もかなり厳しい状況だった。もともとジャニーズのコンサートは周囲に睨まれながらピリピリ見るものだったけど、さらに演者側もこちらも苦しさしかないコンサートだった。そんな中でライブハウスに「行こうよ〜」と声をかけられてそれは楽しいかもな、と思った。

LOSTAGEのステージに対する外さなさには信頼があった。わーきゃーするようなジャンルでもないし、声を出せなくても音を楽しめそう。観客もそれぞれがちゃんとするだろうな、というこのバンドのファンに対する信用もあった。

7月、
東京オリンピックが開始された。特に興味もないのでこの企画に合わせて開会式前後の期間を大阪でリモートワークすることにした。1週間住宅地でAir bnbを予約し、知らない街に身を置いてみた。
知らない街、馴染みのない言葉。新しい情報を知ることがめちゃめちゃ楽しかったけれど、生活感そのものに飽きてきて3日で音を上げて梅田の新しいホテルに移った。清潔な部屋で大画面でサブスク配信かけながら仕事して満足する自分を知った。

7月の対バンはKING BROTHERS。神戸の情熱系ロックバンドで、キャリア的にはお兄さんなバンドだ。ステージに真摯でいつでも汗だく全力のイメージがあったが相変わらずで、なにかホッとした。ここのところフェスで味わっていたこんな狂気を表現できることも、共有できることも才能なんだとこの状況下でやっと思いいたった。

LOSTAGEのステージは文句なく楽しかった。確実な楽器の音。不安になるような、心配になるような、湿ったメロディに複雑な重なりをするギターと低音。複雑なんだけど、どれもがLOSTAGEを感じさせる。

奈良は緊急事態宣言も出なかったのでわざわざ飲食店が営業時間の自主規制を県に求めたらしい。しかしそもそも居酒屋が少なく、風俗街もない。場末のスナックさえ見かけない。(住宅街にそれっぽいものを見た)
普段は観光で保たれている街でもある、ということは読み物で知っていたが体感した。外国からの観光客がいないのでホテルも安く、飲食店がやっていない。
ライブ後に延々飲むライフスタイルをしていた我々はもちろん路頭に迷い近鉄奈良の駅前の餃子の王将に閉店30分前に飛び込んでビールを飲んだ。関東ではアルコール提供が中止されて久しく、久しぶりのビールだった。王将の凍ったジョッキを鮮明に覚えている。

当時東京では依然アルコール提供が自粛要請され、オリンピックはやっているのにバーもやってなかった。ライブハウスもお酒を提供していなかった。


8月、
本来ならわたしたちは全国のフェスに行ってたまに顔をあわせては酔いつぶれていたのだが、今年はフェスがなかった。正確にはフジロックが厳戒態勢のなか開催されたが、行こうと思っていたARABAKI、ライジングサン、ONA FESなどは中止になった。他にもたくさんのツアーがクローズになり、開催中止連絡にびくびくする日々をすごしていた。
それでもMONTHLY NIGHTMARESはつづいた。そして感染爆発する大阪を尻目に、奈良では緊急事態宣言もでずに淡々と日常が行われていた。(感染者の数が増えなかったのだ!)ただし、ライブハウスの最寄りの東横インは療養ホテルとして一棟借り上げになったままだった。

8月の対バンは京都の若手バンドSEAPOOLだった。若手と言ってもフジロックにすでにブッキングされており、注目のバンドとしてひっぱりだこのバンドである。ここのところ新しくバンドをライブハウスで知るということがなかったのでどうやって見たらいいのか忘れていた。知らないフィーリングの音楽を聴くことに身体がびっくりしてる感じ。あらためてこれがとても心地よい。ステージングも堂に入っていてかっこいいものを新たに発見した気分でとてもよかった。

8月も奈良の夜は早かった。私たちはまたもや餃子の王将に駆け込んだ。


9月、
「微妙に体調が悪いのでやめておく」というのが公演前日に友達から承ったメッセージだった。私自身は九州から西日本を泊まり歩く2週間のツアーを組んで孤独にワーケーションしながら温泉に浸かったり、梅田の高層ビルに泊まって見たりしており、旅の最終目標を奈良に定めていたのでキャンセルはせず。ちょっと寂しかったけれど一人で行った。
それも楽しかった。
いつ感染しても責めることはできない感染症。できることはコミュニティから誰もを省かずにお互い待ち続けるだけだ。
ドキドキしながらライブハウスの外で番号呼び出しに並び、入り口で点呼を受ける。


10月、
今度はわたしがなんか体調がおかしいような気がした。直前に結局キャンセル。
すべての交通手段の予約をしていても、気力が伴わないと行けないのが遠征であるということを思い出した。

今回の一連のイベントはメールが予約の手段としてとられており、主催者であるLOSTAGE にメールしなければならない。いつでもキャンセル自由だと謳われており、何回も五味(兄)から自由にキャンセルしてねとアナウンスされていた。おかげさまで少し危険を感じたらすぐに予防に入ることができた。
来場した人はその場で次回を予約できるのだが、意外とみんな慎重だったように思う。体調の見通しがつかないのは当然だけれど、仕事の都合や居住都道府県の感染症ガイドラインも常に予断を許されない状況が続いていた。2021年、異常。


11月、
11/20、歓声なしでのフルキャパでのコンサート開催ガイドラインが出た。正直小さなライブハウスはそんなに変わらなかった。相変わらず入り口で連絡先をきかれるだけだ。それ以上にどうしろというのだろう。
11/27はもともとの予定がありスキップした。
友人は相変わらずひとりで奈良に行ってエンジョイしておりこの自由さが我々の薄く長くつづく友情の所以だよな、と何度めになるかわからない確認をした。

12月、
「MONTHLY NIGHTMARES」の半年の達成ゴールだ。
今回はワンマン。11月にいちど感染状況は良くなったかのように見えたが、オミクロン株の世界的流行に伴いちょっとぴりぴりしてきた。
奈良NEVERLAND最寄りの東横インは予約オープンになったが、またすぐに借り上げされそうだった。(実際、12月末に隔離施設として借り上げられた)

バンドの編成も7人と豪華。キーボードとコーラスを加え、フル編成でキラキラした音がする。最終回という達成感がフロアの側にもある。この興奮が音にかえってる感じ。ライブハウス。

普段より人が継続的に集まった、と五味(兄)がMCで言っていた。なんとなくこの「半年」「毎月」「地元」「直メール予約」ということ自体に楽しみがあったことは否めない。「奈良まで遠征している自分」が楽しかった。
でもそれは毎月1時間ふらふら見ててもいつも楽しめる音楽を本気で作り込んでくれたLOSTAGE があってこそだった。音楽的につまんなかったら即行くのをやめていただろう。
他人から遮断された日々にリアルタイムの楽しみを添加してもらった。

ちなみにまだLOSTAGE のリーダーこと五味(兄)のレコードショップ「THROAT RECORDS」には行ったことがない。(ライブ前後にしか奈良に行かないから)
うーん、来年も奈良には行くことになるのかもしれない。

スタンプ3回で一杯バンドが奢ってくれる制度をなんとなく使えなかった

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