Sumi

よく惑うけれど、たくましく生きています。

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とどけ、やさしい人へ

小さい頃から祖母に「やさしい人になりなさい」と言われて育った。 姉や両親などと喧嘩をして腹を立てていると、祖母は必ずのように「やさしい人になりなさい」と言って私をなだめるのだった。 だから、誰かが「やさしいね」と言ってくれた時、それは私にとって最上級の褒め言葉となった。 生まれつきなのか、私はニコニコしていることが多い。小さい頃は、いつも笑顔でいるのを「なんでいつもニヤニヤしてんのよ」と、姉から怒られるくらいだった。 その笑顔のせいか、よく「やさしく」見られる。精神科

    • 障害者への上から目線に思うエトセトラ。

      先日、岸田奈美さんのX(旧ツイッター)でのスペース放送を聴いて思ったことがありました。 岸田奈美さんが、ダウン症って天使みたいとか、純粋だとか、癒されるとかって言われるけど、言ってる人の感性は悪いものじゃないと思うけど、めっちゃ上から目線だなぁって感じる、っていうようなことをおっしゃってて。ダックスフントを褒めてるみたいな、犬かよって。 で、私、昨日買い物に出かけた時に、お父さんに抱っこされた多分2歳くらいのダウン症のニコニコした女の子を見かけて、「あぁ、かわいいなぁ」っ

      • 「走って逃げろ」と小さい頃に言っていたのは精神病院だった。

        私が住んでいる町には自転車道路という自転車と人だけが通る道があり、そこが私の小さい頃は安全な遊び場となっていた。 我が家から自転車道路に入り200m程で私が通う小学校の校区外になっいて、先生からは「校区外には行かないように!」と耳が痛くなるほど聞かされていた。 しかし、そこはまだ好奇心旺盛な子どもだ。春になればつくしを探しにずんずん奥へ進むし、変な鳥居が向こうに見えれば覗きに行きたくなる。 そうやって、校区の端っこに住む子どもの私たちは、こっそり校区外に抜け出すこともあ

        • 性格の悪いキミ(わたし)にとどけ。

          前に書いた『とどけ、やさしい人へ』にスキが増えるにつれて、だんだん自分のやさしさに不安を持つようになってきた。 自分のやさしさが、ただの世間的な親切ができることだけな気がしたり、また、やさしいということが、世間的に性格が良い悪いという基準とはまた別次元な気がしたり。 私は親切ができる意味ではやさしい人かもしれないが、性格は悪い気がする。 臨床心理さんには、やさしくて、素直で、ユーモアがあって、なんて言われたけれど。 国立精神科病院の研究所での心理テストの判定も、まるで

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          思春期サマースクール in ロンドン

          高校1年性の頃、姉がロンドンに住んでいたので、夏休みに姉のフラット(マンション)に泊まって、しばらく近くの語学学校のインターナショナル・サマースクールに通うことにした。 とある授業で、すぐに「オーキードーキー(Okie- Dokie)」とOKなのか相槌なのか「さてさて」と訳せばいいのか、陽気に声をかけるのがお決まりの女性の先生が、「世界にはなに人がいるかみんな答えてみて」と私たちに言った。 15人くらい、たぶん10カ国前後から集まる教室でみんなが、イギリス人!中国人!ポル

          思春期サマースクール in ロンドン

          ゼロの紙さんのこと。

          ゼロの紙さんをフォローさせて頂いたのは、いつだったでしょう。 当時は共通のフォロワーさんもたしかほとんどなく、自分でもどうやって見つけたんだろうと不思議になったのを覚えていて、ほんとにひょんなことでつながったようです。 フォローさせて頂いてから、ゼロの紙さんからときどき流れてくるツイートは、さきっぽが届いてチクリとしたり、ふわりと風のように優しくなでたりするから、いつの間にかこっそりファンになっていたのでした。 そして、noteを振りかえれば、最初の方にいいねをした記事

          ゼロの紙さんのこと。

          仲間外れにした話

          昨日にひきつづき、小学生のころの話です。 小学校中学年のころ、ひろみちゃんという子がなんだか、勉強ができる子や運動ができる子だけをえこひいきして生徒を不公平に扱っている気がして、私はとても気に食わなくなっていました。 それが、とうとう、とある下校中に爆発しました。 ある日、同級生2人とランドセルを背負って一緒に下校しているときに、ひろみちゃんがひとり後ろからやってきました。 すると私は、友人2人に「にげろっ!」と言って、3人で一目散に走ってひろみちゃんから逃げたのです

          仲間外れにした話

          ポジティブ思考も幸運のうち。

          離婚後まもない婚活で、とある父子家庭のお父さんと出会った。 実は亡くなった奥さんは、お兄さんから性的虐待を受けていて、生まれてくる子どもが男の子と分かるなり、気がおかしくなりはじめ、実際に男の子が産まれると、とうとう自殺をはかってしまったという。 小さい頃に性被害を受けた私も、わからないでもない。 自分の子どもが男の子だったったら、どうすれば良いのかわからなかった。 私は、生まれてくる子が女の子でありますようにと心から願った。 男の子だったったら、おろしてもいいとさ

          ポジティブ思考も幸運のうち。

          つっぱりが私をささえている。

          おもいかえせば、 「そんなのかんけーねー」 がいつも私の根底にある。 これって、けっこう魔法の言葉で、ふと気づけば頭で「そんなのかんけーねー」が鳴っている。 地位も、名誉も、権威も、障害も、 そんなのより、もっと大切なものが目の前に見えているだろうと。 もっと自分に誇りをもって気高く生きよと。 そう警笛を鳴らすのだ。 そうやって私はどこかでつっぱっている。 「そんなのかんけーねー」と。

          つっぱりが私をささえている。

          「死にたい」と言えること。

          思春期ごろから、ずっとずっとどこかで死にたくて、いつでも死んでいいとおもっていた。 私が26歳のころ、鬱が酷く、はじめてS病院に入院したときには、かかりつけの病院にはまだ解放病棟という、日中は外と出入り自由な病棟があり、そこで毎日をすごしていた。 あいかわらず毎日死にたくて、ある日タオルを片手に外にでて、ふと木の枝にタオルをくくりつけ、その下の切り株に足をおき首を入れた。 同じ病棟の口がきけないおじさんが、何をやってるんだという顔をして私を見ていたけれど、どうせ口がきけ

          「死にたい」と言えること。

          1ヶ月毎日noteゴールしました!

          とうとう今日で毎日noteを投稿して1ヶ月になりました。 軽躁からはじまり、おもいもよらぬことに、自分の病気を実名で公表してしまいました。 1ヶ月が経ったいま、いい感じでチカラが抜けて、いっぽう裏の方では力説したい自殺のことをめずらしく時間をかけて書いているのですが、しかし、なかなかうまくいきません。いのちのことを、自分のことばに責任をもって書くって修行ですね。 これ以外にもまだ書き残していたことがいくつかあり、まだまだ日数がたりませんでした。それに、日常のことを書けば

          1ヶ月毎日noteゴールしました!

          たべたらはいていたころ。

          昨日は毎日note、ポエムで終わってしまいました。 自殺の話を書いていて、これは出していいやらどうしていいのやらと一昨日から躊躇しつつ添削していたのですが、昨日は夫が夜勤明けで疲れている上にあいにく今日は大事なイベントがあるということで、ワンルームの我が家は緊張感たっぷり。 もういたたまれなくなり、外にでようかとおもったものの、ジムにいって体はつかれているしで、もうポエムでおしまい。なさけない。けれど、それなりにポエムもたのしかったです。たまにはいいかな。 ところで、夫

          たべたらはいていたころ。

          かけないえほん

          月の光がさしこむへやに きょうはもうかけませんよと ハトさんが 小窓からから出てきては ぽっぽーぽっぽーと 時間をお知らせいたします 明日があるからと 踊っていた赤いバレリーナも オルゴールの音がゆるくなって まわるのをやめてしまいました きょうはベッドのくまさんも はやくねて あしたはやめに はちみつ探しにいくんですって さいごのランプけしましょう さぁみなさんおやすみなさい またあした

          かけないえほん

          #わたしの仕事は元気でいることです。のこと。

          今日はちょっぴりいつもよりしあわせで。 noteをフォローさせていただいている何名かの方が、 じんせーたのしもーぜーっ! ってかんじの記事を書いてらしたのを読んで。 すっがすがしいなーとおもって。 そしたらこんどは、 重度心身障害者のお子さんがいるご家族のお話をnoteで読んで、 こんな言葉をおもいだしました。 #わたしの仕事は元気でいることです 7年ほど前にほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)の糸井重里さんが、愛犬の写真にそえられていらしたツイッター(X)のタグなのですが

          #わたしの仕事は元気でいることです。のこと。

          面接をけって、ブランコにゆれて、キミをこえて。

          高3の時、私があまりにも勉強をしないものだから、父はそんな私を夏休みに九州からはるばる東京の予備校におくりこんだ。 その間、叔父のうちに滞在し、予備校に出席したのは1コマだけ。 私は、勉強するなといわれて育てられ、宿題をしただけでも父に怒られるほどだったのに、いったいなんの心境の変化があったのだろう。 東京に滞在中、九州から来たクラスメイトと、ミーハーまるだしで、私たちが大ファンのバンドの出身大学を見学に行った。 パリの映画学校に行きたいと言いつつも、その情熱と同じく

          面接をけって、ブランコにゆれて、キミをこえて。

          コンニチワ!への返事。

          今日はスーパーへ向かっている途中、解体中のアパートのとり壊しがすっかりすすんですっきりしたなぁと、歩きながらさら地をながめていると、その前に立っていた外国人労働者の方3人が「コンニチワ!」と挨拶をしてくれた。 私はマスクをしていない顔でニコッとだけして、声に出してまでは挨拶をかえさなかった。 その場所から数メートルだけ離れたところでも解体工事をやっていて、そこでも外国人労働者の方が働いている。 一昨日、その前でバスを降りると、1人の外国人労働者の方が道路にはみだしてひじ

          コンニチワ!への返事。