高級感と親しみと

 日本人は「ビーフ」という言葉に弱い。
 ひと昔前まで、「ビーフステーキ」あるいは「ビフテキ」という言葉は、「ごちそう」の代名詞だった。
 立食パーティーに行けば、
「なにはともあれ、ローストビーフを食べねば!」
 と、数あるコーナーの中から真っ先に、ローストビーフを切り分けるシェフのいるあの屋台に、お皿を持って並ぶ人の、多いこと多いこと。
 たいていは、ぺらぺらのローストビーフなんだが、有難がって食べる。

 ビーフにこだわるあまり、日本人は、神戸牛、松坂牛、などという、世界が驚くビーフまで作り出してしまった。もはやこれは「ビーフ道」、あるいは「ビーフ教」と呼んでもいいのではないか。
 思うに、かつて「牛丼がなくなる」というニュースに、我々があれほど動揺してしまったのも、こうした「ビーフ信仰」のせいかもしれない。

 ここで、話はいきなり「鍋料理」に変わる。
 日本人が鍋好きだということに、異論はないだろう。特に冬ともなれば、水炊き、寄せ鍋、キムチ鍋、ちゃんこ鍋……、暖かく親しみのある味に心も温まり、顔もほころぶ。家族団欒、和気あいあい、肩肘張らない親しみやすさの代名詞と呼んでもいい。
 では、西洋における「鍋料理」とはなにか? それは「シチュー」ではないだろうか?

 かくして我々は、「ビーフシチュー」というメニューに、えもいわれぬ高級感と、合わせて親しみを憶えてしまうのではないか。

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