94.ゆずもどき

 新宿とか、渋谷とかで、夜になるとギターを抱えて歌っている若者たちがいる。先日、ある番組でこういったストリートミュージシャンたちを呼んで歌ってもらった。彼らはみんな「ゆず」のつもりなんですね。荒削りなストローク奏法のフォークギター。喉だけで張り上げる発声。ほとんどユニゾンのハモり。非常に日常的な詞の世界。
 ちょっと前まで、ああいう連中はみんな尾崎(紀世彦じゃないよ、豊の方)だった。世間を拗ねたような目付きで、社会に何かを言いたげな詞(何を言いたいのか聴衆はもちろん、本人すらわかっていない場合も多かった)を歌っていたじゃないか。
 それがコロっと変わってしまったのだ。今では、右を見てもゆずのできそこない、左を見てもゆずのなりそこない。失敗した果樹園農家じゃないんだから……。

 この音楽状況は70年代とそっくりだ。あの頃はGS(グループサウンズ)が行き着いた後に、フォークブームがおこった。現在は、ビジュアル系の後に「ゆずもどき」。
 待てよ。70年代のぼくは等身大のアーチストを支持する側だったから気付かなかったが、ひょっとして訳知り顔の大人たちは「吉田拓郎もどきがいっぱい」と評していたのかも。いつの間にかぼくは、そっち側に回ってしまったのか? 哀しい。
『フォークが聴きたい(富澤一誠・徳間文庫)』という本に、その70年代から生き抜いてきた谷村新司さんが一文を寄せている。
「僕たちは、お父さんがギターを弾けるという最初の世代になる」
 いい文章だ。もちろん、お父さんとは今の大人たちのこと。そう、今の大人はかつての大人とは違うってわけだ! せめてそう思うことで、この哀しさを紛らそうか。

【モンダイ点】
◎それはいいのだが、いまだにFのコードでクリアな音が出ないのはなぜか?

(ステラ/2000/2/10)

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