128.東京のコンプレックス

 先日、仕事で四日ばかり大阪に居た。帰りに、あいかわらず関西系コテコテの土産品がずらりと並んでいるを喜びながらも、正直言って少し辟易とした。その時、
「大阪文化というのは最初からこんなにコテコテだったのか?」
 と思ったのだ。

 考えてみれば元々上方文化は洗練されたものだった(雑学本に必ず出ている「下らない」の語源でも見て下さい)。
 それがこんな風になったのは、何も吉本興業のせいばかりではない。東京への対抗意識のせいではないかと思うのだ。
 これは恋愛で言うと、たとえば女性から見て片想いの相手がお嬢様になびいたとする。と、「私には違う魅力があるのよ」というライバル心から、急にセクシーさを強調したドレスを着たりするようなもの。
 江戸から東京へと、ライバル都市が急速に表向きの顔を整えてくるのに対抗して、
「こっちはホンネでっせ」
「混沌とした魅力もおまんがな」
 と傾いていった結果が、今の大阪のコテコテ文化じゃないのかなぁ。……ここんとこ藤本義一氏は何と言うだろうか? 故・司馬遼太郎は何と言うだろうか?

 じゃあ、東京文化にコンプレックスはないのかというと、ちゃんとある。放送局にはよく「関西で人気の」という触れ込みでタレントさんや音楽の売り込みがある。あれは東京に、
「俺たちってきれいごとだけで、ホンネで勝負してないんじゃないか」
 というコンプレックスがある証拠、とぼくはにらんでいるのだ。

【モンダイ点】
◎ちなみに「沖縄文化」に対してもコンプレックスがある(特にニュース番組)

(ステラ/2000/10/11)

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