習慣とホメオスタシス

気が付いたら一週間分くらいの時間が経過している。
そのことに対する違和感があるのだが、これがどういう違和感であるかというと、例えば俺が、『毎日何かを習慣づけよう』という決意をし、この決意に従い毎日『何か』をしようとしているとする状況があったとして、この決意に従って毎日『何か』をしようと心では思っているのだが、毎日行うと決めたはずがいつの間にか『何か』の習慣が中断したまま時間が経過、気が付いたら最後に『何か』を行った日から一週間が過ぎてしまっていた。という三日坊主、この三日坊主を認識した瞬間に感じる違和感である。
この説明において、具体的な『何か』が何であるかはあまり重要なことではないが、話は具体的であるほうが分かりやすいので、ここでは、この『何か』が『arxivからダウンロードした深層学習分野の英語の論文を毎日三報読む』という内容であるとして、具体的な時間経過を見てみよう。
まず、一日目。この日は初日なので、目論見どおり、論文を3報読むことができる。そこそこ分量があるために、細かく内容を理解しようとすると結構面倒くさいが、がんばればできないこともない。
こういう感じで、この習慣は三日ほど続く。
ところが、四日目を迎えたあたりからこの『習慣を続けよう』という決意に翳りが見え始める。
というのも、『毎日論文を三報読むのはめんどくせえ』『この時間を使って何か他のこと、それも有意義なことをしたい』『一日の決まった時間を特定の行動に充てるのは、自分の自由を縛るような感覚がして面倒くさい』などといった邪念が生じるためである。
そして、俺は感情や快不快に流されやすい人間であるため、素直にこの『めんどくせえ』あるいは『別のことをしたい』といった直観に従ってしまう。
しかし、この時点ではまだ習慣を中断する気になったわけではなく、『まあ一日程度ならサボっても大丈夫だろう』という、あくまで例外を作ったつもりでの一時的な中断である。
そして、そのまま、論文を読むことのない日が一週間くらい続き、論文を読んでいない自分、というものを認識し、冒頭に書いたような、『なぜだ』という違和感を感じるわけである。

人間には、恒常性という性質が備わっている。英語で言うとホメオスタシスというやつである。
ホメオスタシスという単語には、おおよそ二種類の意味がある。
一つ目は、理化学的な意味であって、wikipediaによると、『生物および鉱物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。』
真夏の日などに俺の体温が上昇したら、生得的に備わった生物学的な仕組みによって、俺の身体は体温を下げようとし、汗をかくなどをする。
あるいは、寒い日には、生得的に備わった生物学的な仕組みによって、体温を上げようとし、褐色脂肪細胞が発熱するなどする。
生物の身体は、それが正常に動作するための範囲というものがある。それはたとえば体温であったり、pHであったり、水分量であったり、血中糖分量であったりするのだが、これらの値が一定範囲よりも大きかったり小さかったりすると人間の身体は故障したり機能停止したりしてしまうため、この範囲から外れそうな兆しがあれば、何らかの方法でその範囲をもとに戻そうと試みる機能が人体に備わっているのである。これが一つ目のホメオスタシスである。

二つ目は、コーチング用語であって、その意味は、『なにか新しいことを習慣づけはじめたとき、自分の潜在意識が『あれれ? これは俺が知ってるいつもの習慣と違うことだぞ???』などというふうに混乱しはじめ、その混乱を解消するために、なんとかして新しい習慣を中断させようと、無意識化でいろいろブレーキをかけはじめる』ということである。
これは、苫米地英人博士などの本を読んでいるとわりとよく出てくる用語であり、そこでの説明はそれなりに説得力が高いので、苫米地英人のフォロワー的な自称コーチング業者みたいな人たちが自身のキラキラブログなどでよく使う用語である。ところで苫米地英人博士は知識に対しては誠実であり、博士本人が事実と認識していることしか言わないため、著作における事実関係においては信頼が持てると俺は感じているのだが、その一方、著作では、あえて書いていないことがあったり、あるいはおもに著作の後半部分あたりから、おそらく故意に説明の抽象レヴェルを高めて読者の理解力を揺さぶる、というようなことをしがちなので、よくよく注意しなければ、『あれ、これってどういう意味?』という不明点が残ってしまい、好奇心のある読者にはその不明点を解消するために博士の他の著作(300冊くらいある)を読む必要が生じる、という、きわめて高度な営業戦略をとっている。

とまれ、本筋に戻ると、このコーチング用語でいうホメオスタシスという現象があるがために、『習慣を続けよう』という俺の意思、およびその意思から行われる実際の習慣行動を感じ取った無意識が、『あれ、今俺が行っているこの動作って、いつもの俺の感じからいって、絶対にしてなかったことじゃね?』『これまでにやってなかったことをしようとしているということは異常事態発生なんですけど』『超バッドな感じ』『うーん不安』などというように感じ、その結果、『めんどくせえ』『別のことをしてえ』『別に今やらずともあとでやればよくね?』などという妨害メッセージを意識に送り付け、この無意識からの妨害メッセージを受け取った意識は素直に、『うーんめんどくせえなあ』『やっぱ別のことをしてえなあ』『今やらずともこれは後でできるなあ』といったことを思い浮かべ、その結果、習慣は中断、というような感じになってしまうのである。

なので、たとえば俺が、『これから毎日深層学習分野の論文を三報読む』といった素晴らしいことを習慣にしようと決意、ダウンロードした論文の2ページ目あたりに目を通している最中に、『うーんやっぱ今日はやりたくねえな』『ちょっと今は中断してゲームしよっかな』『なんかこれ、読んでも無意味な気がしてきちゃった』などという雑念に襲われた場合、これは確実に、精神的なホメオスタシスの原理に基づく無意識からの妨害メッセージをびんびんに受信している状態なのである。
逆に言うと、新しい習慣を始めたときに、『うーんやりたくねえ』などのバッド感情が生じた場合、これは上手くホメオスタシスが働いている、ということを意味しており、ある意味では喜ばしいことである。というのも、このホメオスタシスに基づいた無意識からの妨害を乗り越えることができれば、逆に無意識のほうを新しい習慣に馴染めさせることができるためである。無意識が新しい習慣に馴染めば、今度は無意識にとってこの新しい習慣のほうが『馴染んだ習慣』となるため、そうなったあとは、逆に『馴染んだ習慣』を中断しようとしたら、無意識は居心地が悪くなって、『おい習慣が守られてないぞ、さっさといつもみたく論文を三報読め!』みたいなメッセージを意識に送ることとなり、意識のほうも『あっ、論文三報読まなきゃ……』という意識にさせられてしまうのである。なので、雑念が沸いて新しい習慣を中断させたくなったときは、それを逆にチャンスであると捉え、今がふんばりどきであるということを自分に言い聞かせてがんばるとよい。

ところで、この前読んだジョージ・レナードという人が書いた達人のサイエンスという本に、このホメオスタシスが定着するまでの時間は、だいたい半年くらいを考えておけばいい、みたいなことが書いてあった気がする。ただ、簡単な習慣なら半年くらいで定着するが、もっとむつかしい習慣の場合は、二年とかの時間がかかる、みたいなことも書いてあった気がする。書いてあったのは杉山尚子先生とか島宗理が書いた行動分析学の本だったかもしれない気がする。読んだのは一年前くらいなので細かいことはあんまり覚えてないが、杉山先生とか島宗先生の本は分かりやすくて面白かった。タバコがやめられない人とかにおススメできる。

そのようなわけで、この文章は、深層学習分野の論文を毎日三報読まないといけないねえ、それをしないとダメだねえ、それができない理屈はこういうわけだねえ、理屈が分かったのでめげずに実行しようねえ、という言い聞かせを、自分に行うための文章なのであった(俺は三日坊主なので)。

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