マスかきザウルスとの死闘

最近読んだ『インターネットポルノ中毒』という本によると、ネットポルノに耽溺することで、人間の脳はネットポルノ耽溺状態に陥ってしまうらしい。

ネットポルノというのは、ネットに溢れるエロ漫画、エロ動画、エロ小説などのエロコンテンツのこと。

ネットポルノ耽溺状態というのは、鬱、短気、コミュ障、早漏、遅漏、性的傾向の過激化(近親相関とか四肢切断とか)、集中力の欠如、ネットポルノへの依存性、などの症状のこと。

なぜ人間の脳がネットのエロコンテンツでネットポルノ耽溺状態に陥ってしまうのかというと、そもそも人間の脳にはエロい刺激をキャッチして最大限に興奮して一時的に気持ちよくなれるという機能が存在しているため。この機能は、脳内の快楽物質であるドーパミン+各種のホルモンの一斉分泌という形で発揮される。ポイントは、『ドーパミンが分泌されること』ではなく、『ドーパミンと一緒に各種のホルモンが一斉に分泌される』ということ。

脳が快感を感じるとき、たいていドーパミンが分泌されている。このドーパミン分泌というのはたとえばすげーいい感じの風景写真を眺めている瞬間にも起こりえる。このことだけを見ると『ドーパミンを出すという一点においては、風景写真もネットポルノも同じじゃんね』=『ネットポルノは風景写真とおなじくらい無害』という話になる。しかしこの考えは間違っていて、なぜかというと、ネットポルノを見た場合、『ドーパミンだけじゃなくてそれ以外のホルモンも出る』ため。そして、これらのホルモンは風景写真を見たときには出ない。なぜかというと、これらのホルモンは人間の生殖に関係するホルモンであるため。人間を含めた動物は、本能的に、あらゆる行動の中でも生殖に関する行動を最優先課題にするようになっているのだが、この優先順位はホルモンが出てるかどうかできまる。そして、ネットポルノというのは、もともとエロ=生殖にまつわるコンテンツであるため、ネットポルノを見るとそれらのホルモンが出る。つまり、『ネットポルノを見るとドーパミン+各種ホルモンが出る』→『ネットポルノを重要だと本能が錯覚する』→『ネットポルノへの依存性が生じる』というようなコンボが発生する。

この、人間の本能の中に存在している『生殖に関係した脳の回路(ドーパミンの分泌で気持ちよくなる回路)』を強制起動させるものは、ネットポルノ以外にもあって、それは例えばメタンフェタミンやコカイン、ニコチン、ヘロインといった薬物なのだが、このうち、たとえばコカインやニコチンなどは、やめようと思えばわりと楽にやめることができるらしい。しかしながらネットポルノ依存症になってしまった人(=ネットポルノをオカズにしたマスかきを数年間毎日欠かさずやってるような人)は、ネットポルノ絶ちをするときにけっこうデカい禁断症状がくる。

なぜ禁断症状がくるかというと、それは、ネットポルノをオカズにしてマスをかきまくってきたことで、脳がネットポルノのある状態に順応してしまったから。脳には刺激を求める性質があり、それにより、はじめは普通のセックス動画で射精してたような人も、そのうち、レイプとか乱交とか四肢切断とか死姦とかスカトロとかの、あまり一般的ではない(=初対面の相手との会話で話題にするのはなかなか難しい)動画なり漫画なりを見はじめるようになる。そして、そのような一般的でないコンテンツに親しむということは、それだけ脳がエロを学習したということ。脳が学習したということは、脳の中にそのための専用回路が出来上がってしまっているということであり、脳にそのような回路が出来上がってしまった以上、脳はその回路を使いたくてたまらなくなる。

そのような状態なのに、脳の持ち主本人ときたら、ネットポルノ絶ちをするなどと言っておる。脳からすれば、それはけしからん話で、なぜなら、今まではネットポルノによる快適なオナニーライフによりドーパミン+各種ホルモン分泌ができていて、そしてそれは人間の生殖本能的にもとても素晴らしい状態であったのに、脳の持ち主である人間がいきなりネットポルノ絶ちをするなどと言い始めたせいで、もはや快適なオナニーライフおよびそれに伴うドーパミン+各種ホルモン分泌は過去の話となってしまったから。脳の立場としては、再びドーパミン+各種ホルモンを分泌させたいので、頭痛とか鬱状態とかそういう状況を出すことにより、脳の持ち主である人間に、なんとかネットポルノを見させて、オナニーさせようとする。これが禁断症状が起きる原理。

ちなみに、なぜマスかきにより、ネットポルノ耽溺状態すなわち、鬱、短気、コミュ障、早漏、遅漏、性的傾向の過激化(近親相関とか四肢切断とか)、集中力の欠如、ネットポルノへの依存性、などの症状が出るのかというと、ドーパミン関連のあれこれのしくみのせい。つまり、ドーパミンというのは人間にとってかなり気持ちのいいものなのだが、普通の日常生活のなかではなかなか分泌されない。そして、オナニーというのは実は、なかなか分泌されないこのドーパミンを出すための裏技なのである。

つまり、マスかきによってドーパミンが一度強力に放出されることを経験してしまうと、『なんじゃこりゃー! 地道な挨拶や日々の努力の積み重ねでようやく3くらいしか獲得することができなかったドーパミン、オナニーするだけで150も獲得できるやんけ。これはどえれえことじゃ!』となって、日々の努力=つまらん、オナニー=とてもよい、ということになって、オナニー以外のことに対する重要性が失われていく、みたいなことになる。そして、他人とのコミュニケーションを本能が無意味と思い込むことでコミュ障になるし、コミュニケーションの一形態であるセックスに関する関心が本能的に失われることで早漏とか遅漏になるし、脳がネットポルノを学習してより刺激が強いオカズを追い求めることで性的傾向が過激化していくし、ほかのことがつまらないから集中力が欠如したり鬱になったりするし、楽しいことがオナニーしかなくなるからネットポルノへの依存性が生じることになるわけである。

なんとも怖い話だね。しかし、それって実際どうなの? 性にたいして潔癖な連中が、エロにケチをつけるためにいろいろと理屈をこねてるだけじゃないの?

まあ、そうなのかもしれない。というのも、ネットポルノの依存性の研究を科学的にやろうとするとなかなか難しいから。しかし、中国とかの研究で、今までネットにつなぐ環境がなかった新大学生が、ネットを与えられた一月後、統計的に有意なレベルで能力値が下がった。みたいな研究があったり、アメリカではNoFapという運動があって、Fapというのはマスかきという意味なのだがつまりはオナ禁を固く誓った連中が集う掲示板とかサイトに何百万人もの人々が集まり、ネットポルノを絶つことによるメリットを体験談として語っていたりするから、一概に嘘とは言えない。

そこには、オナ禁というわりとしんどい行為を達成できた、ということによるプラシーボ的な効果も含まれているような気がしないでもないが、しかしプラシーボが確定的に出現するならそれは効果があるということだ。

ところで、オナニーグッズの販売元やエロ漫画家、アダルトビデオ業界の人々などの、ネットポルノ従事者および関連業界にいる人々は、たとえエロが脳に悪いという話が真実であったとしても、いやいやエロは別に悪くないでしょ? エロで脳がやられるわけないでしょ? という立場を取らざると得ないと思うのだが、そのあたりのことを本音ではどう考えてるんだろうってことが、単純に好奇心として気になるな。

たとえばエロ漫画家の人にエロ漫画を描くな、というのは、兵器製造業者にミサイルを売るのをやめろと言ったり、タバコ製造業者にタバコを売るのをやめろと言ったりするのと同じ問題があって、つまり、廃業する=職がなくなる=死ぬという現実がある以上、たとえ『エロは害悪』ということが真実だとしても心理的・経済的になかなか困難という現実がある。また、エロもまた表現手段の一つとされており、これをやめろというのは、たとえば芸術とか表現に対する弾圧ということになり、現代社会において、かなりよろしくないこととされている。そもそもエロ漫画をやってはいけないという法律がない以上、それをやめさせる法的根拠がない。

法的根拠がない以上、エロを見るのもエロを作るのも個人の自由でしょ、という考えがおそらく正しくて、だったらエロを作ってる人に文句を言うべきではないし、エロに関わりたくなければ自分で見なければいいじゃん、という考えが妥当だ。

そういうことを前提としたうえで、『もし自分がエロ漫画家とかAV監督だったとして、しかしエロが人間の脳に極端で有害であるということを『納得』してしまった場合、自分はエロコンテンツから離脱するべきなのか?』という状況について考えてたんだけど、まあそれでメイクマネーできるなら全然続けるだろうな。と思った。わからんけど。

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