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名前のない物語〜はじまり〜

この国が砂に埋もれるようになり、暑苦しい日々が当たり前になったのは2,300年ほど前からだ。
日中の暑さと極寒の夜に耐えられないか弱い者は簡単に命を落とす。激し過ぎる温度差だけではなく、砂の下に身を隠して人肉を狙う巨大モグラや愛らしい姿で見る者を魅了し、毒牙にかける狐、そして盗賊。
オアシスとオアシスを移動する際、死人が出ない方が珍しい。
砂と恐怖に囲まれた国にも名前はあったが、国民や外国の者は皆こう呼んでいる。
「シン-汚れた国-」

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「ウィスキーをロックで」
「あいよ」

労働者の仕事が終わり、酒場が賑やかになる頃、砂まみれの服装に帽子を被った旅人が一人、カウンターに腰をかけた。

「兄ちゃん、旅の人かい」
「...まぁ」
「あんたもドームを目指して来たんか?」

同じくカウンターに座り、大きなジョッキでビールを楽しんでいた男が興味本位で旅人に声をかけた。

「まぁ、そんな所だ」
「いや、オレもなんだよ、兄ちゃん!ドームに行きゃぁ、食うに困らねぇ、女とヤリ放題、天国だって言うじゃねぇか!えぇ!」

既に酔いが回っているのか、男はドンッと大きな音を立ててジョッキをカウンターに置いた。

「...そうらしいな」
「おいおい、兄ちゃん!カッコつけんなって!男に生まれたからには!イイ女とヤリてぇだろ!えぇ!」

男は大きな声で話しながら立ち上がり、旅人の肩へ腕を回した。
酒臭い吐息が、旅人の鼻腔を襲う。

「そこでだ、兄ちゃん。5万リルでどうだ?ここで生まれ育ったオレなら、ドームに入れるようにしてやるぜ!げっふ!」

大きなゲップをし、旅人に金の交渉をする男。それでも旅人は、男を邪険にすることなく口を開いた。

「...どうやって、ドームに入るんだ?」
「どうやって?そんなもん、正面からに決まってるじゃねぇか、へへっ」
「ドームの正面ゲートは、三段階のセキュリティがある。第一は屈強な衛兵、第二は巨大モグラの巣窟、第三は機械による人物認証。最後の機械が一番厄介で、しくじればマシンガンが作動する。
これらの難関をクリア出来る方法があるっていうなら、金を出そう。さぁ、説明してくれ」
「あ、いや、そんなに大変なの?そうかぁ、そりゃ入るの大変だなぁ...」

ドーム正面入り口についての詳細な説明に男は驚き、冷や汗を垂らしながらジョッキを持ってその場を離れていった。
騙すことは出来ないと判断したようだ。

「兄ちゃん、すげぇな!ドームのこと知ってんのか!」
「...まぁな」
「オイラもドームに行けるように人脈作り頑張ってるけど、入り口のセキュリティのこと教えてくれたの兄ちゃんが初めてだぜ!」

カウンター内から目を輝かせて旅人に話しかけたのは14、5歳ほどの少年だった。

「あんたは、またドームの話して!夢なんか見てないで、早く客に料理を持ってってちょーだい!」

料理担当の恰幅の良い女性が文句を言いながら、油を売っている少年を叱りつけた。

「ごめんなさいねぇ、旅の人!うちの客が迷惑かけて!」
「...気にしていない」
「あ、そう?助かるわぁ!」

女性は額から流れようとする汗をエプロンで拭いながら、自分用にビールを注いで飲みはじめた。

「はぁ、うまい!ようやく料理場がひと段落したよ。そういえば、宿は決まってるかい?うちなら2000リル!ここで飲んでくれた客は破格の値段で寝れるってわけさ!」

女性は水のようにビールを流し込み、二杯目を注いだ。

「...じゃぁ泊まらせてもらうおうか」
「まいどあり!」

女性のオファーに旅人はクスッと笑って、財布から2000リルを取り出して渡した。
そして、ウィスキーを追加で注文し、酒場を見渡した。
汗とほこりまみれになった肉体労働者達が、酒を飲みながら今日あった出来事、世の中への文句、気になっている女の話...様々な話をして憂さ晴らしをしている。
この光景は旅人にとって懐かしくもあった。もし今も衛兵として働いていたら、同僚とここで飲んだのだろうか...昔を思い出しながら、ウィスキーを口に含み、眠くなるのを待った。

「兄ちゃんの部屋はこっちだよ!」

酒を飲み終わり、部屋への案内を女性に頼むと、疲れていると言って少年に案内するよう指示をした。

「オイラ、ドームのこともっと聞きたい!教えてくれるか?!」

部屋の案内と共に、仕事も上がっていいと言われた少年は、旅人と一緒に寝たいと言わんばかりに、ドームの話をせがんだ。

「...いいぞ。だがな、先に風呂に入らせてくれ。宿に泊まるのは3日ぶりなんだ」
「やったー!!」

ドームにいたっては、ほんの些細な情報でも貴重なので、少年にとって旅人が神さまのように見えた。
旅人は小躍りするように喜ぶ少年を見て、微笑んだ。自分にもあんな風に純粋に喜ぶことが出来た時代があったのだろうか、と過去を思った。
少年が部屋を出た後、旅人は部屋の入り口から浴室まで服を脱ぎ捨てながら進んだ。
浴室に入る前に靴を脱ぎ捨て、浴槽にお湯を溜め始めた。
その間、ボディソープを泡立たせて体を洗う。最長1ヶ月風呂に入れなかったこともあったので入らなくても気にはしないが、それでも一つの土地に留まるからこそ浸かれる風呂はやはりありがたかった。

「兄ちゃん!オイラ背中流すよ!」

溜まりはじめたお湯で体の泡を落とそうとし始めた時、少年が勢いよく浴室のドアを開けた。

「うわ、ごめんなさい!女の人がいると思わなくて!ごめんなさい!」

旅人の持つ豊かな胸に無駄肉のついていない引き締まったウエスト、腰から伸びる長く綺麗な足。
泡越しでも綺麗な体だと分かる。そんなイイ体をまじまじと見てしまった少年は、顔を真っ赤にして浴室のドアを大きな音を立てて閉めた。

「赤眼の子か...どうりで綺麗な顔をしているわけだ」

旅人は裸を見られたことなど気にすることなく、少年の瞳が赤く光ったことを見逃さなかった。
お湯で全ての泡を洗い流し、下半身を湯船につけながら、俯いて髪の毛を洗いはじめた。
しばらく砂漠にいたので、髪のあらゆる場所に砂が付いている。
旅人は髪を洗いながら、先程の少年をどうやって仲間にしようか考えていた。

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