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名前のない物語〜終わり②〜

「あ゛...あ、ぁ...」

ドーム全体が揺らぎ、建物が崩れ落ちていく中、闇魔法の消えた女王の声がかすかに聞こえて来た。
その声は、昔憧れたヒーローのものだった。

「イザナギ様!」

もう怪物ではない、命が消えようとしているかつてのヒーローは、アカリを見て微笑んだ。

「強くなったな、アカリ...」

苦しそうに、ヒューヒュー...とか細い呼吸をしながらも、しっかりとアカリの目を見た。
多くの子供たちを訓練してきたが、イザナギにとってもアカリは忘れられない少女だった。
最初は泣いてばかりで、走ることも苦しくなるほど体力はなかったが、育ててくれたシスター達を盗賊に殺され、共に指導を受けた仲間を自害によって失い...見舞われた多くの不幸によって、大切な者を失う度に強くなっていった。
いつからか涙を見せなくなった少女は、泣く代わりに大切な人を守れるようにと、日々修行に励んだ。
誰よりも、男よりも、怪物よりも強くなろうと、貪欲に強さを求めた。
走馬灯のように駆けめぐるアカリと過ごした日々は、指導者としても忘れられない思い出だった。

「どうして...イザナギ様...!」

アカリの瞳から涙が溢れ始めた。多くを失い、イザナギを親のように慕っていたからこそ、我慢などきかなかった。止めどなく溢れ出て、声さえも奪っていく。

「ははっ...泣くなよアカリ...お前は最強の、戦士だろう...?」

イザナギは随分と重たくなった腕を懸命に動かし、アカリの涙を拭った。昔と同じように囁いた「最強の戦士」その言葉が更にアカリの涙腺を崩れさせた。どんなに落ちこぼれで、自分には戦う才能がないと子供本人が戦士になることを諦めようとしても、イザナギは本人以上に信じた。
「どんな人間でも、訓練を受ければ必ず強くなる、最強の戦士になれる」
事実、イザナギが指導した子供で、戦士になることを最初から諦めた者は一人もいなかった。それ程、戦士を育てたり、国を率いたりと、多くの才能に恵まれていたヒーローだったのだが、何故イザナギは悪へと堕ちたのか。
その理由を聞きたかったけれど、涙と嗚咽に邪魔されて話すことさえままならなかった。

「アカリ...私がこうなる前に...記した書物を保管してある...この鍵を...」

イザナギの呼吸は小さく虫の息になりながらも胸元に下げた鍵を掴み、アカリへ渡そうとしたが...もう彼女に力は残っていなかった。
ドームの天井が崩れた為に見えた、青く晴れ渡った空を最後に視界に映し、呼吸は止まった。
かつて敬愛した指導者の命が消えたことを悟ったアカリは、涙を流しながら、うっすらと開いたままの瞼を手でそっと閉ざした。

「安らかに...眠ってください...」

イザナギの呼吸が止まったと同時に、女王の間の床全て崩れ落ちていった。足元が崩れる前に、イザナギの胸元から鍵を回収した

「あそこだ、ナリ!アカリを救え!」
「クェーッ...」

近くで待機していたドクが雷鳥のナリに乗って、アカリを助けに来た。あと数秒遅ければ女王の間は完全に崩れ落ち、飛べないアカリには致命傷になっていたかもしれない。

「そろそろ飛空魔法覚えろよ、アカリ!死ぬ所だったんだぞ!」
「...そうだな、魔法を覚えるのも良いかもしれないな」

ナリの進む方向をコントロールしながら、いつものように魔法を覚えろと文句を垂れるドク。だが、今回は素直な受け入れる返事があったので、驚いてナリをコントロールする手綱を離してしまった。

「クエーッ!」

手綱を緩められるとすぐに興奮して、空高く飛び始める癖のあるナリ。
慌ててドクは手綱を引っ張り、上へ飛ぼうとするのを引き止めた。

「どうした、アカリ!変なもんでも食ったか!風邪でもひいたか!」
「...方向間違ってるぞ、集合地点は南だ。北に向かってどうする」
「マジか!早く言えっての!ナリ、逆だ、南だ!」

変わらない日常に戻ってきた。方向音痴のドクと能天気な雷鳥のナリ。そして集合地点で待つは、これからも共に生きたい仲間たち。
もう、イザナギの教えを守って肉弾戦のみを担当する戦士でなくてもいい。この世界の常識に則って、魔法をマスターするのも悪くない...そう思ったのも事実だ。

ここ最近の出来事は本当に色濃かった。
赤眼の少年と出会い、ドームの真相にせまり、ドームに囚われた人々を救う為に奔走し...その過程で何人かの仲間は命を落とした。命を賭けても変えたい、愛する者のために動きたい。皆の想いは同じだった...
イザナギと出会う前のこと、出会った後のこと、ドームにたどり着くまでの人生を思い出しながら、アカリは青空を見上げた。シンの国の状況を知ってか知らずか、全ての者に平等に青く美しく映った。

汚れた国、シンのドームが崩壊してから5年の月日が流れた。
アカリはシンに残り、戦士になりたいと願う子供たちの指導者となっていた。

「先生ー!先生、見て!ほら!」
「...凄いな、よくここまで練習したな」

アカリは元々多くを話す性格ではない為、イザナギのように大きな声で褒め称えることはないが、寡黙な指導者でも、しっかりと成果を出し、子供たちは良い戦士になっていく。
評判も良く、最近はアカリの指導した子供たちが王城の警備兵となることが多く、国王の信頼を受け、王の認めた指導者と呼ばれるようになり始めた。
子供達の指導に、時折呼ばれる戦士としての仕事、仲間と共に酒場で語り合う時間...
充実した日々を過ごしていた。
が...物足りなさを感じていたのも事実。
何故か心に穴が空いたような、何か大切なことを忘れているような、そんな感覚が最近はあった。なぜこう感じるのか?深く内観の時間を取ろうとも、答えが見つからない。
そんな時、事件は起きた。一般人であれば事件でもなんでもない、人生ではよく起こりうること。
だがアカリにとっては、頻繁に起きるものではないこと。

いつものように仕事を終わらせ、夜灯で室内を照らしながら、ベッドにダイブした。
疲れて目を閉ざそうとしたが、人の気配がし、枕元に常に忍ばせている短剣を取り起き上がった。

「...クルト?」
「さすが、アカリさん。最強の戦士は健在ですね」

感じたことのある気配に、緊張した空気が和らいだ。ドームの崩壊から1年と経たずに赤眼の力を鍛える為に修行に出たクルトだった。
そしてアカリも驚いた。通常、部屋の中に人がいる場合、部屋に入る前に気付く。気付けなかったのは気配を消していたからであり、気付かせる為に気を出したということも、赤眼の能力が十二分に開花されたからだろう。

「...大きくなったな」
「はい。もうあなたを抱っこ出来ますよ」
「なっ、ちょっ...」

夜灯に照らされたクルトはもう、女性の裸を見て鼻血を出して倒れてしまう、可愛らしい少年ではなかった。
程よく引き締まった筋肉に、随分と背丈を伸ばし、軽々とアカリをお姫様抱っこする腕力、身のこなし。
20歳になったクルトは、アカリを抱えてベッドに腰をかけ、黒く大きな瞳を見つめた。

「アカリさん、僕と結婚してください」

クルトの言葉に開いた口が塞がらなくなったのは確かだが、それ以上にクルトに抱きかかえられ、安堵している自身の感情に驚いた。
まるで今まで空いていた心の穴が塞がっていくように、クルトの赤目、落ち着いた低い声、アカリの手をすっぽりと包み込む大きな手...
バラバラにばっていたパズルのピースがついに完成できた、クルトがいてこそ完成...
そんなことを脳が発言しているような、変な感覚を覚えたアカリ。
クルトは呆けた顔をしているアカリを見てクスクス笑いながら、長い指でアカリの唇に触れた。

「キス、してもいいですか...?」

赤く柔らかな唇を食べようと、クルトの顔が近づいていく...
だが、今の現状を把握出来ていなくても、アカリはアカリだ。
ぽかんと口を開けながらも、クルトの顎目掛けて重い拳を繰り出した。

「何をする」
「いったた...それはこっちのセリフですよ、アカリさん!避けられたからいいものの、普通の男だったら骨割れますよ!」
「...お前が悪い」

クルトの存在が自分にとって大切なのだと、無意識下で理解したアカリ。だが、顕在意識ではまだ女としての感情を受け入れられないのか、アカリの体は自然とクルトに攻撃を繰り出してしまう。

「分かってましたけどね、こうなること」
「...抱きつくな、暑苦しい」
「5年前は抱きついても怒らなかったじゃないですか!」
「...その時お前は子供だった」
「僕は変わらない、クルトのままですよ?」

そう言いながらクルトの手はアカリの豊かな胸に触れようとし、その手を振り払うアカリ。
命を賭けた戦いは終わったが、クルトが少年から男となって帰ってきた為、人生でよく起こりうる恋愛というハプニングと戦わなければならなくなった。
アカリにとっては大きな試練かもしれないが、シンという国が平和に穏やかになったことを証明できる可愛らしい事件だろう。

*おわり*

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