見出し画像

名前のない物語〜終わり①〜

「来たわね...私の可愛い子猫ちゃん」
「...もう終わりだ、観念しろ」

ドームに毒された人々の救出を終え、ついにこの国を支配する女王の元へ辿り着いた。
その昔、アカリを屈強の戦士に育てあげた、崇拝する師匠、イザナギ。
アカリを指導していた頃のイザナギは、小国の未来を担う希望の星だった。
女として生まれた者は必ずと言ってよいほど、イザナギのように強く美しい女性になりたいと一度は願った。
だが、目の前にいる女性は、かつて憧れたヒーローではない。怪物に己の全てを捧げたイザナギの肌は青く、かつては人間だったのか信じられない形態になってしまった。
腹部から伸びる、合計16本の足に、蛇のような下半身。アカリを見つめるその目はご馳走を目の前にした怪物そのもの。
かつて憧れたヒーローは、人間でさえなくなってしまった。
ただおぞましい形態で、アカリに食らいつこうとしていた。

「私に勝てると思ってるの...?泣き虫子猫ちゃん!」

パァンッ

「ぅぐっ...」

イザナギは巨大な尻尾を振り回してアカリの体を床に叩きつけようとしたが、それを避け、懐へ入れる隙を探った。

「どうしたのよ、子猫ちゃん!逃げてばかりじゃ、私を倒せないわよ!アハハハハハ!」

器用にも尻尾を振り回しながら、毒にまみれた16本の足も同時に動かし、アカリの逃げ道を塞いでいく。
毒に強いマントで体を覆ってはいるものの、全てを守れるわけではない。石柱に投げられた毒の一部がアカリの頬に跳ね返り、皮膚が焼ける音がした。

「くそっ...」

痛みはあるが、それよりもアカリの戦闘中の集中力は高まっていった。
ドームに来れば幸せだと、もうひもじい思いをすることはない、と死に物狂いで努力を重ねてドームにやってきた者たちは、ドームへの会員証を手にしても幸せになることはなかった。
ドームの外よりも苦しい日々を課せられた。

精神を壊して、自殺をした者。
強制的にドラッグ漬けにされ、ひたすら衛兵達の慰め役となった者。
ドームを脱出し、ようやく平和な日々に戻れると思ったのも束の間で殺された者...

数え上げればキリがないが、アカリはドームによって人生を狂わされ、死に追いやられた人々をたくさん見てきた。
そして、一緒に戦おうとしてくれた者も命を落とした。女王の気まぐれによって...

「捕まえたわ、子猫ちゃん...」

巨大な尻尾と毒足で繰り出される連続攻撃から逃げ続け、飛び散る毒を被り、女王の間にたどり着くまでの戦闘の疲弊もあり、とうとう捕まってしまった。

「さぁ...泣き虫子猫ちゃん、私の血肉となりなさい!」

尻尾で体をきつく締め上げられ、息苦しくなる。毒の影響により、視界がかすむ。呼吸も浅くなり、命の危険を感じ始める。
このまま殺されて、楽になろうか...そんな思いさえ込み上げてきたその時。

ボウ・・・

イザナギの大きく開かれた口の中へ放り込まれるその瞬間。
怪物の口の中に見えたのは、かつての同志だった。
孤児だったアカリを優しく厳しく育ててくれた孤児院のシスターたち。
遠い昔、共に厳しい訓練を生き延びたレイ。
男とは頼りがいのあるものだと教えてくれた初恋のジール。
女王の間にたどり着くまで道を繋いでくれたサクラとルイ。
今まで共に、命を賭して戦って来た盟友達が死んでもなお、アカリの戦いを導いてくれている...

『諦めないで、アカリ』
『俺たちがついてるから』
『忘れないで、もう終わりが近いこと』
『お前なら出来る』

光に包まれた、この世にはもういない愛する者たちは、アカリの背中を押すように、戦う為のエネルギーを与えるように、アカリの剣に手を伸ばした。
そして...

ドォンッ!

大きな爆発音と共に女王の間の床が全体的に沈み、所々石のブロックが崩れ、床に穴が空いた。

「やったー!崩れた!!」
「あたいらの任務はこれだけだからね!とっとと逃げるよ!」

階下から聞こえて来たのは山賊のキリー達と赤眼の少年クルトだった。クルトの視える力は本当に頼りになる。鍛錬を続ければ、国の中心部から砂漠にいる標的を仕留めることも出来るだろう。その為、赤眼を持つ者は善にも悪にもなり得る。
だがクルトなら悪に堕ちることはないだろう、それほど少年は素直で純粋だった。

「虫ケラ共...よくも私の城を傷つけたな...喰らってやる!」

イザナギではなくなった怪物が、階下の者達へ意識を向けた。この一瞬がアカリにとっては大きなチャンスとなった。
たった数秒、体を締め付けていた尻尾は緩み、それと同時にアカリは左腰に下げた剣に触れた。
命を落としてもなお、一緒に戦ってくれる者達と共に。

「はっ!」

階下へ攻撃をしようとした怪物が、気付いた時には遅かった。
亀の甲羅よりも硬い体の中にある心臓目掛けて、剣を突き刺した。どんなに屈強な戦士でも一人の力では勝てる見込みはなかった。
アカリを慕ってくれた者達が祈りを捧げ、力を貸してくれた。硬い皮膚を突き抜けるように、心臓まで届くように、今度こそ悪を消滅出来るように...

「ぐわぁ...あ゛あ゛...」

アカリと仲間の祈りは届いた。
ついに心臓を突き刺し、怪物はなんとも醜い叫び声をあげて、床に倒れ込む。先程破壊され、穴が空いているのもあり、女王の間全体が崩れはじめた。この崩れはドーム全体に響いていく。

かつては国中の人間がドームを目指した。体中の水分が失われそうな昼間、マイナスの気温により下手をすれば仮眠中に命を落とす夜。
砂漠化した世界を生き抜く為に、騙し、奪い、殺し...
人々は今日生きていられるかの世界に疲弊していた。
そんな時に入ってきた情報は、人々に生きる気力を、希望を与えた。
ドームに行けば、衣食住に困ることはない。異性とも簡単に付き合える。ドームへの切符を手にする為に全てを失おうとも、ドームに入れば失ったもの以上に得るものが大きい...

そんな情報が様々な国に広がり、何千、何万もの人間がシンに押し寄せた。そのお陰で、シンという国自体も潤い、この星に生きる全ての人間がシンに来たのではないかと思える程、移住者はひっきりなしにやって来た。

汚れた国と呼ばれ数えきれないほどの蔑みを受けていたのに、ドームが出来たことで多くの国々への経済効果も高く、一目置かれる国にまで成り上がった。
だが正しくないことで成り上がるものは、必ずどこかで崩される、正しい者の手によって。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?