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根底にある哀しみ

色々と話してくれてありがとう、貴女がそうせざるを得ない程に、そうしないと自分を保つことができないようになってたんだなと、改めて感じたよ。
なかなか逢えないけど、また話をたくさんしよう。


先日一年ぶりに親友に会った。
その時に私は、ここ2年の一連の話をすべて打ち明けた。これは次の日の朝に彼女からもらったメール。


今回私が彼女に秘密を打ち明けて、とてもありがたかったのが、賛同も応援もせず、ただ話を聞いてくれたことだった。私は許しが欲しいわけではなかったから。


本当は話すつもりはなかった。普通の人なら理解しがたいことをしている自覚はあるし、そんなことやめときなよと説教を受けたくないというのもあったし。
何より、人として軽蔑されるのが怖かったから。話すべきことではない。それに、もし自分がこれを話すことで罪悪感から逃れようとしているなら、それ自体を自分に許してはいけないとも考えていた。


ところが彼女と会うことが決まると、ふいに気が変わって全部話してしまおう、そう考えた。
おそらくちょうどタイミング的にも、一連のことに気持ちのケリが付いていたからというのもあったのだろう。

Twitterで出会った仲間ではなく、リアルで昔からの友達に、自分のしていることを話したのは初めてで。メソメソ族の私は、やっぱりメソメソしたようなしていないような。実を言うとお酒が進みすぎて具体的にどのように話したのかよく覚えてない。

ただ、自分が親友に語った言葉の中でふと思い出したものがあって、それは、

「○○(夫の名前)のこと、私なりに大事にしていたのになぁ」

という台詞だった。


私が親友に聞いてほしかったのはきっと、自分が敢えて溺れた恋の話ではなくて、
夫に対してどうしたって拭えない深い悲しみがあったこと、やるせない辛さがあってもがいてきたことだったのかもしれなかった。
それで翌朝のあのメールなのかも。

なんにせよ、受け止めてもらえたことをありがたく思った。メールを読んでまたメソメソした。


Twitterを始めてから、自分と同じように不倫している人たちが沢山いることを知って、皆んなそれぞれ理由があることも同時に知った。
うっかり恋に落ちてしまった人、スポーツのようにセックスを求めている人、配偶者に傷つけられて追い詰められた末に始めた人。私はこれに該当するが、まぁいろんな人がいる。

特に、追い詰められてやむなく始めた人の苦しみと闇は本当に深い。普段明るい人も根底にある哀しみは本人にしか解らない壮絶さがそれぞれにある。

だからといって何をやっても許されるとも思わないし、許してくれとも思わない。寧ろ何かよくないことが起こると、神様からバチが当たったんだとすぐに考えてしまう。そのくらい申し訳ない気持ちで不倫に取り組んでいる。これは人にもよるのかもしれないが。とはいえ不倫して心から救われているのかといえばそうでもなく、余計苦しんでいる人の方が多かったりもするようにも思う。
私を含めて。

こんなこといつまで続けるんだろう。

大半の人はそう思ってるのではないか。結局は自分の心の奥底にある渇望とか、哀しみとか葛藤に自分でケリをつけないと、何をやってもどこまで逃げても救われない。私はそのように思う。

続けるもやめるもその人次第で、自分の落とし所をどうやって見つけるかなのではないか。

そして、私の旅路もまた、もうすぐ多分終わりになりそうな気配だ。自分なりに色々考え、おおかた決めた。この哀しみにいよいよ立ち向かわなければいけない時が来たのかなと。
苦しくて、心細くて、またメソメソすることだろう。それでも生きていかなきゃいけない。
どうにかメソメソしながらも、前を向けたらいいのだが。どうだろうか。
とりあえず毎日泣いてるのはなんとかしたい。

自分よ、健闘を祈る。
がんばれがんばれ。

文章を書くことをどうにかして夢に繋げられたらなと思っているのです。 頑張ります!