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ボニー・アルベルト・テラン状態

私は面食いだけどジャニーズにはなんか苦手意識がある。過剰に演出された世界を直視できず、若い人が出てきても相当売れるまでは名前と顔が一致しない。でも今から書くのはジャニーズの話。タイトルと画像はボリビア人だけど、ちゃんと意味があるんだ。

渋谷すばるくんのことは、中学の同級生に熱狂的なファンがいて、教室で名前を叫んでいたため存在を知った。折しもジャニーズJr.「東の滝沢、西の渋谷」時代のことである。顔を見るとたしかに美しすぎるほど美しい。木村拓哉が話題をさらったカネボウのルージュの広告や最近のそごう西武のポスターを見ても思うけれども、完璧に整っているわけではないのにどうしてか見飽きない、見る人に快さを与える顔面というのはあるものなのだ。(その意味での個人的最高到達点はジュリーやロビンです)

それで、15年以上経ってから、かつて美しすぎるジャニーズJr.だった渋谷すばるくんが関ジャニ∞という謎の名称のグループでデビューしたことを知り、そのうちに「味園ユニバース」という映画(山下敦弘監督、あの「リンダリンダリンダ」の)で主演・主題歌を務めることを知った。美しすぎる顔はいくぶんかやんちゃな味わいがある感じに成長し、歌声は甲高くてジャニーズにしては強すぎるビブラートが特徴的だった。彼の声が入っていると、初めて聞いた曲でも関ジャニ∞が歌っているとわかる。大阪の辺縁を描いたその映画を(公開終了間近、キネカ大森に。エモい)見に行った。破天荒なシナリオと、「歌うのが好きな人が好きな歌」ばかりの劇中歌とが彩る、ジャニーズ主演映画。たぶん良い映画とはあんまり言われないんだろうけど愛すべき映画だなと思った。「歌うのが好きな人」を見るのが好きなのだ。

それから主題歌の音源を聴きこんで、全然知らなかった彼のボーカルとか音楽の方向性を想像した。例えば彼が同じ顔面を持って生まれながらジャニーズに入らず、ブルハを崇拝する童顔のパンクとして大阪のライブハウスを暴れまわっているパラレルワールドのことを。もしかして、町田町蔵のようになっていたかもしれないよ。もちろんジャニーズに入らなければ音楽的な経験は全く別物だっただろうから、歌声も作詞作曲の能力も違っていたかもしれない。しかし彼のソロを聴いて、彼の歌声やブルースハープをばりばりに歪ませたり、耳の中で蝉が鳴くようなバンドサウンドの中で聴いてみたいし、本人もそんなミックスがほしいだろうとすぐに思った。

そして今般。事務所をやめることでいろんな謎のルールから自由になれるなら、彼も彼のいたグループも結果的に幸せなのだろうと思う。やめない方が幸せな人たちがいる、それはそれでいいのだけど、「今持っているものを生かす」だけのビジネスには先がないと思う。こう売り出して、コンサートではこういう衣装でこう演出して、雑誌ではテレビではこう振舞って。それって見てる側も作る側もすごく安心感あるけど、そんなに型にはまっていては人間としての経験が、成長が、芸に写り込まないのではないか。オンラインに画像出さないからSNSはNG、副業はおろか結婚も許可制。そんなことでは現代に生きているとは言えないのではないか。ファンもタレント本人たちも気づいて変わっている。人間は時間と経験を経て変化する。アイドルも年をとるけど、人前に出る存在である以上、その変化は「劣化」なんてお寒い言葉で済まされるようなものではないだろうし、それではいけないだろう。で、それをちゃんと乗り越えてチャーミングであり続けたのがSMAPというグループだった。

ジャニーズの先輩後輩関係って、今の時代では珍しいほど有機的に「兄貴と弟分」が生まれるようだけど、いつだってそのサイクルに入れる人と入れない人がいるし、入れない人もロールモデルを持って育成されるべきなのだ。現に、SMAPはオールマイティな国民的アイドルグループとして突出しすぎたために、ジャニーズの先輩後輩サイクルから外れてるように見える。SMAPに憧れる後輩たちはいるだろうけど、まだ誰も後継者になれそうな、なってやると言う人がいない。そして解散劇、独立した3人の奮闘。みんな外の世界があることに気づき始めている。

この世に誰一人同じ人はいないけれど、だからこそ何かを共有し、同じような成功をみんなでつかむために組織がある。それは経営学の1コマ目の講義で習ったことだ。人は100年ちょっとで死ぬけど、人は組織を300年生かすことができる。ただし、人が育って受け継いでいけばの話。人を飼い殺すと組織もじわじわ死んでいく。

ときに、タイトルにした言葉は、実家でテレビを見ていた時に父親がよく使っていた造語。「曲を聴いてすぐアーティスト名がわかるけれど曲名が全くわからないぐらいに、どの曲も似ていると感じる状態」を意味する。マンネリを揶揄することもあるけれど、独自のカラーがあって支持される=人気がある状態という、プロがプロになり得る所以も含んでいる。カラーっていうのは声だったりコード進行だったり振り付けだったり、芸風と言ったりする。「いくら歌が上手くても、何もカラーがなければプロの歌手として食べていくのは難しいんだよ、上手すぎてどんなカラーにでも染まれるぐらいになれば別だけどね。」自分の好きな「上手い」アーティストよりジャニーズのCDが売れる世の中を嘆く中学生の私に、父はそう諭した。

いろんな人や環境に育ててもらい、もうそろそろ自分のカラーを客観的に理解しなきゃいけない年頃に。そして周りにも社会にも後輩が多くなり育てることも考える年頃に。そんな今わたしはジャニーズの今後がとても気になっています。

さいごにボニー・アルベルト・テランの曲がYouTubeにあったので貼っておきます。父がよく歌っていて、ボニー・アルベルト・テランの持ち歌とはきょうググって初めて知りました。というかボニー・アルベルト・テランについては何も知らない。曲名は「I'm suffering」的な意味らしいです。渋谷すばるくんがいつかボニー・アルベルト・テラン状態で何曲もリリースする日を楽しみにしています。

"Estoy Sufriendo" - Bonny Alberto Teran

https://youtu.be/205BGla6Yew

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