妊娠徒然| 問われるセンス
こんちゃ、白湯です。今日は、妊婦検診でもらえる、エコー写真について。
コロナ禍に病院通いをしていると、患者さん一人で来院してくださいと言われる。妊婦検診も、診察室には患者しか入れないので、お腹の小人がどんな様子だったか家族に伝えるには、エコー写真しかない。
検診にも慣れてくると、エコー撮影してくれる先生の個性も見えてくるのが、ちょっとおもろい。
映像を見ながら、ファッション雑誌のカメラマンばりに連写してくる先生もいれば、フィルムカメラの伝統を大切にして数枚だけしか写さない先生もいる。
基本エコー写真って、光も届かない深海の中で、心霊写真レベルに移りこんだ物を必死に探すものなので、こちらの見る力もかなり試される。患者自身は、映像も見ているから、脳内である程度補完出来ているので、まだマシだ。
しかし、写真を見て想像するしかない人は、理解できない時も多いようだ。
そういう家族の冷静な意見を聞いていると、エコー映像の切り抜きでも、見る人が、見たい画像を写すセンスのようなものも必要だと感じるようになった。
ちなみに、あたしがお世話になった病院で、5人の先生が検診をしてくれたが、全員このセンスはイマイチだった。
家族に説明するために、「これはどこを写した写真ですか」と毎回医者に聞いているが、7枚くらい写してくれた中の、4枚同じアングルのものもあったりする。例えば、全て顔を写していて、胎児が口を半開きにしているか、3割くらい開いているかの違い。目の粗い写真では、その開き具合の差なんて分からない。
産婦人科医にそもそもそんなセンスは必要ないかもしれないし、産婦人科医ならではの機微みたいなのを、ド素人が全く理解できない可能性も、否定できないのだが。
今までもらった写真で一番おもろかったのが、1枚しかくれなかった先生。アングルは、頭頂部からのドアップ。あれはあれで、芸術センスはほとばしるものがあった。もちろん、写真を見た家族の反応は、うっすーかった。
ここで家族が詠んだ一句をご紹介。
エコー写真
どこが顔だか
分からない
ありがとうございました。
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