カラオケいまむかし

私が初めてカラオケを楽しんだのは今から三十五年ほど前、一九八〇年代の終わりごろのことである。カラオケ自体は一九七〇年代初頭からあったようで、すでにスナックや宴会場などでは盛んに楽しまれていたのだろう。しかしここではそういう不特定多数が聴いている場で歌うのではなく、あくまで自分と、数人の同行者だけで楽しむ少人数のカラオケについて書くつもりである。

尤も、カラオケいまむかし、と題したものの、「いま」に関しては残念ながら四年前で情報の更新が止まっている。それまでは月に一~二回は通っていたのだが、コロナ禍以後は全く行けていない。そろそろ再開したいと思っているのになかなか一歩目が踏み出せぬまま、あれこれ思い出して懐かしがっているうちに、昔のことを書き留めておきたくなったのだ。だいぶ記憶は曖昧で、大事なことを忘れていたり間違いもあったりするかもしれないが、思い出すまま書いてみる。

初めてカラオケのマイクを握ったのは、ボウリング場か何かの片隅に設置された透明のボックスの中だった。広さが三畳ほどあるかないかの小さなボックスの中に、カラオケの機械と簡単な椅子が二つ三つ、それと小さなテーブルがあって、曲を選ぶための分厚い冊子が何冊か置いてあったような気がする。
ボックスに入るのにお金は要らなかったが、一曲歌おうとするごとに機械に百円玉を入れるのである。通信カラオケなんてものはない時代だ。お金を入れると一枚一枚ディスクが選ばれ、セットされるような仕様であったように思う。
キーやテンポ、エコーなどが調整できたのかどうかも、時間制限があったかどうかも覚えていない。

飲み物ぐらいは持ち込んだのかもしれないが、透明な箱の中で何かを食べたという記憶はない。だいたい、そんなに長居をするものでもなかったのではないだろうか。二人か、多くても三人で入って、一人あたり三曲から五曲も歌えば退出していたような気がする。なにせ透明な箱の中なのだから、人の目が気になるし、空くのを待っている人の姿が見えれば、適当なところで出てあげなければ悪いという気にもなる。

カラオケボックスは他にも、改造したキャンピングカーやコンテナが広場に何台か置いてあり、スペースの一角に簡易トイレを設置したようなものもあったように思う。

やがて私は、カラオケルームにハマっていくことになる。
先のカラオケボックスからの進化ぶりは目をみはるものがあった。建物の一部、あるいは専用の建物の中のちゃんとした「部屋」で、ゆったり座れるソファーがある。テーブルも広く、インターホンで注文すれば飲み物や食べ物を持ってきてくれる。最初に申告した時間の十分前になるとインターホンが鳴り、お時間十分前ですと教えてくれる。延長したければそこで申し込む。
一曲百円ではなく「室料」を払う。時間あたりの部屋代を払えば、その間は何曲でも歌えるのである。
他の人が歌い始めたころにはもう次の自分の曲を予約していて、時間がもったいないと言っては最後のフレーズが終わると後奏の途中でも演奏停止ボタンを押してしまうというせっかちな友人がいた。私たちは「余韻も何もあったもんじゃないね」と苦笑しつつ、飲食する暇も惜しんで歌いつづけたものだ。

三時間、四時間、という長い時間をカラオケルームで過ごすことも増えてきた。時間制とフリータイム、ドリンクバー付きプランとワンドリンク制などを選べるようになり、フードも充実してゆく。
一時期よく通っていたカラオケルームは、若鶏の唐揚げが絶品だった。バーボンの水割りがまた濃くて美味しい。しかし、土曜の夜に懐かしい歌を歌いまくりながら、合間に唐揚げとバーボンを交互に口にする至福の時間を過ごさせてくれたその店は、残念ながらコロナ禍のさなかに大型チェーン店に吸収されてしまった。

その後も進化は止まることを知らない。人数や用途によってさまざまな広さや内装にこだわった部屋が用意される。カラオケ自体もどんどんバージョンアップし、曲数が増えて大昔の曲やマイナーな曲が歌えるようになったり、採点機能がついたり、全国ランキングが表示されたりするようになった。歌いたい歌が見つからないとき、とりあえずリモコンで履歴をチェックし、前のグループの人が歌っていった曲目を見ていると、選曲の助けになる。歌手名や曲名のほかに、時代やジャンルで絞り込んで探すこともできる。リモコンで飲食物の注文ができる店もある。近頃は一人カラオケも人気らしい。・・・・・・私はこのくらいまでの知識しかないが、カラオケルームを使いこなしている人たちはもっと多彩な遊び方を知っているのだろう。

少し前から昭和の歌がまた注目されているらしく、今日もテレビでは盛んに昔の歌を集めたCDの宣伝や、懐メロをとり上げた番組を放送している。それを見ながら一緒に口ずさんでいると、ちゃんとフルコーラス歌いたくて仕方がなくなる。歌いたい曲が山ほどある。
私は決して歌がうまい方ではないのだろうが「持ち歌」は幅広いと自負している。
小さい頃から周りには、父母の影響でクラシックのレコードからテレビで流れる歌謡曲までいろんな音楽があふれていたし、晩婚の父母の口ずさむ古い歌もたくさん聞いて育った。昔の歌を多く知っていたことは、大人になってから年長者と交流するのにずいぶん役立った。二十代のころから「自分は今どきの歌を知らないから、若い子とカラオケに行くと嫌がられてないかと思って気を使うけど、貴方がいてくれたら安心して古い歌が歌えるから楽しい」などと言ってもらえることに喜びを感じていた。

歌は世につれ世は歌につれ、という。自分がまだ生まれていなかった頃の歌を知ることは、少しでもその時代を知るよすがとなってくれるだろう。
また、今どきの歌はさっぱりわからないとソッポを向かずに、よく聴かれている曲をとりあえず聴いてみることは、世の動きに取り残されないために多少は有効なのではないかと思う。

カラオケは脳を刺激することによる認知症予防や、口を動かすことによる口腔環境の改善、ストレスの軽減など、さまざまな健康効果もあるというから、いいこと尽くしではないか。
そんなことを書いていたら居ても立っても居られなくなったので、さっき思いきって徒歩圏内に一軒だけあるカラオケ店に予約を入れた。
初めての一人カラオケである。平日の昼間、三時間。四年のブランクを経て最新機種の楽しさを味わって来ようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?