sayuri

読んだ本や、本で読んだ場所へ行った記録など。高山右近が好き。 大航海時代、安土桃山時代…

sayuri

読んだ本や、本で読んだ場所へ行った記録など。高山右近が好き。 大航海時代、安土桃山時代、南蛮文化、戦国キリシタン史に興味あり。

マガジン

  • 16〜17世紀の歴史をめぐる旅

    本で読んだところへ出かけた

  • ただの旅行など

    旅行大好き

  • 読書

    読んだ本 主に歴史関連の本 備忘録のため書いてるので長いです

最近の記事

大阪 16世紀をめぐる旅 細川ガラシャ編

大阪にある細川ガラシャゆかりの地へ。 南蛮文化館 5月と11月のみ開館。南蛮美術やキリシタン遺品など展示されています。 中は撮影禁止ですが、入口だけ撮影できます。細川家の九曜紋が入ったこの鐘は、1616年の津山城築城のとき細川忠興(ガラシャの夫)が森忠政に贈ったものだそうです。ちなみに、忠興がガラシャ追悼のために作らせた鐘は永青文庫(東京)にあります。 展示物がたくさんあって楽しいです。ガラシャの遺品といわれる明智家の家紋・桔梗が入った十字架もあります。本当にガラシャ

    • 大阪 16世紀をめぐる旅 堺・千利休編

      千利休ゆかりの地へ。堺編 千利休邸跡さかい利晶の杜の隣にある利休邸跡。中は井戸が残っているだけです。ちょっとよくわからないのですが、どうやらこの辺り一帯が利休の土地ではあったが、ここがピンポイントで邸跡かと言うとそうでもないとか、なんとか・・?今度またいってみたら色々聞いてみます。となりの利晶の杜も絶対見たかったのですが時間がなくていけず・・次回は必ず! 南宗寺 三好長慶が父の供養のため作ったお寺で利休居士が修行したと言われています。大坂の陣で一度焼失しましたが、沢庵和

      • 大阪 16世紀をめぐる旅 堺編

        ヴィレラ神父が東洋のベネツィアと呼んだ堺。 堺東駅 貿易で賑わい、南蛮船は入ったことはないですが、多くの商人が集まり自治都市として栄えた堺。南蛮推しで楽しめました。戦国時代、ここ堺でクリスマス休戦したこともありました。 ザビエル公園 堺の豪商で茶人の日比屋了慶(ディオゴ)の屋敷跡。現在はザビエル公園という公園になっています。ザビエルは天皇から布教許可をもらうため、平戸から京都へ向かい、堺の日比屋家にお世話になったそう。日比屋家はその後、ヴィレラ神父がきてから洗礼を受け

        • 天草コレジヨ館、コレジヨ跡地

          天草コレジヨ館 「16世紀以降に河浦の地に伝えられた南蛮文化の資料を多数展示」 館長さんが丁寧に説明してくださいました。天正少年使節が持ってきたグーテンベルク印刷機の復元、当時日本で作っていた竹製パイプオルガン(復元)があります。実際に触ったり動かしたりさせてもらえるのが楽しかったです 当時日本でも流行した南蛮衣装。南蛮屏風に描かれたカピタンの服を基に製作したものだそう。秀吉はバテレン追放令を出した後もファッションで十字架のロザリオをつけてたとか 日本と西洋音楽 ポ

        大阪 16世紀をめぐる旅 細川ガラシャ編

        マガジン

        • 16〜17世紀の歴史をめぐる旅
          17本
        • ただの旅行など
          3本
        • 読書
          16本

        記事

          天草教会巡り 崎津集落、大江天守堂とロザリオ館

          世界遺産 崎津集落と崎津教会 トウヤという住宅の間にある細い道がたくさんありました カケと言われる海のテラス。風情があって素敵でした 大江天守堂 天草ロザリオ館 山を降りたところに、天草ロザリオ館があります。天草の潜伏キリシタンの歴史が学べます。中は撮影禁止ですがパンフレットより 隠し部屋の復元や、お経を閉じ込めていた壺など。 仏壇に十字架が置いてあったり、教会で白無垢の結婚式の写真などあったり。西洋文化と日本文化が混ざった独自の場所として続いていることを感じ取

          天草教会巡り 崎津集落、大江天守堂とロザリオ館

          天草キリシタン館 

          天草キリシタン館 中は撮影禁止なので写真はありませんが、今回は「大友宗麟とアルメイダ修道士と天草展」シルヴァ修道士と思われる遺髪など色々展示されていたり、天正少年使節の巡ったヨーロッパの写真も入口に飾ってありました 常設展は島原の乱についてかなり詳しく学べます。乱で足手まといになって殺された人や子供たちなど悲惨な様子が描かれた原城攻防戦の屏風(秋月郷土館所有)や 原城落城までのカウントダウンの詳細、一揆軍と幕府の矢文のやりとりも詳しく書かれています。矢文の内容は辛いもの

          天草キリシタン館 

          南島原 口之津港〜鬼池港

          南蛮船来航の地 現在は陸地ですが開田(ひらきだ)公園内に石碑だけあります。この辺りに南蛮船が来ていたなんて不思議な感じ 口之津港〜鬼池港 ターミナル横の公園にあるヴァリニャーノ像。同じ像がヴァリニャーノの生家・キエーティ市庁舎にあるそうです。ヴァリニャーノは1579年に口之津に上陸しました。この年だけ長崎ではなく口之津に南蛮船が入港した理由はわかりませんが、長崎が戦中だったので回避したのではないかとのことでした。 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ:イエズス会東インド管区

          南島原 口之津港〜鬼池港

          原城跡 島原の乱

          原城跡へ。近くの旅館に泊まったので早朝に散歩がてら行ってみました 原城ってすごく広いですね・・対岸に天草やら熊本本土がみえて素晴らしい眺めです。きっとこの景色は当時からそんな変わってないはず 1562年島原にアルメイダが宣教にきてから、南島原の人たちはとくに熱心なキリシタンとなって、あんなことやこんなことがあって、最後は乱で全滅してしまうので悲劇的な場所なのですが 今はこんな綺麗なところに。 北海道みたいな(北海道に行ったことないけど)。雲仙がみえて綺麗 本丸のほう

          原城跡 島原の乱

          長崎県南島原市 有馬川殉教地と有家セミナリヨ跡

          有馬川殉教地 島原のキリシタン大名・有馬晴信は岡本大八事件で失脚し山梨に流されます。晴信は家臣たちにも信仰を捨てないように伝えていましたが、引き継いだ嫡男の直純は棄教。家臣にも棄教させようとしますが3人だけは決して承知しませんでした。棄教を拒んだ家臣とその家族8名が見せしめで火炙りにされました。処刑当日、島原の信者たち2万人が晴れ着と蝋燭をもって集まり、この出来事で棄教していた人まで立ち返ったといいます。 有家セミナリヨ跡 はじめ有馬と安土につくられたセミナリヨでしたが

          長崎県南島原市 有馬川殉教地と有家セミナリヨ跡

          読書:天正少年使節の中浦ジュリアン

          日本二十六聖人記念館で定価で購入できる(と思う。) 少年使節の主席 伊東マンショや、千々石ミゲルは身分のある人たちで、原マルチノは語学の才能があり四人の中で特出していたという。そんな中でジュリアンは地味な存在だったかもしれない。ローマに行った時もジュリアン一人だけ病気のせい?で公式に教皇と謁見はできなかった(個人的に謁見はできた)しかし最後まで日本に残り殉教したのはジュリアンだった。 使節の使命が終わった後の四人の人生はそれぞれで、ミゲルはイエズス会を退会し、三人は引き続き

          読書:天正少年使節の中浦ジュリアン

          長崎県大村 16世紀をめぐる旅 大村純忠編

          日本で最初のキリシタン大名になった大村純忠ゆかりの地をまわってみました。 前回ミライon図書館(大村市歴史資料館)へいったので今回はいきませんでした。時間あったらまたいきたかったけど・・ 天正遣欧少年使節の像 空港そばの森園公園にある少年使節の像。純忠は天正少年使節を送った一人。ここガラスの浜辺は「長崎県が大村湾の水質改善のため、廃ガラス再生砂を用いて造成した浅場」らしいです。飛行機の発着も見えるし大村湾がとても美しい。夕焼けの時にもきてみたい 〒856-0815 長

          長崎県大村 16世紀をめぐる旅 大村純忠編

          読書: 大村純忠伝 松田毅一

          https://www.amazon.co.jp/大村純忠伝―付・日葡交渉小史-1978年-松田-毅一/dp/B000J8KA4E ずいぶん前に読んだのですがなかなか記事をかけませんでした。純忠の生涯が年代別に詳しく書かれていて、本の後半は日葡交渉史も載っていて読み応えがあります。ネットには、純忠が改宗しない人を奴隷に、なんて書いてありますが、そんな資料はみたことありません。むしろ奴隷を開放したり慈善事業したり、一緒にいた神父やポルトガル人の記録には謙遜で優しい純忠の記録が

          読書: 大村純忠伝 松田毅一

          読書:南蛮医 アルメイダ

          https://www.amazon.co.jp/南蛮医アルメイダ―戦国日本を生きぬいたポルトガル人-東野-利夫/dp/4760109080 医師免許をもった貿易商人のアルメイダは、貿易で大金を稼いだ後イエズス会に入会し、日本の貧しい病人や宣教のために財産と人生を捧げた。本の内容は主に医師としてのアルメイダや病院について詳しく書かれたもの。 大友宗麟 親交があり、最初の病院がおかれた豊後の大名・大友宗麟のことから本は始まる。宗麟の日本の資料は、宗麟が亡くなった(1587

          読書:南蛮医 アルメイダ

          東京 切利支丹屋敷跡

          小日向にあるキリシタン屋敷跡へ。 遠藤周作の沈黙にも出てくる、・・・らしい(沈黙を読んだことがないからわからない)、ジュゼッペ・キアラや、最後の伴天連シドッティが収容されていた場所です。屋敷というか強制収容所。2014年、マンション建設に伴い調査したところ、なんとシドッティの骨が発見されました。 今はかなり閑静な住宅街ってかんじです。そんななかに 石碑が建っています。今はもう何も面影とかはないけど。シドッティこんなところにいたんだな。ちなみに、キリシタン屋敷で神父たちの世

          東京 切利支丹屋敷跡

          読書: ザビエルの見た日本

          ザビエルの書簡をもとに、ザビエルからみた戦国日本について。 ザビエルも、30年後にきたヴァリニャーノも日本人に対して同じような事を書いている。忍耐強い、知識欲が旺盛。道理に従う人たち。 ザビエルはもともと東洋に行く予定ではなかったが、行く予定だった一人が病気になったので急遽代わりにいくことになる。ゴアで宣教し、マラッカでアンジローという日本人に出会い日本行きを決めるザビエル。日本には2年ほど滞在した。日本で宣教するには、まず中国での宣教が必要と考え日本を去ったが、ザビエルや

          読書: ザビエルの見た日本

          読書:密行 最後の伴天連 シドッティ

          https://www.amazon.co.jp/増補版-密行-最後の伴天連シドッティ-古居-智子/dp/4906822789 1708年。神父もいなくなり、キリシタンは仏教徒を装い、キリスト教が過去のものとなった鎖国中の日本にやってきた、最後の伴天連シドッティ。シドッティを尋問した天才儒学者・新井白石。ケンペルの弟子で、通詞の今村英生。鎖国中に出会った東西の知識者が、日本の歴史に大きな影響を与えていく。 シドッティ イタリア・パレルモ出身のシドッティは、ローマにあった

          読書:密行 最後の伴天連 シドッティ