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おしごと、楽しい?

おやつを食べながら、彼女は聞いた。必死の形相でパソコンに向かう私に。
「おしごと、楽しい?」って。
ニコニコしながら。

束の間、考え込んでしまった。
かろうじて、「そうねぇ」ぐらいは言ったと思う。
歯切れの悪い私に、彼女はそれ以上何かを問うこともなく、賑やかにおしゃべりしながら、おやつを食べ続けた。

その時やっていた「おしごと」は原稿の整理のような、機械的な作業だった。その作業だけで言えば別に面白いものではない。
その作業を含む、オウンドメディア編集の仕事も学びは多いけれど、楽しいというのとも違う気がした。

が、何よりもその時は必死だった。突然の休園で。
当人は自分のペースで過ごせる日々を満喫していたようだったけれど、こちらは保育園に毎日行けている状態で何とか回っている日常が大きく崩れ、進まない仕事、収入の不安、急に増える家事育児、削られる体力と気力に、もう何からしていいのか分からない状況だった。

朝からノンストップ、昼寝もせず、おやつを前にやっと落ち着いてくれた、さぁ、少しでも作業を進めておこうとパソコンを開いてカタカタ始めたところで冒頭のように、無邪気に問われたのだった。
一緒に遊んでくれていると思ったら、隙あらば「おしごと」を始めるので、よっぽど楽しいことなんじゃないかと思ったようだ。

パパもママも在宅でパソコンを使って仕事をしているので、彼女にとって「おしごと」というのはパソコンに向かって何かすること、と同義のようだ。時々、使わなくなった電子辞書をパソコンに見立てて「おしごと」していたりする。

「楽しいよ」って、即答できたらよかったと思う。でなかったら、「あんたのためだよ!そのおやつのお金はどこから出てると思ってんだい!」と啖呵をきれたら良かったと思う。
でも、どちらもできなかった。
 
ママは「こんな仕事をしてるよ」って自信を持って言いたくて、子どもが巣立った後も失われることのない自分のアイデンティティがほしくて、ずっとジタバタしてるけど、何も見つからない。
見えてくるのは、つまらない自分ばかり。

ともかく今何よりも大事なのは皆が元気に楽しく過ごせること。
それは分かってるけど、こうも覆されることが多い毎日ではそこに向かうことができているのか、迷いが深い。迷ったところで得るものは特にないのだけれど。  

どうせ思うように働けないなら、今度の休園は自分の仕事観を見つめるきっかけにしてみようかと思う。

3歳は口は達者だけれど、まだ色んな概念がなくて、お店やさんごっこでお買い物に行くと、商品をくれてお金もくれたり、お金を売っているお金やさんを開いていたりする。
まっさらな目で見る「おしごと」はどんなものなのか。

なにかちょっとでも発見があれば、まぁ休園になった意味もちょっとはあろうというものだ。



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