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【無料公開】川野芽生『かわいいピンクの竜になる』/#1 少女は従わない

 2023年12月下旬、歌人・小説家、川野芽生の初のエッセイ集『かわいいピンクの竜になる』を刊行します。
 ロリィタとの出会い、少年装、エルフや幻獣への憧憬、妖精のようなドレス、メイク、香水、見えないところのおしゃれ—— 
 世界と人間に絶望した著者が「自分らしく装う」ことに目覚めて、本来の姿を取り戻すまでを綴ります。

刊行を記念して、同書より「#1 少女は従わない」の試し読みを公開いたします。

『かわいいピンクの竜になる』目次

少女は従わない

はじめてのロリィタ


 二〇二〇年、秋。二十九歳の誕生日を前にして、私はロリィタ服にはじめて袖を通した。鏡に写った自分を見て、「私はこの服を着て生まれてきたんだ」と思った。生き別れの双子のきょうだいと巡り合ったかのようだった。
 それほどにその服は私に——私の姿かたちだけでなく、私の精神に——しっくりと馴染んでいた。
 あるべき世界では、私はずっとこんな服を着て生きてきたに違いない。間違ったこの世界で、それでも私はようやく、自分の羽衣を取り戻した。

 ロリィタ、というファッションを知ったのがいつのことだったのか、覚えていない。
 思い出すのは、大学の大教室でときおり見かける、真っ黒なゴスロリファッションに身を固めた女の子の、孤高な空気感とすっと伸びた背筋が好きだったこと。美術館で、かんぺきなロリィタファッションの、お人形さんみたいな女の子が、じっと絵と見つめ合っているところに遭遇すると、人間と絵の境界線を踏み越えてあちら側に親しんでいるように見えてとても羨ましかったこと。
 中高の友人の私服がピンクハウスだったこと。三島由紀夫をこよなく愛する読書家で、立ち居振る舞いが優美で、持ち物のすべてに一貫した趣味と審美眼が流れ、目鼻立ちといった部分を超えて底光りするように美しかった彼女が、はじめて私服で現れたときあまりにも完全だと私は思った。
 放課後に別の友人とおしゃべりしながら散歩していたとき、大きなファッションビルの中で、「あ、これ**ちゃんが着てる服だよ」と友人がピンクハウスの店舗を指した。「君もこういう服似合いそう」と言われ、「そう思う」と返した。とびきりかわいくて華やかでロマンティックな服が自分に似合うであろうことはわかっていた。けれど値札をちらりと見ると、私がそれまで知っていた服とは値段が一桁違っていて、逃げるようにお店を出たこと。
 

運命の一着


 着たい服を着る上で一番高いハードルは、お金、だったと思う。
 私はアカデミア志望で大学院博士課程に進学したため、経済的に自立するには人よりだいぶ時間がかかっている。二〇二〇年、大学非常勤講師の職を得て、ようやく少ないながらも定期収入のある身となった。同じ年の九月、はじめての歌集『Lilith』を出版し、それと前後して、原稿依頼が増えた。それまで、短歌の専門誌からの依頼がほとんどだったのだが、小説を発表し始めたこともあって、歌壇の外からの依頼ももらえるようになった。『文學界』の巻頭表現と『文藝春秋』の短歌欄、『夜想 #山尾悠子 』と『水原紫苑の世界』の評論が十月に集中した。特に『夜想 #山尾悠子 』と『水原紫苑の世界』は、私が尊敬してやまない表現者の先達を特集した本で、そこに寄稿させてもらえるのは夢のようだったし、同時にもちろんプレッシャーでもあった。
「この十月が終わったら、その分の原稿料ではじめてのロリィタ服を買おう」。そう私は心に決めた。「それを心の支えに、十月を乗り切るんだ」と。
 会社勤めをしているような人たちから見ればきっと微々たる額なのだろうけど、私が自分の文章で手に入れた、どう使っても誰にも文句を言われないお金なのだから。
 そして十一月になると、私は新宿マルイアネックスにはじめて足を運び、運命の一着に出会った。
 KERA SHOPのトルソーが着ていた、貴族的なエレガントなドレスに心を奪われたのである。
 ところが、店内を歩き回っても、同じ服が見当たらない。勇気を出して店員さんに尋ねてみて、謎が解けた。無知な私が一着のドレスだと思ったものは、ブラウスにコルセットスカートにアンダースカートのコーディネートだったのだ。
 コーデの主役は、Millefleursのコルセットスカート。同じくMillefleursのアンダースカートとパニエを合わせて、早速試着させてもらう。
 試着室の近くには様々なパニエが吊り下げられている。「(スカートを)どれくらい膨らませたいですか?」と店員さんに聞かれる。「いっぱい!」と私は答える。店員さんは一番ボリュームのあるパニエを選んでくれる。ふわっふわだ。パニエなるものを身に着けるのもはじめてに近い。
 コルセットスカートは暗紅色の地に大きな薔薇模様が織り込まれた、華やかさと同時に落ち着きのある生地でできている。コルセットと、前の開いたオーバースカートが一体になった形で、胸まであるコルセット部分にはしっかりボーンが入っていて、前で留める金具のところにはボルドーのリボンブローチが三つ縦に並び、背はボルドーの細いリボンで編み上げられている。生地は硬くてハリがあり、コルセットで絞ったウエストから、大きく広がるオーバースカートのラインが美しい。
 オーバースカートの開いたところから、三段フリルの生成りのアンダースカートが現れる。こちらはやわらかく手触りのいい生地で、ふんわりとふくらむ。素材の組み合わせがいいし、この形はロココ調のローブ・ア・ラ・フランセーズ(という名前はロリィタにはまってから知ったのだが)を髣髴とさせるところも素敵だ。
 重ねたスカートはどちらも膝丈で、コルセットスカートの裾からアンダースカートのフリルがほんの少し覗く。お椀を伏せたような形にふくらんだスカートは、絵本に出てくる女の子みたいにメルヘンチックでキュートで、私は「ティーパーティ」という言葉をイメージする。
 そして、アンダースカートをロング丈に変えると、まったく印象が変わるのである。この時は丁度いいアンダースカートがなかったので、コルセットスカートの下にロング丈のチュールのワンピースを合わせたのだが、丈が長いと——そして長い分ボリュームも豊かなスカートがパニエによって惜しみなくふくらまされていると——一気に華やかに、優雅に、貴族的になる。
 そのどちらも私にとてもよく似合っていた。着る前から、私はロリィタ服が自分に似合うと思っていた。自分に一番似合う、自分が着るべき服はロリィタ服であり、それを着るまでは死んでも死にきれないと思っていた。その一方で、もし着てみて似合わなかったら、いつか自分に最高に似合う、美しい衣服に巡り会えるはずだという夢を失ってしまう、それくらいなら、憧れは憧れのままにしておいた方がいいのではないかという怯懦の心をも持っていた。ロリィタが似合うような年齢はもう過ぎてしまったのではないか、服に自由に使えるお金が手に入るまでの間に——とも怖れていた。
 そんな心配は、鏡を見た途端に雲散霧消した。服って、すごい。物としてもうっとりするくらいに美しいのに、中に人間が入ると、なんと更に美しく可愛くなるのだ。売り場で見惚れた服が、私というトルソーを得て完成形となり、立ち上がっていた。これは私が着なくてはいけない。私の到来を待っていたのである。
 はじめてロリィタ服を買うときは、一枚で完成するワンピースか手持ちのトップスを合わせれば着られるジャンパースカートから入るといいと思うのだけど、この時の私は、コルセットスカートと膝丈のアンダースカート(とパニエ)という、いきなりちょっと上級者の買い物をした。おいおいロング丈のアンダースカートも買いたいし、合わせるブラウスを色々変えても印象が変わるし、と、他のアイテムも次々に買い揃えていくことを前提とした買い方だった。
 マルイアネックスに着いたときは、清水の舞台から飛び降りる覚悟で一着だけ買うつもりだったのに、もうすっかり清水に身を沈める心積もりができていた。
 
 ちなみにこの日、心を奪われた服は他にもあって、一着はSheglitのワンピース。暗い緑のストライプで、すっきりしたシルエットにスタンドカラー、長いスカート丈が上品。ヴィクトリア朝の洋服のデザインを継承した、まさにクラシカルでエレガントなスタイルだ。パニエを入れなくても品が良くて素敵なのだが、パニエを入れ、後ろの編み上げを締めてもらうと、シルエットがどんどん整って更に美しくなっていくのに目を瞠った。
 もう一着はInnocent Worldのトーションレースドールワンピース。フリルがたっぷりでいかにもドーリィな印象がある。黒地にピンクの薔薇と赤い苺のブーケの模様が映え、華やかでかつ優美。花と苺なのに子供っぽくならず、気品があり、それでいて少女心に訴えかける。たっぷりと広がるスカート、レースの縁飾りのついた白い襟、ふわりとふくらんで手首のところできゅっと締まる袖、真珠色のハート型のボタン、と細部まで美しい。
 後日、手持ちのロリィタっぽい古着のワンピースに合わせるロングパニエを手に入れようとマルイアネックスを再訪した私は、それに加えてタイツに靴、そして前述のInnocent Worldのワンピースまで購入していた。だって、「お金さえ払えばこの美しいワンピースが自分のものになるのなら、そんな容易いことはないのでは?」という気持ちになってしまったのだ。お金を使うのが苦手だった私にとって、それまで経験したことのない気持ちだった。

「女の子」とジェンダー規範


 もとから私は、世間的な「おしゃれ」や「流行」、あるいは「T‌P‌O」といったものについてはわからないながら、装いに対しては自分なりのこだわり(文字通り、「拘り」)があった。
 小学生の時には「毎日同じ服を着ている」といじめられたこともあるし、気に入ったスカートをずっと穿き続けて擦り切れてしまったこともある。ピンクが好きだ、というのもいじめやいの原因のひとつで、ピンクが好きであることを表明する女の子なんて周りにはいなかった。ピンクを身に着けるのは「自分がかわいいと思っている」ことの証だった。でも私は自分のことをかわいいと思っていたし、それとは無関係にピンクはかわいいと思っていて、かわいいものを身に着けるのが好きだったし、それのどこが悪いんだ?
 私はピンクや白、花柄、リボンやレース、スカートやワンピースが好きなまま成長した。中高は制服だったので、着るもので周りと摩擦が起きることは少なかった。制服のセーラー服もかわいくて好きだった。校則のゆるい学校だったので、セーラー服にピンクのカーディガンを合わせたり、冬は真っ赤なダッフルコートを着たり、ローファーではない赤い革靴を履いて、キャメルの鞄を持ったりしていたけれど。
 けれど大学に入って問題が生じた。好きな格好をしていると——髪を伸ばして二つ結びにし、花模様のシフォンのセットアップを着たりしていると——「女の子らしい」と見なされてしまうのだ。
 女子校だった中高にも、「女の子らしい」という概念はたしかにあった。「そういう女の子らしいものが似合って羨ましい」とか、「女の子らしくていいな」と言われることもあったから、「女の子らしいのは素敵なこと」という価値観がまったく内面化されていなかったわけではない。
 けれど、大抵の女の子はまったく「女の子らしく」はなかった。一人ひとりの女の子は、それぞれのあり方でその人自身であった。女の子が「女の子らしい」とか、あるいは「男の子っぽい」といった言葉で括れるものではないことも、「女の子」と「女の子らしさ」が本質的に結びついてなどいないことも、みんなよく知っていた。
「女の子らしい」というのは、クラシックやポップのように無数にあるジャンルやモードのうちのひとつに過ぎなかった。それは大正時代の女学生とか、中世ヨーロッパのお姫様とかを髣髴とさせる、何か素敵なものであり、ショーケースの中に飾られているのを、目をきらきらさせて眺めるものではあるが、自分たちの生活にはあまり関係がないし取り入れる必要もない——そういうものとして、珍重されていたように思う。
 そんな環境の中で聞く「女の子らしい」という言葉は、私には心地よかった。私にとっても「女の子」はフィクショナルなものであり、本の中にしかいなかった。そして、私は一人だけ、本の中から来たのだった。
 けれど、共学の——それも、女子率がわずか二割の——大学で、特に男性から言われる「女の子らしい」は、まったく違う概念だった。それは、一人ひとり異なる女の子たちを「女の子」の枠に押し込める言葉だった。「女の子」は、歴史上ずっと・伝統的に・生物学的に・生まれながらに「女の子らしい」ものであり、「女の子らしく」あるべきだという強固な信念がそこにはあった。女の子は「女の子らしい」方が優れているとされていたし、その場にいる数少ない他の女の子を私と比べて貶める、あるいは私を他の女の子と比べて持ち上げるような発言さえしばしばなされた。「おまえも川野さんを見習えよ」と、男の子たちに言われると、私たちは気まずい笑いを浮かべるしかなかったし、貶められた女の子に、あなたはそのままで素敵だと伝えるすべも見つからなかった。
 和服を好んで身に着ける人に似ているかもしれない。その人は和服のデザインが好きだから着ている。自分自身は日本生まれの日本育ちではあるが、それを自分のアイデンティティとして捉えてはいないし、日本人だから和服を着ているとか、日本人はみな和服を着るべきだとか思ってはいない。どんな国や民族の人が和服を着てもいいと思っている(文化の盗用の問題は重要だけれど、いったん置いておこう)。洋服を着る者は真の日本人にあらずとは思っていない。別に「真の日本人」とやらになる必要はないけれど、洋服を着るのも現代日本の文化風俗なのだし。また、和服は日本の文化の中で作られたものかもしれないが、それを着ることがすなわち日本の「伝統的な価値観」とか呼ばれる眉唾なものをまるごと受け入れることにはならない。パンも食べるし、ルンバも持ってるし。内外から押し付けられる、「日本人」のステレオタイプに従うつもりもない。切腹もしないし、忍術も使わない。あと何を以て「日本人」って言うの? 日本で生まれ育ったこと? 日本国籍を持っていること? 大和民族であること? でも自分の先祖のルーツなんて知らないし、遡ればみんな色々な場所から来た先祖を持っているはずだ、と思っている。
 でも周囲に日本人が少ない環境で、外国の人に「とても日本人らしくていいね」「それこそ日本の伝統文化だよね」と言われたら、そんなつもりじゃない、と和服を着ているその人は思うだろう。「日本人はやっぱり和服が一番似合う」と言われたり、洋服を着て髪を染めている日本人について「あんなの本当の日本人じゃないよね」と言われたりしたら、反発するだろう。和服を着ているからといって、従順で控えめな「大和撫子」であることを期待されたら、迷惑に思う。
 それと同じで、歴史上(あるいはほんの数世紀の間)女性のものとして発展したスタイルの衣服を好んで身に着けているからといって、理想の女性像を体現する気も、女性に押し付けられてきた規範をすべて受け入れる気もまったくなく、規範の内側で「女の子らしい」と言われるのは不快でしかなかった。
 私は「女の子」だからそういう服を着るのではなく、ただ好きだから着ているのだし、私が好きなタイプの服を、男性や中性やその他の性別の人が着たってまったくおかしくないのに。
 それに、私は自分のことを「女性」だとは思っていなかった。「女の子」だとは思っていた。より正確に言うと、「少女」。でも「少女」は私にとっては「女性」(の小さいバージョン)ではなく、人間ですらなかった。おとなになって、性別が分化し、人間になってしまう前の、性を持たない、妖精のような存在。それが「少女」だった。私はずっと、少女のままでいたかった。なぜ「少年」ではなく「少女」なのか、そこには性別があるではないか、と問われるかもしれないが、私にとっては「少女」の方が無徴で、「少年」の方が有徴なものに感じられた。また「少女」の表象の方が私の関心を引いたが、「少年」の表象には特に興味を持てなかった。表象、と言う通り、これら「少女」「少年」は現実の人間のこどもとはあまり関係がない。
 自分の性別を表現するなら、「無性」が一番しっくりくる。社会的にはほとんどあらゆる場面で「女性」と見なされ、それゆえ「女性」とされる存在に降りかかる様々な出来事を経験するタイプの。性差別について語るといった文脈においては、(女性差別の客体としての)「女性」と見なされてもまったく間違いではないし、「女性」とされる存在に降りかかる出来事を経験してきた人たち(出生時に割り当てられた性別や自認する性別に関係なく)に対して親近感や安心感を抱きやすい傾向にある。でも、自分に「性」というものがあるとは思えない。

「女の子」と恋愛伴侶規範


「女の子らしい」(この場合の「女の子」とは、私の思う「少女」ではなく、「女性」の指小形である)と見なされることの問題は、ジェンダー規範だけでなく、異性愛規範と恋愛伴侶規範にも関わってきた。
 異性愛規範の支配する世界では、「女性」は「男性」にとっての性的対象であり、それだけでしかない。「女性らしい」とされる度合いが高ければ高いほど、「女性」としての価値、すなわち「男性」にとってのトロフィー的価値は高まる。「女性」に対しては、「男性」に欲望されるよう、「女性らしく」装え、という圧力がのしかかり、コスメ売り場にもファッション記事にも「モテ」「愛され」「男ウケ」といった言葉が躍る。そんな世界で、「女性」に見える服装をしていたら、男性から性的対象として見られる準備万端のサイン、と見なされてしまう。
「『女の子』として見られたくないなら、どうしてそんなに女の子っぽい格好をしているの?」と聞かれたことがある。恋愛感情を吐露されて、交際を断ったときだった。学部二年生だった。
「女の子っぽい」? 胸元はムーンストーンみたいなボタンと繊細なレース、ピンタックで装飾され、シルエットはちょっとケープみたいにゆるりと広がって、薄い生地が風にはためく白いブラウスに、やや広がった裾から白いレースが覗く、丈が長めのオリーヴ色のショートパンツの今日のコーデのコンセプトはどう見ても「貴族の少年」だろう、どこを見ているんだ、と私は憤然とした——というのは枝葉末節の部分で、その日のコンセプトが「お姫様」だったとしてもその言葉はあまりにも的外れだった。
 性的対象として見られたくない、という言い方があまりに露骨に感じられて(性的なものを嫌悪している私に、直接的に「性」に言及することは難しかった)、「『女の子』として見られたくない」と言ってしまった私にも語弊を生んだ責任はあるにせよ、だ。
 私は男性でも女性でもないし、男性にも女性にもそれ以外にも恋愛感情を持たず、性的な関心も湧かない。セクシュアリティで言うと、アロマンティック・アセクシュアルにあたる。他者への友愛とか親愛とか慈愛とか博愛といった感情は持ち合わせているが、恋愛や性愛はない(ないというか、実在を疑っているが、実在すると言う人もいるのでここでは文句はつけずにおこう)。今までもずっとそうで、不本意なことはなるべくしない主義なので恋愛も性も全力で回避して生きている。
 でも、「女性のもの」とされるかわいい服を着て、それらを回避するのは困難をきわめた。
 一時は、「かわいい服を着ていたら、『私は女性で、異性愛者です』『どうぞ言い寄ってください』のサインになってしまうのか? もっと所謂『中性的』な服装をしたり、おしゃれに無頓着そうな格好をしたりした方がいいんだろうか」と悩んだけれど、着る服について制限をかけられないといけないなんて理不尽だ。それに、「かわいい服を着ている」ことと「男性から性的対象として見られたいと思っている」ことの間には何の関係もないのに、男性から性的対象として見られたくない人がみなかわいい服を着ることを避けたら、結果的に「かわいい服を着ている」=「男性から性的対象として見られたい」が成立してしまう。それはなんとしてでも阻止しなければ、かわいい服だってかわいそうではないか。

反逆としてのロリィタ


 ロリィタファッションに憧れたのは、かわいく美しく、かつ「モテ」や「愛され」や「男ウケ」をきっぱりと拒絶していたからだ。
 着る人も作る人も、「男性から」「女性として」「愛される」ことを目的としていない。そもそも何らかの目的のための手段としての装いではない。この装いは、それ自体が目的で、他の何物にも奉仕していない。この装いをすること自体が、お洋服を愛することであり、自分を愛することであり、それ自体で充足していて、他者からの愛とか承認なんて必要としていない(お洋服に愛されているとは感じるかもしれない)。
 ロリィタ服には、「女の子らしい」と形容されるような要素がたっぷり詰め込まれている。フリルにリボンにレースにシフォン。でもそれは、「女性たるものみなこうあるべきだ」というメッセージを発してはいない。むしろ「女性たるもの……」といった価値観の信奉者なら引いてしまうだろう。この社会での「女性」は、控え目で謙虚で受け身であることが求められるし、何事も「ほどほど」が求められるから、「好きなもの、全部この手で摑み取りたい! 摑み取りました!」と全身で主張しているような、「そんな服を着られるなんて、自分のことをかわいいと思っているんだ?」と言われたら、「当然」と誇り高く言い返すような装いはジェンダー規範とは食い合わせが悪すぎる。
 そこにあるものを「女の子らしさ」と呼ぶとしても(呼ばなくていいのだが)、それは憧れとしての「女の子らしさ」であって、規範としての「女の子らしさ」ではない。「誰もが」「こうあるべき」というものではなく、「私一人が」「こうありたい」という理想であり、その中身は一人ひとり異なるのだろう。参照元をロココ調やヴィクトリア朝に求めてはいるが、女性への抑圧の厳しかったそれらの時代に帰りたいわけではなく、あくまでも理想化された・フィクショナルな・物語の舞台としての時代に生きているのであり、これらの服に身を包んだ人々はみなファンタジーの存在に変容しているのだ。憧れとしての「女の子」——というか「お姫様」や「お嬢様」、あるいは「魔女」や「妖精」や「人形」など、人によって様々——は、現実の社会のジェンダーとしての「女性」とはもはや関係を持たない。
 だからロリィタ服は、着る人のジェンダーを問わない。ロココ時代の貴族の令嬢ではない人が着ているのだから、「女性」であるかどうかなど些細なことだ。
 自己の理想を追求するロリィタ服は、現実への反旗だと言っていい。世界に自分を合わせるために服を着るのではなく、服を着ることによって自分の周りに物語の世界を立ち上げ、現実を歪ませる。
 そういう美学や思想を、私も目に見えるところに掲げたかった。好きな服を好きなように着ることを諦めないまま、「自分は今、自分の意思に反するメッセージを発してしまっているのではないか」と悩まないで済むようになりたかった【註1】。

祖母と母の時代の「女性」


 ところで、私の両親はおしゃれにあまり関心のない人たちである。
 単に関心がないだけではなくて、そういうことに関心を持ち、時間やお金をつかうことを、あまり知的でない、俗っぽいおこないとして無意識に軽蔑しているところがあった。
 両親は私とは四十歳近く離れているが、リベラルな考えの持ち主で、フェミニストであり、夫婦別姓を実践し、共働きで、家事も平等に分担している。「女の子だからこうしなさい」とか、「女の子だからこれはしてはいけない」とか言われたことは一切ない。弟に対して「男の子だから云々」と言っているのを聞いたこともない。「結婚しろ」とも、「孫の顔が見たい」とも言わない。
 かれらは女性と知性が相反するものだとは決して思っていなかった。しかし、「女性的」なものと知性は相反すると思っている節があった。
 特に母が、その時代に職を持って自立した女性としてサバイブするにあたって、いわゆる「女性らしさ」とされるものを忌避して来なければならなかったことは、想像にかたくない。ファッションにおいてもそうだったろう。
 また、母は彼女の母親(私の祖母)とのあいだに確執を抱えていた。
 祖母は大変な美人で、ハイカラな人であり、自分と二人の娘(母と叔母)の服を自分で縫い、お揃いで出かけることを好んだという。同時に、頭が良くてプライドが高く、苛烈な性格をしていた。頭が良かったのに女性だからという理由で大学に行かせてもらえず、そのために、自分だって大学に行けていたらこのくらいできた、という思いから、他者の能力を認めることができなかった。夫に対してもそうだったし、娘たちがどんなに優秀でも褒めてくれなかった。
 美人の祖母と二人の娘がお揃いの手作りの服を着て歩いていると、街中でカメラマンに声をかけられることがあり、目立つのが好きな祖母はそういう時とても喜んだけれど、母と叔母は穴があったら入りたかったという。
 その話を聞いて、子供だった私が抱いた感想は、「服が作れるお母さんがいるなんて羨ましいけどなあ」というのんきなものだった。ちなみに私は祖母に似ているのだそうだ。私は手先が不器用で服はまったく作れないが、似ているというのはわかる気がする。
 もともと不仲だった一家は、母が大学生の時に住む家をなくして離散し、関係は修復されないままだったから、私が祖母と顔を合わせたのは亡くなる直前の一回だけだ。私はプライドの高い人が好きだから、祖母が違う時代に生まれて、大学のキャンパスなどで出会っていたら、友達になれたんじゃないか、などと思う。でも、身内として関わった母にとっては耐えがたい相手だったのは間違いない。
 女性であるというだけで学ぶ機会や自立の術を奪われ、恨みを抱えていた祖母に残された楽しみがおしゃれしかなかったのなら、祖母と同じ人生を歩みたくなかった母がおしゃれを敬遠するのも、ことに「女性らしい」とされる装いを、大学に行き知的な職業に就くことと相反するもののように感じるのも、無理からぬことである。母は研究のため一年間インドで暮らし、真っ黒になって帰って来るような人で、若いときは服を二着だけ持っていて、毎日洗濯をしてかわるがわる着ていたという。
 両親は私をなるべく飾り気のない、中性的な、ボーイッシュな子供に育てたがった。髪は伸ばさせてもらえなかったし、スカートよりはズボンを、ピンクよりは青を着せたがった。そこには単なる趣味も反映されていて、父は『リボンの騎士』が好きだったし、くせっ毛の私の髪は短く切るとくるくるになって、『リボンの騎士』のサファイヤによく似ていたのだ。
 そんな両親に反発するように、私はフリルやリボンやレースが大好きな子供に育ってしまったのだから、ままならないものである。
 だから、私は子供の時、あんまり好きな格好ができなかった。できる範囲で自分の好みの服を選んではいたが、両親はそもそもあまり服を買いたがらなかった。間違っても、シャーリーテンプルのお洋服を着せてもらえるような子供時代ではなかった。

 ロリィタにはまって、ブランドの展示会にお邪魔したとき、「子供の時はかわいいお洋服を全然着させてもらえなくて」「この年になってようやくロリィタを着られるようになった」と話したら、デザイナーさんや周囲のお客さんたちが、「ここにいる人みんなそうだよ!」「三十歳過ぎてからが本番だよね」と口々に励ましてくれたことがある。
「子供の時は『女の子らしい』格好ばかりさせられて、不本意だった」という話は友人などからよく聞いていたものの、逆のパターンを経験した人にはほとんど遭遇したことがなかったので、はじめは少し驚いた。
 でも腑に落ちた。ロリィタ服は、親によって着せられる服ではないのだ。誰にも強いられず、必ず、自分の意思で選び取って着る服であること。それがとても重要なのだと思う。他者からの眼差しなんて蹴飛ばして服を着ることが。
 私はロココ時代のフランスにもヴィクトリア朝のイギリスにも生まれなかった。ロリィタ服のインスパイア元になったような、華やかで美しい衣服が(一部の特権階級によって)着られていたどんな時代のどんな国にも生まれなかった。それでよかったと思う。それらの衣服が、規範として、抑圧が形になったものとして、着せかけられるものでなくてよかった。男性の心を射止め、結婚するために、そうした衣服を着ることを強いられずに済んでよかった。もしそんな社会に生まれていたら、私はせっかくの美しい衣服を憎んだであろうから。
 あるべき世界では、私はずっとこんな服を着て生きてきた——と最初に書いたけれど、この世界では、この服に巡り会えるまでにこれだけ時間がかかって、きっと、よかったのだと思う。それは自分で自分の服を迎えに行けるようになるまでにかかった時間なのだから【註2】。


【註1】自分の好きな要素を突き詰めたところに、自分の価値観にそぐうファッションがすでに結晶していたことは私の幸運であって、このような思想を持っている人がみなロリィタ服を好むものだ/好むべきだとは、無論まったく思わない。ジャンル的には「コンサバティブ」と称されるお洋服を積極的に好む人が思想的には全然コンサバティブではないことなんていくらでもあるだろう。

【註2】資本主義社会において、働いてお金を得るというのは、立場の弱い人であればあるほど困難なことだから、働いて、お金を得て、ものを買う、という営みを全面的に礼讃する気はまったくないのだけれど。


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