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江戸川乱歩「考えがまとまるまでに、第一回原稿の締切りが来てしまい、とも角も発端を書かなければならなかった。」


夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、続く『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。(イラスト:堀道広)


「三つの連載長編」  江戸川乱歩

 私は三十年の作家生活の間に、非常に多作であった時期が二、三度あるのだが、この大正十五年度は最初の多作期であった。専業作家となった十四年度も、それまでに比べると多作であったが、それでも短篇小説十七篇、随筆六篇にすぎない。大正十五年には、それがグッとふえて、長篇五つ、短篇十一、随筆三十三という数になっている。尤も長篇のうちには、年末から始まって翌年に続いたものが二つと、三、四回で中絶したものが一つあるがそれにしても、年初には同時に月刊一つ、旬刊一つ、週刊一つと、非常に忙しい仕事をする覚悟をしなければならなかった。また年末には、他の連載に加えて、新聞小説が始まったのである。着想の乏しい私としては、この程度でも手に余る仕事であった。

 十四年度に「苦楽」に「人間椅子」を書き、それが読者投票で第一席になったためか、編集長川口松太郎君は、同誌十五年正月号から、私に生れて初めての長篇連載を註文してくれた。私は、もともと短篇作家型の性格であって、長い物語の筋を考えるのが不得手なので、今日に至るまで首尾一貫した本当の意味の長篇小説を、一度も書いていないのは、そのためである。それでいて、どうかして、死ぬまでには、新形式の本格長篇探偵小説を、一つだけでも書きたいものだという野心を、いまだに捨てかねている。

  この「苦楽」の最初の長篇依頼も、純粋な考え方からすれば、むろん断るべきであった。しかしここでもまた、私の売名家的、ジャーナリスト的第二性格がのさばり出して、虚栄心にかられて、実力にお構いなく引受けてしまった。(これには、そんな純粋な考え方をしていたのでは、職業作家としての生活が出来ないだろうという、誰にもある困った問題が、一方にあったことはいうまでもない)

  そこで、ともかく引受けて、第一回分四十枚ばかりを書いた。結末がどうなるかという見通しは全然ついていないのである。むろん大いに考えてはいたのだが、考えがまとまるまでに、第一回原稿の締切りが来てしまい、とも角も発端を書かなければならなかった。実に無責任な話である。私は物語の発端だけは、なかなかうまい男で、後年探偵作家の連作などの場合、私はいつも第一回を受持っているが、それも、発端のうまさを買われたのかも知れない。この「苦楽」の長篇の第一回も、川口編集長には大いに好評であった。第一回の原稿を渡して、その雑誌が出るまでの間に、川口君と一緒に六甲苦楽園の温泉に入ったことを覚えている。その湯の中で、お互いの裸を眺め合いながら、川口君は私の第一回の原稿を、谷崎潤一郎ばりだね、などとほめてくれたものである。



江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ)
1894年生まれ。小説家。日本における探偵推理小説の草分け的存在。『怪人二十面相』『人間椅子』『鏡地獄』などで無類の大衆人気を得た。エッセイも多く執筆しており、短編小説を得意とする反面、長篇小説となると途端に書けなくなること、原稿の催促を恐れ温泉地まで逃亡したことなどが告白されている。1965年没。
「三つの連載長篇」 一部抜粋   『探偵小説四十年 1』講談社文庫



▼【3万部突破!】なぜか勇気がわいてくる。『〆切本』
「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ……」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
追いつめられて苦しんだはずなのに、いつのまにか叱咤激励して引っ張ってくれる……〆切とは、じつにあまのじゃくで不思議な存在である。夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話94篇を収録。泣けて笑えて役立つ、人生の〆切エンターテイメント!


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「やっぱりサラリーマンのままでいればよかったなア」
あの怪物がかえってきた!作家と〆切のアンソロジー待望の第2弾。非情なる編集者の催促、絶え間ない臀部の痛み、よぎる幻覚と、猛猿からの攻撃をくぐり抜け〆切と戦った先に、待っているはずの家族は仏か鬼か。バルザックからさくらももこ、川上未映子まで、それでも筆を執り続ける作家たちによる、勇気と慟哭の80篇。今回は前回より遅い…


 


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