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#08 水のはじまり

セルビア、ベオグラード在住の詩人・翻訳家、山崎佳代子さんの連載。歴史や詩、そして山崎さんの出会う人々とともに、ドナウの支流をたどる小さな旅。今回の舞台はターラ山のミトロバッツ村です。

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 ターラ山のミトロバッツ村で、夏の初めを過ごす。柔らかな若葉が萌え、濃淡の緑が森にまだら模様を描き、空気が香しい。
 今年の六月二〇日は、正教会の五旬節(ペンテコステ)。ハリストス(キリスト)が復活後、五十日目に鳩の形をした聖霊が現れたのを記念する祝日だ。ラーチャ修道院にむかった。
 車でミトロバッツ村を下りてバイナ・バシタの町に入ると、夜の雨のせいで、乳白色の霧がドリナの川面に浮かびあがり、白い帯がのびていく。自動車道を右に折れ、狭い山道を登っていくと、霧のなかに修道院が現れる。聖堂に入ると、マカリエ修道士が祈祷の準備を始めていらっしゃる。ああ、よくいらっしゃった。二年半ぶりの再会は、測り知れない喜び。マカリエ修道士の髭はすっかり白くなって長くのびていた。ゲルマン修道院長が祈祷を始めた。お二人とも軽症とはいえ、昨秋、感染症を罹ったが、すっかり恢復してお元気そうだ。聖堂に人々が集まってくる。仲良しのヴィオレッタもドラガナも祈りの列にいる。眼で挨拶を交わす。聖体礼儀のあとは、信者が聖歌を歌いながら、修道院長を先頭に聖堂の周りを三回周り、聖堂の入り口でパンを裂く儀式がある。聖堂の庭で人々はそれぞれ前の人の肩に手をかけてパンと繋がり、大きな人の輪がひろがった。ゲルマン修道院長にご挨拶すると、「セルビアには感染症に効く薬がある。ラキア、火酒ですよ、ふふふ」と朗らかだ。
 地下の集会所に、長テーブルがいくつも並べられ、昼食会の仲間に入れていただく。修道士たちと土地の信者さんたちの心尽くしの御馳走だ。まずはラキア、プラムの火酒で乾杯。それからピタと呼ばれるチーズパイ、生チーズ、魚のスープ、からし菜でお米を包んで煮込んだサルマ、修道院の池で育った鯉と鱒の唐揚げ、数種類の小さな御菓子、そしてトルコ・コーヒー。和やかな話声が心地よい。食卓の豊かなこと。祈りのなかで作られた料理の味は、格別だ。ラキアもワインも修道院で作られ、素直な味が身体に沁みる。ヴィオレッタの隣に座り、久しぶりのおしゃべりを楽しむ。初めて会う人とも旧い友のように話に花が咲いた。祈りで食事は始まり祈りで終わり、晴れやかな気持ちで、皆がそれぞれの家へ帰っていく。
 私は、帰りを急ぐ理由がない。ふとラーチャ川の水源地を訪ねようと思い立つ。ラジェヴィツァだ。修道院のすぐ裏の山道に黄色い道標があり、「ラジェヴィツァ、徒歩三十分」とある。陽ざしは強いが、木陰を行けばいい。歩いていくと、この道でいいのか心配になる。車が四台通りすぎた。人影はない。五台目の車の人と視線が合う。三十歳ほどの男の人は車をとめ、「ラジェヴィツァはこの道ですか」と私に尋ねた。車に十字架が飾られ、信心深い人らしい。「標識があるし、間違いないと思うけど、四十分歩いていますが、まだ泉に出ないので……」と私。すると彼は、「よろしかったら乗っていきませんか」と言う。四十キロ離れたウジツェ市から、祝日の清水を汲みにきたとのこと。誘拐事件に発展する気配もなく、乗せてもらう。深い森に続く砂利道は狭くて、速度は出せない。農家が二軒あるが、人の姿は見えない。やっと道が終り、小さな川が流れ、水にそって狭い山道が続く。車が数台止まっている。泉に着いたのに違いない。車を降りる。黒い岩肌から水がしみ出ていた。木陰の石で、お婆さんが休んでいた。「泉はここですか」と訊くと、「そうだよ。祈りながら飲むと体にいいよ」と笑顔で答える。まず手を洗い、水を飲む。なんと美味しいこと。私は大きなペットボトルに水を汲みはじめ、男の人はお婆さんと世間話を始めた。お婆さんの病について、優しく耳を傾けている。
 すると初老の男女が、息を切らせて大きなペットボトルを両手に下げ、細い坂道を上ってきた。「ここは、まだラジェヴィツァじゃないよ。この先、十五分くらいのところですよ」せっかく汲んだ水を捨て、私たちは深い森をさらに進んだ。澄んだ水音が響きはじめ、水の匂いがする。泉は遠くない。道はさらに狭まり、最後は険しい石段となった。「濡れているから、足元に気を付けてくださいね」と男の人が言う。やっと上りつめると、巨大な岩の高みから勢いよく、白い滝となって水が流れ、石で囲まれた池に落ちてきて、そこから溢れて岩を伝って何層にも段を作って、いくつもの流れとなり、最後はひとつの小川となって流れていく。水音に心が洗われる。みごとな情景に、息をのむ。石にしゃがんで手を洗い、両手で掬って水を飲むと、穏やかに甘い。樹木と岩から生まれる味だ。ほとばしる水が霧となり、大気がひんやりする。この流れがラーチャ修道院のあるラーチャ川となり、修道院の水車小屋もこの流れの力で小麦を挽くのだ。
 観光案内の看板に、ラーチャ修道院出身の十八世紀の詩人だったキプリャン修道士の言葉が記されていた。北上するトルコ勢力に追われてラーチャを逃れ、ハンガリーのサンタンドレで文学学校を開いて活躍した人だ。ラーチャ修道院は、かつてはこの泉の辺りにあり、考古学者たちの発掘調査も進んでいるらしい。

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ラジェヴィツァの水源地
撮影者 Vladan Matijević (ヴラダン・マティエヴィッチ)


 無事に水を汲み、森を通って車に戻った。大きなペットボトルが三本になった。男の人の名はボジダル、ベオグラード大学法学部を卒業した後、今は故郷のウジツェ市でジムを経営している。学生時代は、沖縄空手を習っていた。「昔の人は、水をとても大切にしていました。今のように、薬の種類も多くなかったし、水に病気を癒す力があると人々は信じていた。眼や胃など、病を水で癒していた。よく泉に清水を汲みに来ますよ。湧水は身体にいい」ふたたび車を走らせて修道院にもどると、修道士たちはそれぞれ務めの場にもどり、聖堂はひっそりとしている。ボジダルさんは、お別れに大きなペットボトルを一つ下さった。なんという贈り物だろう。修道院の売店に駆けて行き、お礼にラキアを贈る。満ち足りた気持ちで宿にもどり、清水をコップに注ぎ、ゆっくり味わうと、ほんのり森の味が広がった。
 金曜日。朝から雷が鳴り、曇っていたが、車でターラ山を下り、プレチャッツ村のヴレロ川を訪ねた。ヴレロとは、セルビア語で泉を意味する。全長三百六十五メートル、世界一短い川として名高い清流だ。ドリナ川の岸辺にある老舗、レストラン「ヴレロ」の中庭を流れ、ドリナ川に勢いよく注ぎこむ水を何度も見ているが、水源地は見たことがない。軽く食事をとり、しぶきをあげて緑のドリナへ落ちていく水を見つめているうちに、泉へ行きたくなった。空も晴れてきた。

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     1682 ヴレロ川の水源地へ 撮影者 山崎佳夏子                      

 車道をわたると川幅は広く、水が浅くゆったり流れていく。右手に開店したばかりの鱒料理店があり、男たちがビールを飲んでいた。川に沿って民家が並んでいる。簡素だが心尽くしの庭があり、薔薇など花々が咲き誇る。手書きで「ラキア」、「ギャレリーこの先五十メートル」などの看板がある。画家が棲んでいるのだろう。

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1685 ヴレロ川水源地 撮影者 山崎佳夏子

 ゆるやかな坂道を進むにつれ、川幅は狭まり、岸辺に樹木が根を張り、階段になっている。朽果てた水車小屋があり、私を立ち止まらせた。苔むして崩れかかっていた。扉は今にも倒れそうで、部屋の中で時間が止まっている。中を覗き込むと、ガラスは破れて窓が外れ、薄闇の中で白い桟が十字架に見える。向こうの壁の窓から、緑の光がそそぎこみ、聖所に思われた。小麦を挽いていた臼も、湿った埃におおわれて押し黙っている。

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1689 ヴレロ川水源地 撮影者 山崎佳夏子


 流れはさらに速く浅く、透き通った水のなかで木々の落葉が堆積し、小石とともに錆び色の模様を描いている。手を洗い、水を両手で掬って飲む。味が深い。天国の味、という言葉を思い出す。顔を上げると、二百メートルほど離れたところが崖になっていて、そこが水源地らしく、幅の広い滝が勢いよく流れて落ちてくる。だが、この先は緑のフェンスで囲まれ、「関係者以外立ち入り禁止」とあり、水道局が管理している。浅瀬に水色のホースがあり、近くの住人の庭に続く。清水を家に引いている。至福の暮らし……。
ふたたび坂道をくだると、左岸に鱒の養殖場がある。つい最近、できたらしい。水源地の汚染になるなあ、と後から現れた若い人たちの明るい声がする。土地の名産の鱒は、ドリナ川に注ぎ込む清水で育てられていた。旧い樫の木の下で女の人が屋台を出している。薬草や毛糸の靴下、刺繍のテーブルクロスなどが並ぶ。
 刺繍の花に、あの冬を思い出した。一九九〇年から二〇〇〇年にかけて、ユーゴスラビア内戦で町や村を追われた家族が、プレチャッツやターラの休暇村で難民生活を数年間、送っていたころのこと。その年の暮れ、ベオグラードの難民支援グループの仲間とプレチャッツ村の小学校を訪ね、日本の小学校から届いた児童画を贈り、子供たちと遊び、その後、難民センターに衣類を届けた。難民の女性が、編み物や伝統の刺繍をあしらった手芸品を作り、東京の援助団体が販売するというプログラムがあり、手織りの木綿に、女性たちは故郷の花模様を刺した。小学校はヴレロ川の近くで、旧い建物に難民センターはあった……。
 そうだ、新しい鱒料理の店は、難民センターの建物を改装したものだ。ファサードに記憶がある。通りがかりの男の人に訊くと、小学校は閉校となったという。「児童数が減ってね。若者はこの町を離れ、都会や外国に出ていく。ここで仕事はないし」と、寂しそうに笑う。あの女性たちは、戦争の日々を、この清流のほとりで過ごしていたのだ……。

 月曜日。森の道を歩いていると、ジープが止まり、「カヨさん」と女の人の声、仲良しのテレジアだ。カモシカのようなテレジアはアフロアメリカンで、バレーボールの名選手。世界選手権の米国代表チームのメンバーだったが、引退後、セルビア人のボリスと結婚。三人の子供とターラに住む。「ザオビネ湖の清水を汲んで家に帰るところ。家を建てたのよ。遊びに来て」と言った。笑顔が眩しい。車の後の席には、プラスティックの大型タンクに水がなみなみ入っている。私も散歩のときに、その泉で喉の乾きを癒す。だが木の危うげな水汲み場から、岩肌から染みでる水を大型タンクに貯めるのに、相当な時間がかかる……。水曜日の午后に訪ねる約束をした。
 水曜日は、朝から雨で寒々としていた。外に出るのが嫌な午后……。お土産に、仲良しのドラギッツァのお手製人参ケーキを包む。約束の時間だ。雨は止まないが、傘をさして森の広い道を展望台に向って進み、最初の角を右に折れて細い道を行くと、木の柵で囲まれた木造りの二階家が見える。庭から、ボリスの声がする。「カヨさん、柵をあけて入って」と。柵を開いて、庭へ入ったとたん、犬たちの遠吠えがはじまった。ひやっ、五匹も。「大丈夫。みんな鎖に繋がれているから」とボリスの声。それから檻の犬に向って、「黙れ、お客さんだ」と厳しい声が響きわたり、庭は嘘のように静かになった。「やあ、よく来たね」と、ボリスが畑から笑顔で現れる。すっかり日に焼け、長い髪を束ねて修行僧みたい。山羊が八頭、鶏たち、馬一頭。畑に、ジャガイモ、玉ネギなどが育つ。庭にはもう一軒、丸木小屋があった。サウナとトイレだ。水洗ではなく、オガ屑を入れたカセットが取り付けられていて肥料にする、とボリス。外の壁には寄木造りのカヌーがかかっていた。見事な芸術品だ。
 木の階段を上って母屋の扉をあけると、テレジアと大きな瞳の三人の子供たちが迎えてくれた。ラーデとジャクソン兄弟、妹のテスラ。大きな箱に入って、わいわい遊んでいる。入り口に飲料水のタンクがあった。大切な水を沸かし、ターラ山の蜜を入れたハーブティに、心がほぐれる。木材を巧に組み合わせた雄々しい家屋は、樹木の芳香を放ち、客人を優しく迎える。
 夫妻のターラ山の暮らしは十年になる。私の定宿から徒歩十分の山小屋を借りて暮らしていたが、今冬、土地を手に入れて家を建てた。ミトロバッツ村は水道も電気もあるのに、あえて辺鄙な場所を選び、「できるかぎり自然を壊さない」生き方を選んだ。泉まで水を車で汲みに行き、料理と飲料水、家畜の世話、畑仕事までまかなうのは容易ではない。「辛くないわ。洗濯は泉のほとりでする。時間はじゅうぶんある」とテレジアは穏やかに微笑む。夏はいい。冬は大変だろう。「庭に大きなタンクがあるでしょ。雨水を貯める装置でね、知り合いから譲り受けた。少しは楽になる。錆びているからペンキを塗るつもり」とボリス。
 電気は太陽パネル。「三枚あるけど二枚で足りる。電気は、携帯電話とインターネットに必要なだけだ。竈に薪をくべて料理をして、冬は暖もとる。灯は大型と小型の懐中電灯。日が沈んだら早く床につき、朝は日が昇ると起きる。これといった電化製品はないし。この冬は寒かった。次は暖炉を作る、石を積んでね」とボリス。ほかにプロパンガスの小型コンロがひとつ。木の棚に食器類と鍋が並び、書棚には辞書と書物。余材で作った栗色のベッドは、昼はソファ、夜は夫妻の寝台。セルビア南部に伝わる手織りの絨毯は、知り合いが処分しようとしたのをもらった。赤と黒の幾何学模様が床に華やかだ。壁につけられた大きなテーブルは、友達の祖母からの贈り物で、作られてから百年の木製。「壁にぴったりの長さ、この家のために作られたみたい」とテレジアは喜ぶ。家はゆったりとしている。「一人一人のために区切られた空間がないからね。全部で四十八平米。暮らしに充分な広さだ」とボリス。
 家は、ノビサドの建築家とボリスが二人で、ひと夏かけて造った。まず木材で枠を組み、そこに二階建てを建てた。いわば高床式の家で、移動が自由なため、家屋として登録しなくて済むそうだ。秋までに床を支える木の枠の中に、石を詰めて安定させるとのこと。「市中の閑居」、方丈記を思い出す。二階は子供部屋で、梯子で上る。危なくないかと問うと、テスラがすいすい梯子をのぼって人形を取りに行った。
 「この家の設計の構想を話すと、どの業者もそんなの無理だと言った。ノビサドの建築家だけが、引き受けてくれた。彼もターラが大好きで、自然で暮らすのを実践している人物だ。カヌーも彼の作品。ドリナ川で魚釣りに使う」とボリス。丸木を組んだ家は、壁の木と木の間に苔がむして、ひと夏で隙間をふさいだ。「自然の力ね」とテレジアは目を輝かせた。子供の教育は当分、アメリカの通信教育だけど、林間学校に来る子供との付き合いがある。「昨日、鷹が来たよ。大きかった」とラーデ君。まだ熊や狼は現れていないが……。今度はテラスを作る、とボリス。話は尽きず、満ちたりた出会いに感謝する。来てくれてありがとう、と二人が微笑む。陽は森に沈み、道が闇に沈んでいく。車で送ろう、とボリス。庭の犬は静かだ。でこぼこ道を走り、宿に着く。雨は止んで、青い闇に夏の草が香った。様々な水のはじまりが、夜の森にさざめいていた。

山崎佳代子(詩人・翻訳家)
一九五六年生まれ、静岡市出身。一九七九年、サラエボ大学に留学。一九八一年よりベオグラードに住む。詩集に『みをはやみ』(書肆山田)、『海にいったらいい』(思潮社)など、翻訳書にダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』(東京創元社)など、エッセイ集に『ベオグラード日誌』(書肆山田)、『パンと野いちご』(勁草書房)などがある。セルビア語による詩集のほか、谷川俊太郎、白石かずこの日本語からの翻訳詩集を編む。セルビア語の研究書には、Japanska avangardna poezija(『日本アヴァンギャルド詩』)ほか、『日本語現代文法』を著わした。
▼ 植物学者だった父の存在を胸に、娘はしずかに海を見つめるーー。山崎佳代子さん待望の新詩集です。こちらも是非御覧ください。



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