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3月17日(2001年)J1復帰をホームで祝う!サポーターが準備したアイテムは

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J1の舞台で戦える喜び

 2001年3月17日(土)。浦和レッズは駒場スタジアムにセレッソ大阪を迎え、Jリーグ第2節、ホーム開幕戦を行った。
 この日の入場者は19,183人。1年間この日を多くの人が待ち望んだ。前年をJ2で戦い、一時は昇格に黄信号も灯りかける中、最終節ギリギリの成績でJ1復帰を決めた。
 またJリーグチャンピオンを争う舞台で戦える。開幕戦こそアウェイで名古屋に敗れたが、このホーム開幕戦で1年間溜まったものを存分に吐き出し、Jリーグに浦和レッズが戻ってきたことをアピールする。
 クラブもチームもサポーターもそういう意気込みだった。もちろん僕も。

これまでとは違うアイテムで

 サポーターはこれまでにない試みで開幕戦を盛り上げようと知恵を絞った。
 使ったアイテムは風船。3万個以上の赤い風船を調達し、全ての席に1~2個ずつ配った。それを各自でふくらませてもらい、選手入場のときに一斉に振る。
 さらに風船ならではアイデアがあった。キックオフと同時に、みんなで一斉に風船を割る、というものだ。3万個の風船が一斉に割れれば、花火にも匹敵する音が出るに違いない。J1復帰の門出に鳴らす祝砲だ。そして火気はないから安全上も、ルール上も問題ないし、全員が参加することができる。そんな考えだったと記憶している。

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前半は大成功、しかし祝砲は…

 目論見の前半は見事に成功した。
 幹事役のサポーターが何人もスタンドを回り、企画の意図を説明した甲斐があり、ほとんどの風船が試合前に大きく膨らんだ。小さな子どもの分は周りの大人が手伝った。
 それまでレッズサポーターは、スタンドでのビジュアルサポートのアイテムとして赤白黒のビニールシートを使ってきた。スタンドで一人ひとりが掲げて赤一色に染めたり、赤白黒で模様を描いたりして試合を盛り上げてきた(文字はまだなかったと記憶している)。
 風船は見た目に立体的であり、さらに揺らすことによってスタンドにさざ波が立っているように見えた。駒場でのビジュアルサポートをある程度経験してきた選手たちの目にも、新鮮に映ったのではないか。

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 だが目論見の後半部分は失敗、というか不発だった。
 風船を素手で割るには案外力が必要で「一斉に」というタイミングがまずズレた。さらに女性や子どもは風船を割るという行為にあまり積極的ではなかった。たしかに自分が抱えた風船を自分で割るのは、男でも尻込みしそうだ。また、子どもは持って帰りたいという気持ちもあったのかもしれない。
 かくして、散発的に破裂音は聞こえたものの、祝砲にはほど遠かった。

試合は引き分けだったの?

 試合は正直、覚えていなかった。いま記録を見て2-2で引き分けたことを知ったほどだ(思い出したのではない)。そうだ。元レッズの大柴健二に2点決められた後、アドリアーノが2点を挙げて追い付いたんだった。
 それくらい、J1復帰をどう祝うか。僕自身もサポーターと一緒になって考え、楽しみにしていた試合だったのだろう。

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 さて、みなさんは2001年3月17日、何をして何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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