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3月27日(1999年)ルール、政治、判定、チーム内の関係…が絡み合った退場

 1999年3月27日(土)。浦和レッズは広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)でサンフレッチェ広島とJリーグ第4節を行った。

 この試合を選んだ理由の一つは、3月27日に試合が行われたのは1999年と2010年の2回だけで、1999年の方がインパクトが強かったということ。
 もう一つは、浦和レッズが降格した1999年、あの試合がこうだったら、というタラレバがいっぱいあるが、その中の一つであるということ。
 そしてレッズの歴史ということを越えて、刻んでおくべきことのように思うからだ。

同点ゴール後、ユニフォームを脱いだ

 試合は点の取り合いで始まる。後半2分に広島が先制。しかし9分にFKからゼリコ・ペトロヴィッチが頭で決めて同点とする。
 ここからがポイントの一つで、ペトロはゴールの後、走りながらユニフォームを脱いだ。アンダーシャツには「AMERICA NATO→KILLER」の文字が書かれていた。これは、旧ユーゴスラビアのセルビア国内のコソボ紛争に端を発して3月24日からNATO北大西洋条約機構がユーゴに空爆を始めたことを批判する内容だった。

 ペトロはオランダに移住していたが、自分の故国に対する空爆という、市民を巻き添えにしかねない軍事行動に対して抗議する気持ちが強かったのだ。この年、旧ユーゴスラビア出身選手はペトロのほかに、名古屋のストイコビッチ、福岡のマスロバルらがいて、それぞれ試合で何らかのアピールをしたと思うが、ストイコビッチとマスロバルに警告が出た記録は残っていない。

1枚目の警告理由は、脱ぎ?政治的文言?

 しかしこの広島戦の主審、レスリー・モットラム氏はペトロにイエローカードを提示した。
 ユニフォームを脱ぐ行為はJリーグがスタートした93年は警告の対象ではなかったが、その後「遅延行為」として警告になり、その後また変わって脱いだだけでは警告ではないがアンダーシャツに政治的な文言が書かれていると警告になり、さらに何が政治的文言か判断が難しいので今は脱いだら警告、になっている、という経緯で今に至っていると思う。

 ルールがいつの時点で変わったかは調べていないし、99年が「脱いだら即警告」の時期なのか「政治的文言が警告」の時期なのかも忘れたので、詳しい人、お願いします。

 ちなみにこの試合で、レッズサポーターはこういうダンマクを出したが、これにはおとがめはなかったはずだが、「愛」「平和」という言葉を政治的ととらえる考え方もあるかもしれない。今ならどうなのだろうか。

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オフサイド抗議に拍車をかけたビジョン

 もう一つのポイントもペトロ絡みだ。
 後半32分、FKから広島に2点目が入った。ゴール前に上がったボールに対し、レッズGKの田北雄気と広島のポポヴィッチが競り合い、ポポヴィッチが勝ってヘディングシュート。しかしボールはバーに当たって下に落ち、それを広島のフォックスが蹴り込んだ。
 しかしポポヴィッチがヘディングシュートしたとき、フォックスはオフサイドの位置にいたとレッズの選手たちが抗議。よせばいいのに、大型ビジョンでゴールの場面が流され、画面に映っているフォックスはオフサイドに見えたのでレッズの抗議に拍車をかけてしまった。広島の担当者はこれが微妙な映像だということに思いが行かなかったのだろう。

 ミスジャッジ→抗議→主審が取り合わない→なおも抗議→警告、というのはサッカーでよく見られる場面だ。選手にしてみれば、絶対に判定が間違っているという確信があるとき、それが勝負を左右するものだったら、食い下がってしまうのは心情的によくわかる。しかし主審も「もしかしたらミスったかな」と思っても、判定を変えるわけにはいかない。それでやむを得ず警告、ということになる。ある意味、悲劇だ。
 しかも、この場合のペトロはすでに1枚もらっている。モットラム主審が2枚目の警告を出すのに、躊躇したのかどうかはわからないが、ペトロは退場になってしまった。

 今であればVARが介入して、おそらくオフサイドになっていたはずだし、もしオフサイドではなかったとしても、納得せざるを得ない。そうすればペトロもあそこまで食い下がることはなかっただろう。
 VARは、ときに試合がブツ切りになって興ざめすることがないではないが、選手が切り替えてその後のプレーに集中するには良い側面もある。

タラレバのうち最も残念だったもの

 広島戦は、後半34分に1-2とリードされてから10人になってしまった。しかも最も運動量や闘志の部分でチームを引っ張る選手がいなくなった。
 もちろん、そこから追い付き、勝ち越すことも不可能ではなかっただろうが、逆にそこから2点を失い1-4の大差で負けてしまった。ペトロが退場になっていなければ、違う結果になっていることもあり得たと思うと残念だ。
 負けた試合では「タラレバ」がいくつも見つかるものだが、この試合の後もいろいろ考えた。

1.NATOの空爆が行われないか、日がズレていたら、この試合でペトロがアンダーシャツにメッセージを書くことはなかった。
2.ペトロのゴールが生まれないか、もっと試合の終盤に近かったら、ユニフォーム脱ぎの警告はなかったか、あっても遅かった。
3.広島の2点目が疑惑の残る形でなく、すんなり決まっていれば、抗議することもなかった。もちろん、ゴールが決まらないか、オフサイドになっていたらもっと良かった。
4.ペトロが抗議を続けているとき、あいつは1枚もらっているからこれ以上続けさせたらヤバいと、チームメートの誰かが彼を制止していたら、2枚目をもらうことはなかった。
5.10人で逆転勝ちはできなくても、せめて1-2のままだったら。

 偶然の要素が多い中で、4番目だけは、レッズが自分たちで何とかできたはずなのに、誰も制止に行かなかったのが残念でならない。また5番目は、この試合のことではなく、もし1点差負けだったら最終的に降格を免れていたはず、というタラレバだ。

 ペトロがメッセージを書いたアンダーシャツを着るのをチームメートが止めていたら、というのはないのか?
 それを止めろとは言わない。その分、フォローしてやるのがチームメートだとは思うが。

 さて、みなさんは1999年3月27日、何をして何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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