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1月3日(2014年) この年から正月休みを2日間だけにした

 今日はレッズに関する自分のことしか書くことがない。

 2014年1月3日(金)、僕は大阪のJ-GREEN堺に向かった。
 第17回全日本女子ユースサッカー選手権の初日だ。浦和レッズジュニアユースレディースのU-18チームが出場する全国大会で、浦和レッズファミリーの中でもこれがシーズン最後の公式大会となる。

 僕がこの大会を初めて取材したのは2009年1月。つまり2008シーズンの大会だった。

 さいたまレイナスから移行して浦和レッズレディースが誕生したのが2005シーズン。僕は2005年に埼玉新聞社を辞めてフリーになり、それまで会社に遠慮して行かなかった取材にどんどん行くようになった。
 しかし体は一つ。取材に行く優先順位は大会によっても違うがだいたい、トップ>レディース>ユース>ジュニアユース>ジュニアユースレディースの順番で、取材だけでなく編集業務もあるから2年間はジュニアユースの取材にまでは手が回らなかったのが実情だった。

 しかし、2007シーズンからスタッフが入ったことで、デスクワークを任せて外に行ける機会が増えた。それで2008年はレディース育成チームの取材にも行くようになった。

 全日本女子ユースサッカー選手権は、当時「U-18」とは付いていなかったが、高校生年代の日本一を決める大会でクラブチームと高校のサッカー部がしのぎを削り合う機会だ。2009年のころは九州で行われており、2009年1月の会場は宮崎県だった。ジュニアユースは予選リーグを勝ち抜いて、準決勝で強豪の日テレ・メニーナを破り、決勝に進んだ。決勝では後藤三知、熊谷紗希、桜本尚子(全員が高校卒業後、レッズレディース入り)らを擁する常盤木学園に敗れ、準優勝に終わった。
 しかし、その翌2010年、大分県で行われた同大会で全国初優勝。しかも準決勝で常盤木学園に勝って前年の雪辱を果たした。GK池田咲紀子が高校3年生だった。

 2011年、2012年は関東大会で敗れ、3年ぶりに出場した2013年の大会は、会場がJ-GREEN堺になっており、レギュレーションも「予選リーグ→決勝トーナメント」だったのが、16チームによる一発トーナメントに変更されていた。
 ノックアウト方式だと負けたら終わり。申し訳ないが取材のプライオリティーが高くないレディースの育成は、行けるときに行っておかないと写真をあまり残しておけない。
 九州よりは近いこともあって、1回戦から大阪へ行くことにした。この年は1月4日から4日間ぶっ続けで1回戦から決勝と3位決定戦までの4試合が行なわれた。

 そしていま書いている2014年の大会から、2回戦と準決勝の間が1日空き、その分1回戦が3日に早まった。
 マジかよ。正月の3日から仕事?
 一瞬そう思ったが、元日でも仕事だったら行くじゃないか。天皇杯決勝も、全日本女子ユースサッカー選手権1回戦も、レッズの試合という点では同じ、と言うと無理があるが、意地もあって行くことにした。中日の5日に石川県に日帰りして実家の母親に顔を見せた。
 トップの写真は3日に行われた1回戦の先発メンバーだ。多くがその後なでしこリーグでプレーしているから、知った顔も多いだろう。

 この年から、僕の正月休みは2日間だけになった。レディースユース(U-18チームの現在の名称)が関東大会で敗れた2019年を除いて、2021年まで毎年3日には、飛行機か新幹線で大阪に向かった。シーズンによってレディースユースのリーグ戦などに行ける回数が違うが、この1月の全国大会だけは最初から最後まで見届ける、というのが新年最初の、そしてシーズン最後の仕事になった。

 諸事情から、昨年の正月は久しぶりに大阪に行かなかった。3日以降も家にいるのが何だか落ち着かなかった。
 今年は、行くことにした。準決勝からになるが、今までレディースユースが2回戦までに負けたことはない。
 今年こそ優勝の写真を撮りたい。

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