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4月12日(2000年) J1をなめてはいけない、川崎に完敗のナビスコ第1戦

 2000年4月12日(水)、浦和レッズは等々力競技場で川崎フロンターレとヤマザキナビスコカップ1回戦の第1戦を行い、0-3で敗れた。J1で低迷しているチームより、J2で全勝を続けているチームの方が強い、という思い上がりを叩きつぶされた試合だった。

当時の1回戦は「J1vsJ2」

 当時のナビスコカップは「J1リーグカップ」でも、「数合わせでJ2から1~2チーム参加させる大会」でもなく、J1、J2問わず、Jリーグに所属するチームがすべて参加する、本来の「リーグカップ」だった。
 一発トーナメントで1回戦から準決勝までホーム&アウェイで行われるので、初めての相手と対戦したり、初めてのスタジアムに行ったりする楽しみもあった。特に初戦は「J1vsJ2」が多かったので、J2チームのサポーターにとっては、J1のホームに乗り込み、ひと泡吹かせてやろうと意気込んだり、“先輩”クラブのホームタウンの雰囲気を味わったりと、良い刺激にもなったのではないだろうか。

J1の下位よりレッズが上?

 しかし、この年J2で戦っていたレッズにとって、等々力競技場はヴェルディ川崎戦で何度か行っているから初めてではないし、僕にはJ1チーム相手にやってやろうというチャレンジャー精神もなかった。
「初昇格の川崎はJ1で苦労しているから、戦ったらレッズの方が上ですよ」
 サッカーメディアに乗せられて、すっかりその気になっていた。自分の目で川崎の試合を見たこともないのに。

 そんな雰囲気が選手に伝播していたのかどうかはわからない。だが、記者たちは選手にそういう状況を語ってから質問をぶつけるのだから、耳には入る。
 もちろん、当時の斉藤和夫監督は、そんな前評判を鵜呑みにすることはなかっただろう。この年の最優先課題はJ1昇格だ。
 公式戦があるから勝つために戦う。リーグ戦とは違う選手を出して成長させる。そんな構えではなかったかと思う。

歯が立たなかった第1戦

 加入2年目のGK西部洋平が先発で公式戦初出場。同じく2年目の吉野智行がシーズン初先発した。また、この年レッズユースから昇格した千島徹が後半からプロデビューした。

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 それまでのリーグ戦とは少しメンバーを替えたから、ということではなく、やはりスピードやプレーの正確さの点でレッズが“J2慣れ”していたのかもしれない。ボールへの寄りの速さやパスワークで、川崎に歯が立たなかった、という印象だった。
 シュートは11本放っているが無得点。逆に川崎に3点をぶち込まれた。打たれたシュートは23本だったので、“攻められっぱなし”だった記憶がある。
 ところで川崎の得点者の一人、伊藤彰氏は今季からジュビロ磐田の監督を務めており、川崎で現在Jリーグ2連覇中の鬼木達監督もこの試合に先発していた。

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まずはJ2での連勝が最優先課題

 ホームの第2戦は1週間後だったが、3点差をひっくり返せるとも思えず、もし逆転して2回戦に進んだとしても、J1昇格に向けて直接のプラスになるわけではない。
 このリベンジはJ1で対戦するときまでとっておいて、今はJ2での連勝を続けることに気持ちを切り替えよう、と僕は思った。「腐っても鯛」という言葉は失礼だが、「下位でもJ1」ということを間違いない事実として受け止めた。

 それと、もう一つ。前段で書いた、J1以外のチームもJリーグカップに参加することは、Jリーグ全体の活性化にプラスだと思うが、昇格を目指すJ2やJ3のチームにとっては有り難くない大会かもしれない。だから、Jリーグカップでの勝利が昇格に寄与するような制度があれば、さらに盛り上がるのではないかと思う。

 さて、みなさんは2000年4月12日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
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