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清尾淳のレッズ話#281 助っ人、その入れ替わりの妙・前編/迷惑だったけど怒れないアルパイ

 2005年の開幕戦でアルパイが退場になったとき、当時は「俳優・鈴木の名演技」と思った。たしかフリーになったばかりのときで、当時あったJリーグ公式サイト、J's GOALの仕事をしたときで、そんな表現を書いて送ったら、「ここは掲載できません」と指摘され、「そりゃ、そうだな」と書き換えた記憶がある。
 一度やってみて、MDPの仕事と並行してやるには物理的に難しかったのが半分、スタンス的に苦しかったのが半分で、結局J's GOALの仕事はやめることにした。だが、いま思うと忙しさの方は何とかなったのではないかと思う。

 落ち着いて考えると、相手の口を手でわしづかみにしたり、髪の毛を引っ張ったりしたアルパイの行為は全く必要のないことで、それは「髪を引っ張られたのに、顔を押さえてのたうちまわるって変だろ」と、鈴木隆行のリアクションがおかしいことをいくら主張しても、レッドカードの処分を緩める材料にはならない。
 だが、当時は「鈴木の演技にやられた」という考えで凝り固まっていた。やはりJリーグ公式サイトの仕事は、僕には無理だっただろう。もし続けていたら精神的にどうなっていただろうか。

 大分での1枚目の警告は、ちょっと辛かったのではなかったかという記憶がある。それも身びいきかもしれないが。
 ラフプレーまたは反スポーツ的行為での警告→「そこまでのプレーじゃないだろ」と納得がいかずに執拗な抗議→異議で2枚目のイエロー→退場
 そういうパターンはたまに見る。
 そもそも1枚目の警告が厳しすぎる。それでレフェリーに文句言ったら退場かよ、という、これまたよくある不満を当時も抱いたが、これも考えてみたら、あの勢いで蹴られたボトルが誰かに当たっても不思議はなく、レフェリーに文句、というレベルではなかった。何を言っても1枚目の警告が取り消されるわけではないのだから、いくら頭に来ても自ら2枚目のカードを出させるような行為をすべきではなかった。

 YouTube本編でも言ったが、2004年の2ndステージは10試合に出場して6枚のカード、ついでに調べるとナビスコカップは4試合に出場して2枚、天皇杯は3試合に出場して2枚。これだけカードをもらっているアルパイなのに、1試合に2枚もらったことがなかったのは、偶然なのか自重していたのか。
 2005年はその偶然だか自重だかが、はたらかなかったということなんだろうか。
 アルパイが退場になった鹿島戦か大分戦。もしも、このどちらかの試合をせめて引き分けていれば、最終的にガンバを得失点差で上回って優勝していた計算になるのだから、まっとうに考えれば大迷惑で「お前、何してくれたんだ!」と怒るところだが、何となくアルパイにはそんな気になれない。こんな原稿を書いてしまったせいだろうか。

アルパイが契約解除になった後、2005年7月3日付MDP260号のコラム 

 長くなるから簡単に終わるが、エメルソンにも感謝している。もちろん、在籍中のここには書けないほどのワガママぶりには、あきれたこともあったが、間違いなく2つの優勝には深く貢献してくれたし、田中達也がこの時期に大きく成長したのもエメルソンの影響があったかな、と思う。当時、アルサッドの試合を見ることはできないかと本気で思ったりもした。だいぶ前のレコード大賞受賞曲で言えば「行ったきりなら、しあわせに♪」ってやつだ。相当な違約金もいただけたことだし(金額は不明だが、川崎からの買い取り額より上だったらしい)。


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