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3月15日(2014年)レプリカとタオマフと声と手拍子での再スタート

 2014年3月15日(土)。浦和レッズはエディオンスタジアム広島でサンフレッチェ広島とJリーグ第3節を行った。

一切の掲出物が禁止された

 前節、サガン鳥栖戦で埼玉スタジアムのコンコースにサポーターが「JAPANESE ONLY」という差別的ととられる横断幕を掲出したこと。それをクラブが問題ありと認識しながら試合終了まで取り外さなかったこと。この2点が大きな問題となり、Jリーグはレッズにホームゲームを1試合、無観客で開催せよという制裁処分を課した。
 クラブもこれを受け入れると共に、当面の処置としてホーム、アウェイを問わず、試合での横断幕、ゲートフラッグ、旗類、装飾幕等の掲出を禁止した。
 冒頭の広島戦は、この規制がされて初めての試合だった。

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広島に「いっぱい来た」

 16時キックオフ。日帰りも可能な時間とあって、多くのレッズサポーターがEスタに向かった。もしかすると、開幕前には行く予定がなかったが、事件の後で足を運ぶことにした人もいただろうか。その逆もあっておかしくなかった。
 ふだんのアウェイ広島戦が、どれくらいの赤で埋まるのか、記録を取っていないのでわからないが。その日の僕の感覚としては「いっぱい来たな」だった。調べてみると、第3節の24,734人という入場者は、このシーズン開幕戦の16,176人をはるかに超え、広島のホームゲームでは2014シーズンの最多入場者だった。広島が優勝した前年も2万人を超えたのは3回だけだった。

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美しかった赤いスタンド

 誤解を招くかもしれないが、綺麗だった。レプリカユニフォームと、唯一許された応援グッズのタオルマフラーだけのスタンドは、これまで見るよりも赤かったかもしれない。ダンマクやゲーフラ、大旗などに彩られたスタジアムも好きだが、この日のビジター側スタンドはバックの空に赤が映えて非常に美しく見えた。
 僕の精神的なものも作用していたのだろうか。
 こういうときだからそう見えたということではなく、掲出物がない分声を出そうとサポーター一人ひとりが考えていたのかもしれない。応援のコールがすごかったのだ。ちなみに応援のリードを取る太鼓は禁止されていなかったが、サポーターによって自主規制されていた。手拍子と声だけのコールが、スタジアムの空気を振るわせるかのように響いたことが、それを発している光景をよけいに美しく見えさせたのかもしれない。

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勝利のあとの“誓い合い”

 試合は興梠慎三の先制ヘッド。原口元気のアディショナルタイムゴールで2-0の勝利。原口は背番号9を付けての初ゴールだった。
 サポーターが苦しい状況にあることは、チームもわかっていた。今回は自分たちのプレーでサポーターを勇気づけよう、という気持ちが全員にあふれていた試合だった。
 試合後は、選手だけではなくミシャ監督以下チームスタッフ、クラブスタッフがゴール裏へ足を運んだ。いっせいに万歳をする様子は、喜びを分かち合うというよりは、これからも一つになって闘おうという“誓い合い”に思えた。

 本当に勝って良かった試合だった。
 だが、何も終わってはいない。これからどうなるかは想像がつかなかったが、いつもとは質の違う苦しい闘いが始まるであろうことだけは予想できた。再スタートの決意を固めるのに必要な勝利だった。

 さて、みなさんは2013年3月15日、何をして何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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